安倍晋三がどう否定しても参院選前支給1人3万円・総額3600億円の臨時給付金は選挙対策、バラマキ

2016-01-07 10:32:19 | 政治


 昨日2016年1月6日、衆院本会議で各党代表質問が行われ、民主党の岡田代表が今年度の補正予算案に盛り込まれた所得の低い高齢者などに1人3万円を支給する臨時給付金を「バラマキの選挙対策だ」と批判し、安倍晋三がバラマキでないと反論したと「NHK NEWS WEB」記事が伝えていた。 

 双方の発言を記事の中からと記事添付の動画から拾ってみた。

 岡田克也「1人3万円、総額3600億円は参議院選挙直前の5月6月に配られると言います。国民の税金を使ったバラマキの選挙対策です。断固やめるべきだと考えます。バラマキ政治の最大の被害者は若者であり、補正予算案はその典型だ」

 安倍晋三「GDP=国内総生産600兆円の実現に向け、今年前半にかけての個人消費の下支えのため、経済の下振れリスクにも対応することが必要です。

 現役世代には賃金引き上げの恩恵が及びやすい一方、そうした恩恵が及びにくいのは高齢者です。アベノミクスの果実を活用し、低所得の高齢者に給付金を支給することにしたものだ。バラマキとの指摘は全く当たりません。ましてや選挙対策という批判は全く的外れであります」

 バラマキか、バラマキではないのか、その判断基準は一過性の恩恵か、持続性ある恩恵か、あるいは対処療法的恩恵か、原因療法的恩恵かで決められるべきであろう。

 支給対象者はそれ以上収入が増えることのない限られた少額の年金でカツカツの暮らしを強いられている高齢者である。そういった高齢者に対して1回限りの一時金でしかない3万円を支給する。

 3万円を使ってしまえば、元のカツカツの生活に戻る、いわば持続性は皆無の一過性の恩恵であり、原因療法とは無縁のいっときの対処療法的恩恵に過ぎない。

 つまり3万円は3万円の購買以外は何も生まない。中には3万円を元手としてパチンコや競輪・競馬等、ギャンブルに注ぎ込んで、何倍にも増やそうとする者が存在したとしても、殆どは失敗して、その多くが3万円を一時的に手にしただけで終わるという結果を招くのは目に見えている。

 当然、一過性であり、その場限りで持続性を持たないという点で対処療法の価値以外を与えることはできないことから、バラマキ以外の判断を下すことはできない。

 但し一過性のバラマキでしかなくても、低所得の高齢者が担うことになる消費動向次第で景気に一定程度の効果を与えることはできる。

 限られた少額の年金で計画的に堅実な生活を送らなければならない多くの高齢者はそうしなければたちまち生活そのものが破綻してしまうことを知っていて、今ある生活の規律を頑固に守ることを余儀なくされているだろうから、私自身の経験をも加えて言うと、臨時給付金が一時金という一過性の支給であることを弁えて、一度に消費してしまうことはせず、貯蓄に回して普段通りの生活を送り、臨時の出費が生じたときに、と言っても、元々全体的な生活資金の規模自体が小さいから、臨時の出費にしても大した額ではないはずで(大した額なら対応困難となる)、僅かずつ当てて、元々の自分のカネからの出費でないことにほんの少しの有り難みを感じる程度の消費動向で終わる可能性が高い。

 この証拠として、ソフトブレーン・フィールド社が2015年12月17日に公表した主婦中心の同社サービス登録者814名(平均年齢45歳)を対象に行った平均額63万9668円の夫の冬のボーナスについてのアンケートでの用途は「貯蓄に回す」が80.8%(複数回答)と圧倒的多数を占めていることを挙げることができる。  

 ボーナスの平均額63万9668円の現役世代でさえも貯蓄に回して将来的な臨時の出費に備える。ましてや少額の年金でカツカツの生活を送らざるを得ない高齢者が余程の必要を感じない限り、一度に使い切ることができるだろうか。

