ロイヤルモータースとその仲間たち

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近つ飛鳥」という地名は

2010-03-12 22:58:12 | ハイキングおじさんの「ひとりごと」

近つ飛鳥風土記の丘 入り口の案内図(丸い点が一基15mの円墳・一部方墳もある)
102基の古墳を見ると壮観です。


「近つ飛鳥」という地名は、712年口述筆記された「古事記」に記載がある。履中天皇の同母弟(後の反正天皇)が、難波から大和の石上神宮に参向する途中で二泊し、その地を名付けるに、近い方を「近つ飛鳥」、遠い方を「遠つ飛鳥」と名付けたというもの。「近つ飛鳥」は今の大阪府羽曳野市飛鳥を中心とした地域をさし、「遠つ飛鳥」は奈良県高市郡明日香村飛鳥を中心とした地域をさす。
「近つ飛鳥」の地は、難波の津と大和飛鳥を結ぶ古代の官道──竹内街道の沿線にあたり、周辺には大陸系の遺物を出土する6世紀中葉以降の群集墳が広がっている。
 また、南部の磯長谷には、敏達・用明・聖徳太子・推古・孝徳の各陵墓指定地など飛鳥時代の大古墳が集まっていて、俗に王陵の谷とも呼ばれている。
「新撰姓氏録」によると、当地周辺には百済系(飛鳥戸造、上曰佐)、新羅系(竹原連)、中国系(下曰佐、田辺史、山代忌寸)の渡来系氏族が居住していたという。

「近つ飛鳥博物館ホームページより」


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