現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

2/14 太鼓と胡弓の演奏会

2009-02-15 08:45:45 | プロとアマ
2/14 天白小劇場での、学童保育関係者主催によるコン
サートに行ってきた。第一部は「爛漫」の太鼓。

「爛漫」は、メンバーが公務員なので、出演料を取っての
プロ活動ができない。しかし、練習にかける情熱と気迫は
すごい。プロ並に“見せる、聞かせる、魅せる”。
メンバーの平智子は、実は私の尺八の弟子。女性ながら、
尺八も上手い。完全防音の広い練習室を備えた家を新築。
毎朝5時起きして、出勤前に太鼓と尺八を練習するという。
その意気込みからして違う。細いからだで太鼓を打つ撥
さばきは、実に美しく色っぽく、聴衆を魅了する。観音様
の輝きがあるのだ。

第2部は「石田音人の胡弓」。彼と私は「和楽器合奏団
みずほ」のメンバーだった。彼も中学校の教員だったが、
私と同時期、勤めを辞め、音楽ひと筋の道に立った。
共に支えあう仲だが、彼はいつもタイムリーにマスコミに
話題を提供している。今回は篤姫の雛道具の胡弓や、
田辺尚男の考案したベース胡弓「玲琴」を復元。
「千の風」「崖の上のポニョ」「篤姫のテーマ」「さとうきび
畑」「チャルダッシュ」を演奏するなどサービス満点。
自作のオリジナル曲も合わせて20曲全曲暗譜という
のはすごい。見習うべきか。

「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

一休と虚無僧」で別にブログを開いています。

日記@BlogRanking


2/14 バレンタインデー

2009-02-15 08:18:30 | 虚無僧日記
そういえば、昨日2/14は、バレンタインやでぇ。
知ってはいたが、世俗的な雑事とはトンと縁がなくなった。

かく言う某(それがし)、その昔、若かりし頃は、30個も
もらって、社内一番のモテる男と密かにほくそ笑んでいた
時もあった。なに、義理チョコばかりではなく、手作りの
本命チョコもどきもあって、女房殿に不倫を疑われ、
「ばれた痛いでぇ」なんてことも。

いやいや過去はもう捨てたはず。でも「今年一個も無いとは」。
いや身の不運を嘆くのもいかん。欲も捨てたはず、と自分に
言い聞かせる。ああ虚無僧は辛い。

(ご心配なく、ホントは全然悩んでなんか いませんから)

「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

一休と虚無僧」で別にブログを開いています。

日記@BlogRanking

ホームレスの南さん

2009-02-15 08:15:54 | 社会問題
件(くだん)のホームレスは、どこにいるかとウロウロ
探していたら、近鉄の階段の所に居た。眠っている
ようだが、近づくと気配を察してか薄目をあけた。

「何か食べたいものは無いですか? 買ってきますよ」
笑って「いらない」という。この前1,000円も布施を
いただいてしまったから、何かしてあげたいのだが、
「欲しいものは?」と聞いても「何も無い」と。

そして、ビニール袋の中身を見せてくれた。パンが
30個以上もつまっているではないか。 「パン屋が
1日終わると、売れ残ったものを全部ほかるのだが、
ちゃんと残飯やゴミとは分けて置いておいてくれる。
それをサッと採ってくる。採りに来ない人もいるので
これを無い人にあげるのだ」と。

おそれいりました。名前を聞いたら「南 勲」と。
一休はいう。「いくら西方浄土を祈ったところで、
仏は西にはいない。南じゃミナミ。皆さんの御身、
皆身じゃ」と。 なにやら南さんこそ、私以上に
「出家者」に見えてきた。一休もいう「家を出る
のが出家じゃ」と。 南さんも、妻子、孫まであり
ながら、家族との縁を断って無一物、無欲の
世界に生きている。

「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

一休と虚無僧」で別にブログを開いています。

日記@BlogRanking


教会と仏教寺院

2009-02-15 08:13:37 | 心の問題
ホームレスの南さん、ちゃんとイヤホンを当ててラジオを
聞いている。政治や社会の動きにも明るい。話題も豊富。
全てを捨て切り、無欲。35歳の時、高所から落ちて大腿骨
を骨折して9ヵ月入院した。今でも右足不自由な身ながら、
81歳まで生きている。生かされていることを享受し、あるが
ままに生きている。そして他のホームレスに施しまでして
いる。虚無僧の私にまで1,000円もの布施をくれた。これぞ
「空手、身心脱落」悟りの人か。

そろそろ温かくなってきたので「服はいらないか」と
聞くと、「教会に行けばなんぼでもある。汚れた服は
洗濯もしてくれる。風呂にも入れてくれる。食べ物も
くれる」と。キリスト教の団体がホームレスの支援を
しているのに、仏教寺院は貧しい者を救おうとはしない。

「父親は〇〇教だったが、毎月お金を納めなければいけ
なくて大変だった。お寺さんは(檀家が)大変ですな」と。
耳が痛い。仏教寺院はホームレスを救おうとはしない。
布施をしてくれる金持ちしか相手にしないのか。

「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

一休と虚無僧」で別にブログを開いています。

日記@BlogRanking

乞食と行乞

2009-02-15 07:34:44 | 心の問題
虚無僧は、釈迦の教えの原点に戻ろうという教団だ。

釈尊の説いた出家者の心得『四依の教え』の第一。
「食は行乞に依る」だけは実践している。では、
乞食と行乞はどう違うのか。昨日古本屋から買い
求めてきた『狂と遊に生きる 一休・良寛』(久保田
展弘)に、明快に書かれていた。

