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現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

三陸沖の巨大地震

2011-04-10 16:21:42 | 虚無僧日記
貞観津波の再来(産経新聞) - goo ニュース

東北地方の太平洋岸を襲う巨大津波について、平成21年7月27日付の
「産経新聞」で報じていたという。東北大と産業技術総合研究センターの
研究成果を紹介した記事。

今から1140年前、平安時代の「貞観(じょうがん)11年(869)」。今回の
大地震と同じ「巨大地震と大津波」があった。

今回被害に遭った仙台市若林区の荒浜地区。そこからさらに5キロほど
内陸寄りの所に「浪分神社」がある。貞観津波の直後に、ここまで津波が
到達したことを 後世に伝える意味で建てられたのだそうな。

「巨大地震と大津波」の再来について、一部の研究者は、再来を予見し、
情報を発信していたのだ。

マグニチュード8以上の大地震は、869年から750年後の慶長16年(1611)。
それから300年後の明治29年(1896)。この時も「死者・行方不明者 
21,919人」に及んでいる。

そして40年後の昭和8年(1933)にも起きていた。それから80年後、今回の
大地震。「1000年に一度」どころか、明治29年から数えると120年に3回だ。
40年に一度。

M7以上の宮城県沖地震だと、1793、1835、1861、1897、1936、1978年、
そして2011と、220年に7回。実に30年に一回だ。これはもう「想定外
だった」などの言葉は許されないのでは・・・・・。

「M8までは想定していた。M9は想定外」ということか。がちょ~ん。

信仰心と宗教心

2011-04-10 12:47:09 | 虚無僧日記
「神仏を信じ、神仏を頼まず」。吉川英治『宮本武蔵』の一節だ。
私も「神や仏」といった絶対的な“力”の存在を、半身半疑ながら
信じる。大自然の“力”にも畏敬の念を感じる。

がしかし、前世だとか、あの世とか、地獄・極楽などの話は
信じていない。キリスト教、仏教、それも宗派によって異なるのは、
所詮、人間が創り出したものと考えるからだ。「宗教家の創り話」は
信じていないから「無宗教」でもある。わが家は、先祖代々「神道」
だから、お彼岸やお盆などの仏教儀式はしないが、それでも、
不都合は無い。

私の学生時代、京都、奈良などの仏像は美術品でしかなかった。
観光客は、本堂の中を歩きまわり、仏像を横から見たり、後ろに
廻ったり。きちんと正座して手を合わせるのは、私ぐらいだった。

敗戦で、日本の古いもの、伝統的なものはすべて“悪”と排斥
された時代だったのだ。仏像は美術品にすぎなかった。そんな
若者が、今 60、70歳になったのだから、神社仏閣でも帽子を
脱がないお年寄りがいるのも仕方無い気がする。

だが、 熱田神宮や伊勢神宮に参拝する人は、若者が圧倒的に多い。
新興宗教に のめりこむ人も若者が多い。年寄りは 新興宗教には
警戒心が根深い。

日本人は「無宗教」だと言われるが、最近は、若い人達の方が
「信仰心」はあるようだ。

さて、そんな中だが、今回の震災を「大自然の怒り」と思わぬ
人は どのくらい いるのだろうか。「大自然を畏怖しない心」が
被害を大きくしたのではと 思えるのだが。
逆に「宗教」は 今回の震災とどう関わっていくのだろうか。
興味ある課題だ。

天災は神の怒りか

2011-04-10 04:39:40 | 社会問題
YouTubeであらためて「津波」の動画を見ると、その猛威に
震撼する。何万人という被災者の一人ひとりに、生死を
分ける壮絶なドラマがあった。

「天災は天罰」と発言して、石原東京都知事は非難を浴びた。
被災された方にとっては、「我々が何(悪いこと)をしたと
いうのだ!」と、納得いかぬことだろう。だが、大自然の
営みに“ 神の意志 ”を感じ取った人は多いはずだ。

かねて言われていた。日本の食糧自給率は4割。6割を
諸外国からの輸入に頼りながら、全体の3割を捨てて
いるという現実。
賞味期限、消費期限切れで廃棄される食料だけで無い。
ホテルや料亭で、箸も付けられずに捨てられる残飯。

10年くらい前だったか、中国やフィリピンで 野菜や魚を
買い付ける日本人の活躍ぶりを テレビで見た。

収穫されたカボチャやキャベツを農民が集荷場に運んでくる。
それをトラックに積むのだが、規格外のモノは、情け容赦なく
トラックの外に投げ捨て、つぶしていく。

「日本のスーパーでは、キュウリもニンジンもジャガイモも
アジの干物も、みなサイズが揃っている」と誇らしげに語る
バイヤー(買い手)。

収穫した野菜の大半が、地面に叩きつけて捨てられ、結局
いくらも収入にならず、落胆する農民の悲しそうな目を
見た時、私は「いずれ 罰が当たる」と思った。

不夜城の歓楽街や 24時間営業の店、パチンコ店の 必要以上の
照明や冷暖房。

今回の災害で、行き過ぎた贅沢、人間の傲慢さを、誰しもが
多いに反省させられた。停電で、電気が無ければ、ドアも
開かない、水も出ない、トイレも流せないのだ。

こうまで被害が大きくならなければ、人は反省できなかった
のだ。

今、夜明けとともに起き、日没とともに寝る、自然に即した
生活に戻り、気づかされることが多い。被災者の方々に、
「慰問」のつもりで、歌を歌っていたところ、「寝ているのに
うるさい!、歌なんか歌っている場合か」の声にも、耳を
傾けたい。

「それは、ありがたいことですか、おせっかいですか?」の
ACの広告。余計なことが 当たり前になっていた生活を
根底から見直すために、東北の方々はスケープゴート(いけにえ)と
なられた。義援金の「義」は「羊に我」。「我(自分)が
いけにえの羊になること」という。

そう思うと、自粛の行き過ぎに 二次被害の声も出てきては
いるが、まだ花見で浮かれる気分にはなれない。