 少ない年金を日々僅かずつ支出していく生活を送っていく。既にそのような金銭感覚に慣らされているのである。

 つまりその多くが一度に使ってしまうのは勿体無くて、可能な限り使い切ることを先延ばしにする。

 このような生活状況にある低所得高齢者への一時金でしかない1人宛3万円を、例え総額で3600億円になろうと、安倍晋晋三は「GDP=国内総生産600兆円の実現」という大きな計画の一部に加える、あるいはすぐに使うのかどうかも分からないし、例え使ったとしても3600億円を税金から支給して「今年前半にかけての個人消費の下支え」に役立てようと策す。あまりにも姑息的に過ぎ、誰が正攻法だと評価するだろうか。

 夏の選挙のための急の間に合わせだから、勢い正攻法とは縁遠い姑息な手段に走ることになる。

 もし安倍晋三がバラマキでもない、選挙対策でもないと言うなら、低所得の高齢者に3万円を使い切った以後も生活に何かしら余裕を与える持続性を保証しなければならない。

 安倍晋三がどう否定しようとも、3万円を使い切ったら、元の苦しい生活に戻るようでは、一過性のバラマキそのものであろうし、その目的は選挙対策以外にないことになる。

 岡田克也と安倍晋三の代表質問での遣り取りはバラマキであるか否かを決める判断基準に則って応酬したわけでもなく、前者が単にバラマキだと批判し、後者がその批判に応じてバラマキでないと反論した芸のないものであった。

 いつまでも同じことを繰り返しているようでは安倍晋三を追い詰めることはできない。

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安倍晋三の相も変わらず都合のいい情報のみを得々と吹聴する自己宣伝満載の2016年年頭記者会見

2016-01-05 11:21:00 | 政治


 1月4日午前、安倍晋三が首相官邸で年頭記者会見を開いた。

 安倍晋三「この3年間で雇用は110万人以上増えました。17年ぶりの高い賃上げも実現し、景気は確実に回復軌道を歩んでいます。昨年は、青森、秋田、徳島、高知、福岡、熊本、沖縄の7つの県で有効求人倍率が過去最高を記録し、地方創生も着実に進んでいます。

 東北では次々と住宅が完成し、被災者の皆さんの入居が進んでいます。新しい産業の芽も育ち、一歩一歩復興は進んでいます」――

 「この3年間で雇用は110万人以上増えました」といった自身の経済政策アベノミクスの成果を得々と誇るのは毎度のこと、お馴染みの光景となっているが、《2015年7~9月期平均(速報)》によると、正規社員3329万人に対して非正規社員は1971万人。正規社員と非正規社員の割合が2人に1人を割って、1.689人に1人となっていて、非正規の割合が増え、「17年ぶりの高い賃上げ」にしても大企業の正規社員中心の賃上げであって、その分賃金格差を受ける非正規が増加していることになる。  

 だが、そういった自身の経済政策の成果を損なう情報は決して表に出さない。出さずに成果を得々と誇ることができる神経は相当なものである。

 この都合の悪い情報は隠して都合のいい情報のみを表に出して得々と吹聴する自己宣伝手法は冒頭発言の最後の方で紹介して、自身に擬(なぞら)えさせようとしているエピソードにより象徴的に現れている。

 安倍晋三「300年前の丙申(ひのえさる)の年、暴れん坊将軍として皆さんも御存じの徳川吉宗が8代将軍となりました。財政の建て直しを始め、様々な改革に挑戦した将軍として有名でありますが、それだけではありません。

 江戸の各地に桜の苗木を植えました。幕府では、反対の声もあったそうでありました。しかし、将来花が咲くようになれば貧しい村々にも人々が集まり、豊かになるに違いない。その信念の下に、未来への投資を行った。苗木を植える『挑戦』を続けたそうであります。

 そのおかげで、300年後の私たちも花見ができる。春になれば、桜の名所は人でいっぱいになります。

 昨年、岩手を訪れた際、津波の被害を受けた沿岸部に桜の苗木を植える活動を行っている若者たちと出会いました。苗木はすぐには花をつけません。しかし、その努力を続けることで、数年先には花をつけ、10年後、20年先も人々が満開の花の下に集い、津波の教訓を語り継いでいってくれることでありましょう。

 私も、日本の将来をしっかりと見据えながら、『木を植える』政治家でありたい。それが如何に時間がかかり、いかに困難な挑戦であったとしても、「一億総活躍」の「苗木」を植える挑戦をスタートしたいと思います。「一億総活躍・元年」の幕開けであります」――
 
