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第12回 ハイキングに行こう! 丹生山田の里文化財コース

2017-03-30 19:34:07 | ハイキングに行こう

2017年3月25日(土)午前10時神鉄谷上駅集合 晴れ 9名

     
10時10分 神鉄谷上駅を出発     


①寿福寺(じゅふくじ) 高野山真言宗
天平6(743)年に行基によって開かれたと伝えられる高野山真言宗の古寺。18世紀後期に建てられた茅葺(かやぶき)の庫裏(くり)が市登録有形文化財になっている。また、本尊の木造薬師如来立像は県の重要文化財に指定されている。

          
谷上駅から20分寿福寺着

     
10時30分 お茶、甘酒、瓦せんべいなどの接待を受けた。・・・拝観料などないのに感謝します。


     
住職が所要でご不在のためお寺の総代さんが仏像などの説明をしてくれました。・・・感謝!  

     


   

     
宮前君が「ここ僕の叔母さんのお寺や!」と檀家さんだそうです。 驚くことはこの後農村歌舞伎舞台でも。

     
戦国時代末期、丹生山明要寺との関係上三木合戦の時豊臣秀吉により焼き討ちにあった為、江戸時代以前の記録はないが村人(檀家)が土に埋めて仏像を守った。

      
18世紀に建てられた茅葺の庫裏は市登録有形文化財になっている。



②天彦根神社・下谷上農村歌舞伎舞台(あまつひこねじんじゃ・しもたにがみのうそんかぶきぶたい)
天彦根神社は下谷上の村社で、毎年1月第2日曜日に弓引き神事が行われる。境内にある歌舞伎舞台は、天保11(1840)年再建との記録がある国の重要有形民俗文化財。回り舞台などの舞台機構の精巧さは他に類をみない。特に、花道の一部が反転して橋が出てくる仕掛けは全国唯一のもの。

     
寺から10分 山田中学校隣に天彦根神社・下谷上農村歌舞伎舞台がある。

     
地元の田中様たち数名の方が先に来られて舞台を開放してくれました。・・・感謝・・・

     
壁に書かれている名前を見て宮前君驚く!・・・彼の叔母さんの名前が出ています。・・・地元で活躍されているんですね!


     
地元の田中さんと古典芸能の仕事をしている塩さんの解説がありました。
「奈落の底」も見ました。



      
塩さんが外のお客様座る所を指さし草が生えているところから「芝居」と言われるようになったと説明・・・芝居の始まりを見たような感動。



③栗花落の井(つゆのい)
丹生山田に住む郡司・山田左衛門尉真勝は、右大臣の娘・白瀧姫への恋に苦しんでいた。彼の人柄に感心した淳仁天皇は、姫を真勝のもとに嫁がせた。姫の没後、真勝が弁財天の社を建て供養すると、水が湧き出した。毎年栗の花が落ちる頃に水が湧くので、真勝は「栗花落」と改姓したという。

      
途中のサンクスでトイレをお借りしました。

      
早春の田園風景を見ながら40分ほど歩くと「栗花落の井」に到着。

     
ここはハイおじさんから「栗花落の井と白滝姫」の解説や新説がありました。

   
栗花落氏の家は地元の人に聞きますと最近まであったそうです。 


④新兵衛石(しんべえいし)
1770年頃、領内巡見中の下総古河藩主・土井大炊頭の前に、石の陰から庄屋の子、村上新兵衛が突然とび出して、村の実情を訴えた。直訴は大罪であるが、大炊頭は少年の勇気をたたえ、罪を問わず、年貢の軽減も聞きとどけた。村人はこの石を「新兵衛石」と呼び、少年の勇気の記念とした。

      
安全なあぜ道を歩く。(下見で発見)

      
のどかな田園風景から想像もできないが、庄屋の子供が命を懸けて直訴しなければならないほど困窮した時代があった事。
山田文化が栄えたこの地に「新兵衛石」がある事を今の時代に生きる私達の心に留めておかねば!

