少し前、NHK教育テレビで、作家Mさんのロングインタビューを放送していました。
Mさんは芥川賞作家。文筆の専門家をして、天才、百年残る作家、と言わしめるほどの人です。その文体は素直で、誰が読んでも分かりやすく、しかも味わい深いものがあります。確かに氏の言われるように、小学生でも読める文章、には違いありませんが、その奥にたどり着くには、どれほどの人生の深さが必要なのか、といつも考えさせられるのです。
そのロングインタビューの三回目に、氏は実に興味深い事を言っていました。
「人柄とか、人格に関係なく、ある時、人は地獄行きの軌道に乗る事がある。平たく言えば、『罰が当たった』と言うことかな」
氏のお父上の生涯をさして言われた事でしょうが、あまりにも衝撃的な言葉でした。
さらにインタビュアーの質問、
「それは言葉に出来るものですか?」
氏は、いとも簡単に答えられました。女房を不幸にした瞬間に、その軌道に乗った、と。
「当たっているかどうかはともかく、因果と言うものがあるのなら、私はそう考えています」と……。
氏の言葉そのままではありませんが、厳しい言葉だ、と思いました。
人は人を不幸にした瞬間、自らの幸福の道を閉ざす。それが因果の理法であるのなら、何を以ってその判断をすればいいのか。
重い課題です。
多くの場合、人は努力と信念、と言います。良くならないのは努力が足りなかったからだ、強い信念を以ってすれば、成し遂げられないものはない。
そうでしょうか。
確かに努力と信念が大事であることは認めます。努力なくして物事を成就した人はいないでしょう。強い信念なくして,道を開いた人はいないでしょう。
しかし誰よりも強い信念を持って、誰よりも努力をして、成功一歩手前まで行きながら、すべてを失った人を知っています。まるで努力をあざ笑うかのごとく、その人から、ことごとく運が逃げて行ってしまったのです。
「それは本人が思っているだけで、努力が足りなかっただけだ」
そう言うのは簡単でしょう。しかしその人は二十代前半でその部門で全国のほとんどトップになり、三十年近く前、年収一億も夢ではなくなっていたのです。
そのすべてが、たった一つの圧力から崩れ去ってしまい、多額の借金を抱える事になってしまうのです。
「努力と信念では、人生は語れない、つまるところ人生は『運』だ」
その人は言います。だから今、その『運』をつける努力をしているのだ、と。
『運』がなければ、何をしても空回りしてしまう、結局は究極の敗北の生涯になってしまう、と。
「人生賭けてはずれくじを引き続ける、と言うことかな。それもたいした努力だけどね」
「その『運』をつける方法は?」
そう尋ねると、その人はこう答えるのです。
「正しい『因果の理法の軌道』に乗ること。それ以外に『運』の良い人生を生きることは出来ないだろう」
『今日本国の法華経をかたきとしてわざわいを千里の外よりまねきよせぬ、此れをもつてをもうに今又法華経を信ずる人はさいわいを万里の外よりあつむべし、影は体より生ずるもの法華経をかたきとする人の国は体にかげのそうがごとくわざわい来るべし、法華経を信ずる人はせんだんにかをばしさのそなえたるがごとし。(十字御書 1492頁)』
Mさんは芥川賞作家。文筆の専門家をして、天才、百年残る作家、と言わしめるほどの人です。その文体は素直で、誰が読んでも分かりやすく、しかも味わい深いものがあります。確かに氏の言われるように、小学生でも読める文章、には違いありませんが、その奥にたどり着くには、どれほどの人生の深さが必要なのか、といつも考えさせられるのです。
そのロングインタビューの三回目に、氏は実に興味深い事を言っていました。
「人柄とか、人格に関係なく、ある時、人は地獄行きの軌道に乗る事がある。平たく言えば、『罰が当たった』と言うことかな」
氏のお父上の生涯をさして言われた事でしょうが、あまりにも衝撃的な言葉でした。
さらにインタビュアーの質問、
「それは言葉に出来るものですか?」
氏は、いとも簡単に答えられました。女房を不幸にした瞬間に、その軌道に乗った、と。
「当たっているかどうかはともかく、因果と言うものがあるのなら、私はそう考えています」と……。
氏の言葉そのままではありませんが、厳しい言葉だ、と思いました。
人は人を不幸にした瞬間、自らの幸福の道を閉ざす。それが因果の理法であるのなら、何を以ってその判断をすればいいのか。
重い課題です。
多くの場合、人は努力と信念、と言います。良くならないのは努力が足りなかったからだ、強い信念を以ってすれば、成し遂げられないものはない。
そうでしょうか。
確かに努力と信念が大事であることは認めます。努力なくして物事を成就した人はいないでしょう。強い信念なくして,道を開いた人はいないでしょう。
しかし誰よりも強い信念を持って、誰よりも努力をして、成功一歩手前まで行きながら、すべてを失った人を知っています。まるで努力をあざ笑うかのごとく、その人から、ことごとく運が逃げて行ってしまったのです。