 「『木を植える』政治家でありたい」という言葉が示すとおりに名君と名高い徳川8代将軍徳川吉宗に自身を擬えさせようとしているのだろうが、自身に都合の良い情報のみを取り扱おうとする性格的傾向が都合の悪い情報にも触れなければならない意思を失わせて、情報提示に関して狡い立ち回りを習い性としてしまったに違いない、徳川吉宗が行った享保の改革にも負の面があり、それが国民の生命・財産に悪影響を及ぼした失政を含んでいる以上、調べ上げて公平に扱わなければならない情報であるが、そのような公平を図ろうとする態度は決して取らずに自己宣伝に努める。

 例え年頭記者会見発言がスピーチライター作であったとしても、自身が目を通して内容として込めてある情報の的確性を判断しなければならないのは安倍晋三自身であるから、発言の妥当性の判断の全責任は安倍晋三が負っている。

 私自身は享保の改革に詳しいわけではない。物事にはプラス・マイナス、長所短所があると思っているから、ネットで調べてみた。

 先ず「Wikipedia」から在任期間の1716年から1745年の享保年間にどのような改革を行ったか見てみる。

 定免法や上米令による幕府財政収入の安定化、新田開発の推進、足高の制の制定等の官僚制度改革。公事方御定書を制定しての司法制度改革、江戸町火消しの設置、悪化した幕府財政の立て直し、大奥女中の4000人から1300人への人員整理改革、庶民の声を聞く目安箱の設置、小石川養生所の開所、洋書輸入の一部解禁(のちの蘭学興隆の一因となる)等々。

 「足高の制」とは、江戸幕府の各役職には各々禄高の基準を設けられていたが、それ以下の禄高の者が就任する際に在職中のみ不足している役料(石高)を補う制度とのこと。
 
 「公事方御定書」(くじかたおさだめがき)とは、「江戸幕府の刑事関係成文法規。8代将軍徳川吉宗のとき,寛保2 (1742) 年,三奉行が中心となって作成。上巻に司法警察関係の法令 81通を収め,下巻に刑法,刑訴,民訴など実体法,手続法103条を収めてある」 (ブリタニカ百科事典)とのこと。

 「上米令」とは上米(あげまい)の制のことであり、〈江戸幕府8代将軍の徳川吉宗が享保の改革の際に出した制度。 大名に石高1万石に対して100石の米を納めさせる代わりに、参勤交代の際の江戸在府期間を従来の1年から半年に短縮した。〉(Wikipedia)とある。

 だが、年貢を家宣・家継時代の四公六民(4割)から五公五民(5割)に引き上げた上に「定免法」の導入によって農民の生活を圧迫し、百姓一揆の頻発を招いたと言われている。

 「定免法」とは、田畑の作物の出来高に応じて年貢高を決める検見法を廃止し、〈過去数年間の平均収量を基準にして一定期間の貢租を豊凶にかかわらず定額にする〉(コトバンク)年貢制度のことを言う。

 また、吉宗採用の「五公五民」について、〈建前上は1割の上昇だが、四公六民の時期において実質は平均2割7分6厘程度の負担だったため、引き上げの際の再計算で実質的に5割の負担が課せられたため、2倍近い増税となった。あわせて定免法が採用された時も、特に凶作時においての負担増につながった。この結果、人口の伸びは無くなり、一揆も以前より増加傾向になった。次の家重時代には、建前上は五公五民の税率は守られたが、現場の代官の判断で実質的な減税がなされている。〉という記述が「Wikipedia」にある。

 「近世の百姓一揆について」なるネット記事から享保年間(1716年から1745年)と宝暦期を含む50年間の一揆の発生件数(赤文字個所)を見てみた。ワード文書であるために、アドレスを引き出すことができなかった。
 その記事には、〈上記の表のとおり、各時代によっても各形態によっても発生件数にかなりのばらつきがあるように思える。全体を通していえるのは、江戸期の発生件数は時代を追う毎に増加しているが、④享保期を境として前後に二分されている点だろう。また、蜂起が一度は減少しているのに再度増加しているというのも面白い点といえる。〉との解説が載っている。