      

      
無動寺へ坂道を登る。



⑤無動寺(むどうじ) 高野山真言宗
聖徳太子の創建と伝えられる古刹。本尊の大日如来座像は高さ278.5cmの檜一木造。その他、平安初期から藤原期の特徴を示す釈迦如来座像、阿弥陀如来座像、十一面観世音菩薩立像、不動明王座像と併せた5体の仏像と、境内の若王子神社本殿が国重要文化財に指定されている。
      
コケむした階段。 コケるなよ

   

      
無動寺で拝観(300円)。 住職に解説をお願いしました。
ここのお寺は幸い豊臣秀吉に攻められなかったので、国指定重要文化財5体、県指定重要文化財1体があります。


     
裏山の若王子神社本殿は国指定重要文化財になっています。 必見。


⑥六条八幡宮(ろくじょうはちまんぐう)
丹生山田の総鎮守社。平安中期の創建と伝えられ、本殿は貞享5(1688)年再建。源為義が京都六条の左女牛八幡宮を分霊合祀したためこの名がついた。文正元(1466)年建立の三重塔は、境内にあった神宮寺である円融寺の塔で、国の重要文化財。毎年10月には流鏑馬神事が行われる。
      
無動寺から20分で六条八幡宮

      
毎年10月、ここで流鏑馬が行われる。


      
神社に三重の塔?  明治の廃仏毀釈で神宮寺は無くなり塔だけが残った。



   
この三重の塔は地元の有力者、鷲尾氏が建てた。 鷲尾氏は義経が一の谷合戦に行く道を案内した事で名をはせた。   


     

     
記念撮影   ここから七社神社へ


⑦七社神社(しちしゃじんじゃ)
もとは丹生山にあったと伝えられる。石の大鳥居は元禄16(1703)年のもので、石造の鳥居としては地域で最も歴史がある。 また、社殿は室町期の建築様式を残す、山田地区で最大のもの。 左右に天満神社、天一神社を従える。毎年10月の流鏑馬神事は、こちらで行われた後に六條八幡宮に移動する。


      
神鉄五社駅の5社神社(5社の神社を合祀しているが現在は1社ふえた。)と同じで7社の神社を合祀している。
毎年10月に流鏑馬が行われる。  一人が3往復する。
その後、その日のうちに六条八幡宮に移動して流鏑馬が行われる。


      
七社神社の入口、鳥居のそばに「うどんや浦商」がある。


      
ここに名物?「おかあさん」がいる。 二つお餅の入った「ぜんざい」がなんと200円。 しかもおいしい!!
おかあさんはよくしゃべるがご主人は一言もしゃべりません。・・・「夫婦ってうまくできてるね!」と皆が納得!
牡丹鍋もありますがここは珍しい地元で取れた猪肉の「焼肉」が食べられます。(3月まで) 
「うどんや浦商」毎週金曜日は定休日  連絡先 携帯 090-1594-1081 予約をして下さい。


⑧丹生神社宝物殿(たんじょうじんじゃほうもつでん)
丹生山にある丹生神社と、552年創建と伝えられる明要寺(廃仏毀釈により廃寺)の宝物が収められている。福原京に遷都した平清盛も参詣したといわれ、平安末期には幾多の伽藍を構えていた明要寺の偉容を伝える「明要寺全図」や、豊臣秀吉・小野道風の書などが納められている。


地元の話では、豊臣秀吉が要明寺(丹生神社)を攻める時、村人に後々再興する時に必要な大事な物を隠すようにと伝えられているものを宝物殿に収められている。 毎年5月五日に開帳されるそうです。
 

⑨箱木千年家(はこぎせんねんや)
大同元(806)年建築という記録があることから「千年家」と呼ばれるが、室町時代中期に建設されたと考えられる。入母屋造りの平屋建てで、国の重要文化財。部屋が畳割りではなく板敷き、柱間が一定でない、前後の部屋境に板壁が入るなどの特徴がある。呑吐ダム建設に伴い現在の場所に移築された。


      
七社神社から30分。 箱木千年家へ。

      
箱木さん個人の所有で40年ほど前・・・吞吐ダム水没以前まで住んでおられたそうです。


      
30分ほで民俗資料など見る。




16時4分発 神鉄箕谷駅へのバスに乗り解散しました。  
皆様お疲れ様でした。


写真:橋川君、梶谷さん、ハイおじさん  記:ハイおじさん

参考文献:NHK新兵庫を歩く。 寿福寺、無動寺、下谷上農村歌舞伎、箱木千年家、山田町誌(新・旧)など
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