現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

慶応出の尺八プロ

2011-11-26 21:16:37 | 虚無僧日記
慶応の箏・尺八のクラブ「竹の会」は創立 100周年だけに
OB、OGは 300人くらい いる。

慶応出の尺八家の第一号は「堀井小二朗」氏。なんと
福沢諭吉のお孫さんでござる。明治45年の生まれ、昭和
6年慶応卒。福沢諭吉が、封建制度や日本の古い因習を
批難し啓蒙したように、堀井小二朗もまた邦楽界の革新を
行った。今日、尺八家が演奏家として食べていけるように
なったのは、堀井先生のお蔭だ。

さて、琴古流の名門 荒木派の第5世「達也」氏が S36年?の
卒業。現「5世荒木古童」から「竹翁」を名乗られている。
というわけで、慶応の「竹の会」OBには、北山士童、藤由越山、
他、荒木派の幹部がそろっている。そもそも、明治に一世を
風靡した3世 荒木古童の門下には、元大名や、貴族、政財界の
大物がずらりと列を成しているのだ。

さてはて、荒木派中心の「竹の会」でアウトサイダー(はみ
出し者)が3人。

一人が「堀井小二朗」の跡を継ぐ 私「牧原伸一朗(一路)」。

もう一人は「徳山 隆」。インドで3年も放浪し、帰国して
古典本曲の宗家となり、「虚無僧研究会」発起人の一人と
なっている。

そして「松居 和」。アメリカに渡り、ハリウッド映画の
いくつかに尺八で出演している。奥さんの「松居慶子」の
ピアノ、シンセによるアルバムは、全米ヒットチャートの
上位にはいり、大統領にも招かれたとか。

慶応「竹の会」100周年

2011-11-26 19:46:11 | 虚無僧日記
慶応の尺八と箏のクラブ「竹之会」は、今年 100周年。
昭和37年に始まった「定期演奏会は」今年で50回目。

その記念すべき演奏会が、12月10日(土)日吉で開催
される。私は、高校から大学5年まで8年間も在籍
していたので、多くの先輩後輩を知っている。

昭和40年代は、尺八ブーム真っ盛りで、部員が 50名も
いた。それが、15年ほど前は、部員数名になり、風前の
ともし火だったそうだが、今はまた奇跡の復活を遂げて
いる。

我々の頃と違うのは、地唄の三絃も学生が弾き、
皆、古曲の歌も歌うのだ。これにはびっくり。
そして、箏、三絃を男が弾き、女性が尺八を吹く。
もう二度びっくり。

秀忠に隠し子がいた。

2011-11-26 19:45:01 | 虚無僧日記
NHK大河ドラマ「お江」いよいよ最終回。秀忠に隠し子がいた。
その子こそ、会津藩主となった「保科正之」だ。

秀忠は、恐妻家で、お江の手前、側室を持てなかった。だが、
しっかり 腰元の「お静」に手をつけていた。その子「幸若丸」
は、秘かに穴山梅雪の夫人の下で養育されていたが、やがて、
お江に嗅ぎつけられ、信州高遠の保科正光に預けられる。

幸若丸は、お江の死後、初めて名乗りをあげ、父秀忠と兄家光に
対面し、家光が3代将軍となると、会津藩主に抜擢される。

史実では、お江は、幸若丸に会っていないのだが、NHKでは
対面するようだ。はてどのようなセリフを吐くのかいな。
明日が楽しみ。


「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。


お江は信長と浅井の血を残した

2011-11-26 19:43:22 | 虚無僧日記
NHK大河ドラマによって、浅井3姉妹の中で、今まで一番
知られざる存在だった「お江」が一躍浮上してきた。
3姉妹の中で、一番 信長に似ていたかも。

お市の三女「お江」は、秀忠との間に、千姫を頭に家光・
忠長など「2男4女をもうけた」と言われているが、早世
した子もいれると、4男5女となる。千姫の上には、前夫
秀勝の子「完子(さだこ)」がいる。

お江の意に反して、長男の「家光」が将軍となるが、徳川
歴代将軍の中で、正室の子で将軍となったのは「家光」のみ。
つまり、将軍を生んだ正室は「お江」のみ なのだ。

「完子」は、淀君のもとで育てられ、九条幸家(忠栄)に嫁ぐ。
そして、お江が秀忠に嫁し、秀忠が将軍となると、九条幸家は
関白に昇進し、徳川家と朝廷の間をとりもつ。そしてお江の
4女和子が、御水尾天皇に嫁いで、その娘が明正天皇となる。

つまり、お市と浅井の血筋が、天皇と将軍になったのだ。

足利3代将軍義満は、わが子義嗣を天皇にしようとした。
徳川3代将軍家光は、義満にならって、自分の妹 和子を
後水尾天皇の后にし、その娘を強引に天皇にして、天皇家と
姻戚関係となった。そして、対外的に「日本国王」と称したのも、
正倉院の御物「蘭奢待」を切り取らせたことも、足利義満や
織田信長と同じ。案外、お江がねだったのかも。

私は、足利義満と織田信長と徳川家光の共通点に注目している。


「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。


お江と春日局は仇怨の仲?

2011-11-26 19:38:19 | 会津藩のこと

お江は、気の強い女だったといわれる。お市と浅井長政の
三女だ。母お市の遺言もあって、茶々(淀君) 同様 「 浅井 」の
血を強く意識していた。

最初、11歳で佐治一成に嫁ぐ。一成は、母お市や信長の甥だから、
信長似のハンサムだった。次の夫は、秀吉の母方の甥だから、
秀吉似の顔だったのだろう。前夫と比較して嫌っていたそうな。
新婚生活わずか4ヶ月、秀勝は朝鮮出兵のストレスで亡くなる。

その後 お江は 秀忠に嫁ぎ、二人の男子をもうけるが、弟の
国松の方を可愛がり、兄の竹千代を疎んじた。竹千代(後の
家光)は家康似で、次男の国松 (忠長)は浅井の顔だったので、
国松を可愛がったのだという説も。

二代将軍は お江の意向で次男国松(忠長)に傾いていたのを、
春日局が浜松まで出向いて家康に訴え、家康の命で秀忠が
将軍となった話は有名。春日局とお江はライバルで、いがみ
あっていたのだ。

春日局は、なんと信長を討った明智光秀の重臣、斉藤利三の娘。
信長を慕うお江であれば、叔父信長の仇だ。家康は、信長の
姪のお江より、信長を殺した首謀者斉藤利三の娘の方を
大切にしたのだ。な~ぜだ?

「本能寺の変」隠された真実。明智光秀と家康の間で、
信長暗殺の密約が交わされていたのだ。家康は死後、日光に
祀られる。日光は「明智“日”向守“光”秀」。
そして、奥日光には「明智平」という地名まである。
ジャジャジャ~ン。