 但し1732年(享保17年)夏の梅雨からの長雨が約2ヶ月間にも及び冷夏と害虫発生をもたらし、餓死者12000人も出した享保の大飢饉が一揆の数に影響もしているだろうが、影響の背景として四公六民から五公五民へ実質5割増しを課すことになった重税と定免法があったことは無視できないはずだ。

 一揆だけではなく、農村から集団で計画的に田畑を捨て、江戸などの都会に逃げる「逃散」が跡を絶たなかったと言うし、年貢を満足に払えず、借金をこしらえて、その借金も満足に返済することができずに個人的に土地を捨てて村を逃げ出す「逃げ百姓」、あるいは「走り百姓」も跡を絶たず、松平定信が寛政の改革に際して寛政2 (1790) 年に無宿人収容所として江戸石川島に人足寄場をつくらざるを得なかったのも、享保等の以前の時代から生活苦のために農村を逃げてきた百姓、その他が積み上がってきたことの証明でもあろう。

 松平定信は無宿人収容の人足寄場をつくる一方、人返しの法(旧里帰農令)を出して金子を与えて農村に戻るよう促しているが、効果がなく、都会に流れてくる農民の数は減らなかったと言われている。

 要するに享保の時代と言えども江戸時代に於いて人口の8割をを占めていた農民のうち、豪農と言われている豊かな農民が存在する一方で農業で食うことのできない農民、さらに収穫物の殆を年貢に取られて食うや食わずでカツカツの生活を強いられている農民が数多く存在する、そういった状況の格差社会であった。

 それを安倍晋三は徳川吉宗が桜の木を植林するエピソードを持ち出して享保の時代を色鮮やかに眩すといった自分に都合の良い情報のみで自己政策の宣伝に努め、なおかつそのような都合の良い情報でつくり上げた徳川吉宗という人物像に自己を擬えようとしてさえしている年頭記者会見であった。

 こういったエピソードに騙される国民はどれ程存在するのだろうか。ゴマンといて、秋の参院選では自民党にそれぞれ1票を投ずることになるのだろう。

 民主党がモタモタしているから、安倍自民党の大勝利は間違いない。

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安倍晋三自身に日韓慰安婦問題合意の「軍関与」認定は「河野談話」に立っているのか否か、明確にさせるべき

2016-01-04 10:06:35 | 政治
 


 日韓慰安婦問題合意を二度程ブログに書いた。似た内容となるが、今回は別の角度からさらに取り上げてみる。 

 2015年12月28日の韓国ソウルで行われた日本の外相岸田文雄とユン韓国外相による日韓外相会議で両国間に対立事項として横たわっていた従軍慰安婦問題が合意に至った。

 この合意は「共同記者発表」で、〈慰安婦問題は,当時の軍の関与の下に,多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり,かかる観点から,日本政府は責任を痛感している。〉と日本側が旧日本軍の関与と日本政府の責任を認定した内容となっていた。

 だが、岸田外相は「共同記者発表」後の記者会見で、軍関与と日本政府の責任認定は「従来から表明してきたもので、歴代内閣の立場を踏まえたものだ」とした。

 つまり安倍内閣が内閣として「歴代内閣の立場を踏まえる」として引き継ぐことを「従来から表明してきた」「河野談話」の歴史認識の範囲内での軍関与と日本政府の責任の認定であった、今回初めて認定したわけではないと岸田は発言したことになる。

 だが、安倍晋三は「河野談話」が認めている旧日本軍の従軍慰安婦強制連行を認めていない。

 と言うことは、安倍晋三自身が本心では認めていない「河野談話」を利用して、その範囲内で軍の関与と日本政府の責任を認定したことになる。

 安倍晋三は国会答弁や記者会見等の公式的な発言では「『河野談話』を引き継いできた歴代内閣の立場を安倍内閣としても踏まえる」としているが、同時に公式的な発言で「河野談話」を否定する二重基準を平気で侵している。

 2007年3月5日の参議院予算委員会。

 小川敏夫民主党議員「最近、総理は強制はなかったというような趣旨の発言をされましたか、この慰安婦の問題について」

 安倍晋三「その件につきましても昨年の委員会で答弁したとおりでございまして、この議論の前提となる、私がかつて発言をした言わば教科書に載せるかどうかというときの議論について私が答弁をしたわけでございます。