「乞食僧は布施を請いながら、人々に法施を実践しな
ければなりません。そこに仏法が手渡されなければ、
それは単なる物乞いにすぎない」と。
「良寛は、何もしゃべらなくても、その人が家に来て
くれたというだけで、1週間くらい家の中がホンワカ
明るい空気に包まれた。一休は、破戒、反骨で人々に
真実の目を見開かせた。二人とも、空海や日蓮、親鸞
のように自らの主義主張を雄弁に語るのではなく、
行動で指し示した行乞の僧である」と。

虚無僧も一休・良寛と同じ行乞の僧だ。その吹く尺八の
音が、布施される人の心の中にある仏性を呼び覚ます
力がなければ、「行乞ではない」と知る。

京都明暗寺から託された虚無僧免許証には『行化証』と
ある。尺八で仏法を広めるのが「普化宗」なのだ。
尺八吹け吹け、フケ宗。ようやく見えてきた。

「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

一休と虚無僧」で別にブログを開いています。

日記@BlogRanking

2/15 ねがはくは

2009-02-15 06:40:30 | 心の問題
「ねがはくは 花の下にて 春死なん 
    そのきさらぎの 望月のころ (西行) 」

西行のこの歌は知っていたが、意味は知らなかった。
2/14 中日新聞「仏像の歳時記」(関信子)で知った。

きさらぎ(如月)は2月、望月は15日。つまり釈迦の
入滅=涅槃の日なのだ。そして旧暦の2月15日は
新暦では3月29日。桜が咲きかけている頃なのだ。
西行は、「桜満開の釈迦寂滅の日に、自分も死に
たいものだ」と詠んだ。そして、その翌日旧暦の
2月16日に死んだのだと。

『釈迦涅槃図』には、たしかに満月が描かれている。
ちなみに、桜はインド原産だが、インドでは秋に咲く
そうな。日本では、冬に咲く「冬桜」というのもある。
沖縄では、桜前線は北から南へ下がるそうな。これは
寒さを体感しないと咲かないので、気温が下がる北から
先に咲くとか。桜も2,000年の風雪に変化しているのだ。
自然も常ならず、これ「無常」と知る。

「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

一休と虚無僧」で別にブログを開いています。

日記@BlogRanking

2/15 涅槃会

2009-02-15 06:12:09 | 心の問題
2/15 今日は釈迦の入滅の日なのだ。御歳80歳。
「一切の迷いの無い永遠の悟りの境地=涅槃の世界に
はいられた」ということで、釈迦の死は「涅槃(ねはん)」
と呼ばれる。「魂は形を変えて何度も生まれ変わる」と
いう輪廻転生は、仏教ではない。それは釈迦以前の
インドの宗教観だった。釈迦は「前世も来世も、わしは
知らん。見たことのないものは語れない。その輪廻転生の
迷いから解脱するこそ、悟り=涅槃だ」と説いているのだ。
ところが、最近、前世や来世の姿を言い当てて金をとる
というような占い師が堂々まかり通っておる。

さて、釈尊が臨終まぎわに説いたとされる最後の教えが
『大般涅槃経』。「一切の衆生は仏性を有する」という。
そして真如苑はこの『大般涅槃経』を本義としている。
「仏性を磨けば、誰にでも神通変化の神通力が与えられる」
というのだ。なにやらオウムと似ているので、カルト集団と
ネットでも批判されているが、「医者からも見離された不治
の病が治った」というような事象は数限りなく現われている
から不思議。私は、禅宗の立場なので、一休の「仏法に
摩訶不思議は無し」にこだわっているが、不治の病を治し
てあげることができたらと迷ってもいる。

「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

一休と虚無僧」で別にブログを開いています。

日記@BlogRanking

2/15 親鸞 糞掃衣

2009-02-15 05:43:48 | 五木寛之
2/15 中日新聞 五木寛之『親鸞』。ますます核心を突いてきた。

「食は行乞(ぎょうこつ)による。衣は糞掃衣(ふんぞうえ)による」
打ち捨てられ垢にまみれたボロ布をまとえということじゃ。
河原房が鴨の河原で死者の衣を脱がせ丁寧に洗って売って
いたがあれこそ糞掃衣じゃ」

そうだった。五木・『親鸞』の冒頭で、出家する前の子供の頃、
鴨の河原で、死者の衣をはぐ人の姿を見て、おぞましい、これぞ
地獄と思ったのだった。ところが、ここでは、それこそ糞掃衣、
出家者が着るべき衣という。五木・『親鸞』は続けて

「ところがどうじゃ、お山(比叡山)の高僧、学僧たちは、与えられ
た食事を食べ、キンキラキンの袈裟を付け、衣の絹の斤量を競い
合っておる。それだけで釈尊の「四依の教え」を破っておるのじゃ。
末法の世の今こそ、仏法二千年の垢を落とし、釈迦の教えの
原点に戻るべきじゃ。心と体が痛む者を助けなければならぬ」

今年、東本願寺御影堂の{平成の大修復」が完成をみた。絢爛
豪華。信徒の浄財だ。ありがたやありがたや。

「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

一休と虚無僧」で別にブログを開いています。

日記@BlogRanking