中日新聞連載、五木寛之『親鸞』。いよいよ核心に触れてきた。
どんな悪人も「南無阿弥陀仏」と唱えさえすれば、極楽
浄土に往生できるのか? 極悪非道の悪人でも救われる
なら、この世で悪の限りを尽くした方がいい。強姦も
窃盗も殺人もしたい放題。しなきゃソンソン。
「念仏」は そうした危うい理解を孕んでいる。
悪事を働いた時は「わるのりだぶつ(悪乗り打仏)」。
闇の中での淫靡な快楽には「なむやみ(闇)だぶつ」
「なみのりだぶつ(波乗り舵物)」。これはサーファーの
ブログで見つけた。「波に任せる身は、仏法の悟りと
共通する」と。
「難有りだぶつく」。これは欠陥商品が大量に返品され、
倒産に追い込まれた悪徳店主の救いを求める念仏。
守銭奴が、悪事で稼いだ金を数える時は「ナンマイダ、
ナンマイダ、何枚だ」。
ところで、「釈迦も見捨てた女人や極悪人を、唯一
阿弥陀如来だけはお救いくださる」と、いったい誰が
言ったのか?。釈迦がそんなこと言ったのかいな。
釈迦は、「人々をあまねく救う」といいながら、
「女人と悪人だけは救えない。救ってもらいたければ、
阿弥陀如来に頼め」と、自らの役割を放棄したことになる。
「阿弥陀信仰」は釈迦を見限って「阿弥陀如来」に
唯一帰依するというのだから「釈迦仏教」ではない。
「阿弥陀“教”」だろうと私は考えるのだが・・・・
どんな悪人も「南無阿弥陀仏」と唱えさえすれば、極楽
浄土に往生できるのか? 極悪非道の悪人でも救われる
なら、この世で悪の限りを尽くした方がいい。強姦も
窃盗も殺人もしたい放題。しなきゃソンソン。
「念仏」は そうした危うい理解を孕んでいる。
悪事を働いた時は「わるのりだぶつ(悪乗り打仏)」。
闇の中での淫靡な快楽には「なむやみ(闇)だぶつ」
「なみのりだぶつ(波乗り舵物)」。これはサーファーの
ブログで見つけた。「波に任せる身は、仏法の悟りと
共通する」と。
「難有りだぶつく」。これは欠陥商品が大量に返品され、
倒産に追い込まれた悪徳店主の救いを求める念仏。
守銭奴が、悪事で稼いだ金を数える時は「ナンマイダ、
ナンマイダ、何枚だ」。
ところで、「釈迦も見捨てた女人や極悪人を、唯一
阿弥陀如来だけはお救いくださる」と、いったい誰が
言ったのか?。釈迦がそんなこと言ったのかいな。
釈迦は、「人々をあまねく救う」といいながら、
「女人と悪人だけは救えない。救ってもらいたければ、
阿弥陀如来に頼め」と、自らの役割を放棄したことになる。
「阿弥陀信仰」は釈迦を見限って「阿弥陀如来」に
唯一帰依するというのだから「釈迦仏教」ではない。
「阿弥陀“教”」だろうと私は考えるのだが・・・・