 そして、その際私が申し上げましたのは、言わば狭義の意味においての強制性について言えば、これはそれを裏付ける証言はなかったということを昨年の国会で申し上げたところでございます」

 小川敏夫民主党議員「この3月1日に強制はなかったというような趣旨の発言をされたんじゃないですか、総理」

 安倍晋三「ですから、この強制性ということについて、何をもって強制性ということを議論しているかということでございますが、言わば、官憲が家に押し入っていって人を人攫いの如く連れていくという、そういう強制性はなかったということではないかと、こういうことでございます」

    ・・・・・・・・・・・・

 小川敏夫民主党議員「一度確認しますが、そうすると、家に乗り込んで無理やり連れてきてしまったような強制はなかったと。じゃ、どういう強制はあったと総理は認識されているんですか」

  安倍晋三「この国会の場でこういう議論を延々とするのが私は余り生産的だとは思いませんけれども、あえて申し上げますが、言わば、これは昨年の国会でも申し上げましたように、そのときの経済状況というものがあったわけでございます。御本人が進んでそういう道に進もうと思った方は恐らくおられなかったんだろうと、このように思います。

 また、間に入った業者が事実上強制をしていたというケースもあったということでございます。そういう意味において、広義の解釈においての強制性があったということではないでしょうか」

 要するに「日本軍兵士が家に押し入っていって人を人攫いの如く連れていくと言った種類の狭義の強制性はなかった」と、「河野談話」が「慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担した」と認めている軍関与による強制性を否定、業者が行った「広義の強制性」、広い意味での強制連行は認めて、「『河野談話』を引き継いできた歴代内閣の立場を安倍内閣としても踏まえる」とする二重基準を国会答弁その他で同じ公式的な発言として行っている。

 つまり「河野談話」の従軍慰安婦に関わる歴史認識を否定しながら、安倍内閣として「河野談話」の歴史認識を歴代内閣同様に引き継ぐという自己撞着で成り立たせた二重基準を用いている。

 当然、安倍晋三に対して日韓合意の「軍関与」と日本政府の責任の認定は「河野談話」が認めてはいるが、安倍晋三自身が閣議決定もされていないとしている軍関与――いわば安倍晋三自身が否定し、非事実としている軍関与と日本政府の責任を指すのか、あるいはこれまで否定してきた「官憲が家に押し入っていって人を人攫いの如く連れていく狭義の強制性」をあったこととして認めて、「河野談話」に立った軍関与と日本政府の責任の認定なのか、明らかにするように迫らなければならない。

 もし前者であるなら、これまでの国会や記者会見等の公式の場での「河野談話」否定の発言はそれなりに整合性を保つことができるが、それでも公式的な場で「河野談話」の歴史認識を否定することは「歴代内閣の立場を踏まえる」とする、同じく公式的な場での発言と矛盾することになるし、後者なら、「河野談話」の歴史認識、従軍慰安婦連行の強制性を否定した2007年3月16日に閣議決定した政府答弁書を撤回しなければならないし、同じ趣旨で行った国会答弁や記者会見発言を撤回しなければ、過去の発言との整合性が取れないことになる。

 今こそ、安倍晋三の表向きの歴史認識のマヤカシを暴く絶好のチャンスではないだろうか。

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安倍晋三の首相就任の日を基準として在任期間から俯瞰した余りにも愚かしい被災地復興視点

2016-01-03 09:20:02 | 政治


 2016年1月1日の《安倍首相年頭所感》、被災地の復興に触れている。文飾は当方。 
 
 安倍晋三「あけましておめでとうございます。

 『石の上にも三年』

 東北の被災地では、災害公営住宅への入居が進んでいます。新たな産業の芽も育ち、復興は、新たなステージに移ろうとしています」・・・・・・

 被災地の復興に触れているのはこれだけである。

 最初「石の上にも三年」の言葉に触れたとき、2011年3月11日の震災発生から4年以上経ち、もうすぐ5年になるから、「三年」と言うのはおかしいではないかと思った。

 だが、その「三年」が安倍晋三の2度目の首相就任の2012年12月26日から数えた「三年」だと、蛍光灯さながらの頭の悪さで遅まきながら気づいた。

 「石の上にも三年」とは「冷たい石でも三年間座り続ければ暖まることから転じて、何事にも忍耐強さが大切だ」という意味の諺だが、つまり「長い期間忍耐強く取り組めば、願い事、あるいは目指すべき事柄は必ず成就する」ということを意味させているのだろう。