「それは本人が思っているだけで、努力が足りなかっただけだ」
そう言うのは簡単でしょう。しかしその人は二十代前半でその部門で全国のほとんどトップになり、三十年近く前、年収一億も夢ではなくなっていたのです。
そのすべてが、たった一つの圧力から崩れ去ってしまい、多額の借金を抱える事になってしまうのです。
「努力と信念では、人生は語れない、つまるところ人生は『運』だ」
その人は言います。だから今、その『運』をつける努力をしているのだ、と。
『運』がなければ、何をしても空回りしてしまう、結局は究極の敗北の生涯になってしまう、と。
「人生賭けてはずれくじを引き続ける、と言うことかな。それもたいした努力だけどね」
「その『運』をつける方法は?」
そう尋ねると、その人はこう答えるのです。
「正しい『因果の理法の軌道』に乗ること。それ以外に『運』の良い人生を生きることは出来ないだろう」
『今日本国の法華経をかたきとしてわざわいを千里の外よりまねきよせぬ、此れをもつてをもうに今又法華経を信ずる人はさいわいを万里の外よりあつむべし、影は体より生ずるもの法華経をかたきとする人の国は体にかげのそうがごとくわざわい来るべし、法華経を信ずる人はせんだんにかをばしさのそなえたるがごとし。(十字御書 1492頁)』
『成功は、7割が運で、3割が努力です。』
こう言ったのは、かの「経営の神様」松下幸之助翁です。
翁は、若い時は汗と油にまみれて、自転車の発電ランプを、奥さんと作っていました。それこそ朝から晩までランプ作りに没頭していました。
その翁が成功したのは、二股ソケットの発明だと言われています。
昭和20年代から30年代迄は、一般家庭に蛍光灯はなく、まだ電球が照明の全てでした。ですから電球を差し込むソケットに、他の電化器具も使えるような、差込口をつけた「二股ソケット」は飛ぶように売れました。
これが天下の「松下電器」の礎になったのです。
そして、古くからあった東芝、日立を凌いで、家電業界のトップに躍り出たのです。ですから、その間の松下電器は、ある意味では“なりふり構わず”成長への路線を突っ走っていきました。
聞くところによると、ある調査の結果、今の経営者の6割り以上が翁を手本にしたいと考えているそうです。
でも、経営者たちは、画竜点睛を欠いています。
それは、翁が最も尊敬し、敬愛したのは池田先生だからです。
「もし若返ることができるなら、全財産を投げ出そう、若返って池田先生の下で、誠心誠意仕えたい」とは知る人ぞ知る有名なエピソードです。
この幸之助翁のような気持ちを持った経営者は、今、日本に何人いることでしょうか?
先生を敬愛し、尊敬し、その理念を実践する人こそが福運をつけ、人生の勝利を謳歌することができる、と。
ちょうど、霊鷲山に近づく鳥は金色に輝くといわれる如く・・・。
皆さん、こんにちは。
一言述べさせて下さい。
齋藤さんが言われるその松下幸之助氏はこうも言っています。
「運が良いのも、悪いのも、全ては自分の考え方次第。本来運なんてものはなく、自分が運が悪いと考えるから不幸になる。好ましくないことも、自分に何かを気付かせるために起こるのだと考えるのが肝心で、全てをプラスに考えれば幸福になれる」と。
本来「運」なんてものはないそうです。
少し名言を書いておきますか。
「この世に運などない。全ては試練、刑罰、保証ないしは先見である」
フランスの哲学者ヴォルテール
「幸運といい、不運といい、それは後になって言えることである。ただ自分がよいと思うところを現実の条件から裏付けし、
あとは勇を鼓して一歩踏み出すだけである」
東映の事実上の創業者大川博
「人間は、自分が他人より劣っているのは能力のためでなく、
運のせいだと思いたがるものだ」
帝政期ローマのギリシア人著述家プルタルコス
あなたのような考えをされる方もいて当然だと思いますし、あなたはそう考えて生きていかれればよろしいと存じます。
あえて否定はいたしません。
過去の偉人達の箴言も、決して否定はしません。それによって救われた人も確かにいたでしょう。
しかし私たちは、体験的に『運』の重要性を感じているのです。
『運』の切れた人生がどのようなものかは、体験しないと分からないでしょうし、『運』に恵まれた人生も、体験しないと分からないでしょう。
ただ、努力と信念では、どうにもならなかった人も、確かにいるのです。
この現実は変えられません。
運まかせは、あなたまかせになり、他力本願になってしまって我々「池田門下」の生き方とは少し違いますね。
でも、運が良かったということは、よく耳にします。
元公明党衆議院議員だったO氏は、あの1985年8月12日に起きた日本航空墜落事故の飛行機(123便=東京―大阪)に乗る予定でした。ところが飛行機に搭乗する直前になって、電話が掛り、党本部へ戻り、難を免れました。坂本九さん はじめ520名の方々の尊い命が、群馬県・御巣鷹山の尾根に散った悲惨な航空機事故です。大阪ではO氏が居るとその話題になります。ご本人もよくそのことを話されますよ。“信心していて、運がよかった”と。
市丸さん、斉藤さん、ありがとうございます。
すいません。言葉足らずで不快な思いを与えてしまったのであればお詫びします。
他者の言葉だけ羅列して、自分の言葉でコメントしていませんでしたね。
自分も「運」はあると思います。
斉藤さんのお話しと少し似るところはありますが、友人が脳梗塞で倒れ、救急車で搬送されている際、病院が決まらずたらいまわしにされそうになっていた時に、大学病院から緊急の手術が終わったから受け入れると連絡が入りました。あと、5分連絡が遅れていれば隣の市に行っていたところでしたので助かっていたかどうか分からない状況でした。これもひとつの運なのかなとは思います。これは努力や信念ではどうにもならないことですから・・・。
ただ、自分が素晴らしいと思っている人、例えば「イチロー」はものすごい記録を打ち立て続けている人物ですが、こう言っているのです。
「運では決しない。小さいことを積み重ねるのが、とんでもないところへ行くただひとつの道だと思って努力を続けるだけ」だと。「結果が出ないとき、どういう自分でいられるか。決してあきらめない姿勢が、何かを生み出すきっかけをつくる」「今自分にできること。頑張ればできそうなこと。そういうことを積み重ねていかないと、遠くの大きな目標は近づいてこない」。
運に左右されずただひたすらに努力し続ける彼の姿から学ぶところが多かったので、コメントを入れさせてもらったのです。
創価学会が嫌いなわけではないです。
今後、縁あって私を呼ぶ時は、『日々』で結構です。
それが、私の愛称になっているもので・・・。
で、不躾な質問で申し訳ございません・・。
『>創価学会が嫌いなわけではないです。』
とありますが・・貴方は、俗に言う
『内部』の方ですか?『外部』の方ですか?
それによって、対応が違ってきますよね!皆さん(と、問いかけてみる・・・)。
で、、、柿本さんは、ここの常連さんだったのでか・・・??
その辺を、明確にしてもらいたいなあ・・。
少なくとも・・2008-02-09 19:07:49の市丸さんの、柿本さんに対するレスが、ここでの対話の全てだと思いました。
(以下、引用)
『あなたのような考えをされる方もいて当然だと思いますし、あなたはそう考えて生きていかれればよろしいと存じます。』
この言葉が、全てです。
その軌道に乗る為には大変に難しい。本当に難しい。
人は最終的には自分の勘一本で、この目に見えないものに嗅ぎつけ、辿りついていくものだろうか?。どうなのだろう?。
そんな気がする。
あるものに向かって、その、あるものも全く分かってない知らない無知な状態ながら、旅を続けているかのようにも思ったり。
運は流れている。
それだけは絶対の確率で感じます。ただ、その軌道に乗れるかどうか。
嗅ぎつけられるかどうか。
自分の生命一本にかかっているのでしょうね。
イチローさん他の方々の書き込みに感謝申し上げます。
全く、その通りですね。
ただ、私はそのように努力し続けられたこと自体が運だと思います。
それらの偉大な方々も様々な縁があったと思いますし、また、そのように成りうる因もあったかと思いますから。
生まれながらにして、皆、平等ではありません。また育っていく過程も違います。
50代60代ともなると天と地の差です。
よい友人や先輩、先生に出会った。悪い友人に出会った。けれども自分は気付かなかった。よい書物に出会った。よい環境に出会った。悪い環境だったけどそれをバネに善い環境に変えられた。それは誰かの激励があった。
きりがないので、この辺りで止めておきますが、長いスパンで考えてみても宜しいのではないでしょうか。
そのような思考から私は目に見えませんが道というものがあり、善い軌道、悪い軌道というものがあるように思います。
広い会館もギュウギュウで全員中に入れず,入り口から人がはみ出たまま,連れて行った女性も「すごい人ですねぇ・・・」と
本題は「健康と仏法」なのですが,寄り道バンバン.その寄り道の話が面白かったです.
ただ信心しているだけで祈りが叶うのを願うような,どこか他人任せの様な信心を「戸田先生は乞食の信心と言って,非常に厳しく指導された」と言われて,
なんとも「御僧侶の祈りがあるから・・・」など,坊さんをありがたがって居る,宗門信心の事をいっている様にも思えました.
運命はあくまでも自分で祈って自分で開く,そして,さらに森田Dr.部長は「人の為に祈るのが何よりも尊い」と・・・
自分の運命だけでなく,人の運命にも積極的に関わっていく.そんな信心がこの創価学会では当然のこと.改めて素晴らしいと思いました.