 それを自身が首相に就任した日を基準に3年経過しているから、そのまま諺の3年を掛けて、被災地の復興の進捗状況を「石の上にも三年」だと表現した。

 だが、被災者の親や子どもや親類縁者の死への痛み、行方不明者の生死に関わる極度の気がかり等を抱えた日々の生活や将来や健康に対する不安、日常生活の不便は2011年3月11日の被災以降から始まり、その多くの被災者が原状回復には程遠い途上にある。

 つまり被災者にとっての復旧・復興は2011年3月11日の被災以降を基準に開始され、どれ程原状回復に向かっているか、その進捗状況を見守り、計っている。

 当然、被災者から見たら、その多くが「石の上にも三年」はとっくに過ぎている。五年になろうとしているのに災害公営住宅への入居がどうにか進んでいる一方で仮設住宅に閉じ込められた状況や満足な職を得ることができない状況等が今以て続いている。

 にも関わらず、安倍晋三は2011年3月11日の被災以降を基準に復旧・復興を語らずに、いわば被災者が置かれている様々な状況を置き去りにして自身の首相就任の2012年12月26日を基準に「石の上にも三年」だと、自身のみの観点に立って進捗状況を俯瞰、復興を語る。

 ここに余りにも愚かしい自己中心の被災地復興の視点を見ないわけにはいかない。そういった自己中心の視点を安倍晋三は2016年の年頭早々にその所感で曝け出した。

 自己中心は「復興は、新たなステージに移ろうとしています」という言葉にも現れている。

 2013年の新年度スタートの4月1日、この日付で他省庁から異動させた約50人を加えた復興庁の全職員を前に根本復興相は訓示している。

 根本「この3カ月で復興庁の組織を見直したほか、昨年度の補正予算、今年度予算案の編成によって、復興の加速に向けた、大きな枠組みができた。これから大事なのは、具体的なテーマについて、一つ一つ問題を解決し、各省庁を大きく動かしていくことだ。

 これからが復興加速に向けた新たなステージだ。業務を円滑に継承して、思いを共有して仕事に取り組み、創造的に発展させてほしい」(NHK NEWS WEB

 「新たなステージ」は2013年4月1日に於いても既に始まっていた。この「新たなステージ」は例え民主党政権の復旧・復興の方法論を変えたとしても、全てマイナスとすることはできず、プラスもあるはずだから、民主党政権の復旧・復興を引き継いでもいる「新たなステージ」であり、安倍政権がなり変わって何もかも「新たなステージ」を築いていくという意味ではないはずだ。

 つまり民主党政権の復旧・復興と連続性を持たせてもいる「新たなステージ」であるはずである。

 もし連続性を持たせずに何もかも変えた新規と言うことなら、大混乱が生じたはずだ。
 
 安倍晋三は昨年2015年2月14日に岩手県及び宮城県下訪問、視察後記者団に発言している。

 安倍晋三「2年ぶりに大船渡市、そして、気仙沼市を訪問しました。

 そして発災前よりも生産性、効率性を向上させた水産加工業者の方にもお目にかかり、日本では最も高い水準の衛生管理設備を整えた魚市場を視察しました。

 また、新たにニット事業を立ち上げた女性の皆さんともお話をさせていただきまして、復興の担い手として頑張っている皆さんの活力を感じ取ることができました。

 そしてまた、気仙沼においては初めての災害公営住宅を視察をさせていただき、住民の皆さんのお話を伺いました。復興もいよいよ新たなステージに移りつつあるということを実感することができました」(首相官邸HP
 
 根本復興相が2013年4月1日に復興庁の異動を含めた全職員に向けて「これからが復興加速に向けた新たなステージだ」と言って、そのようなステージに移ったことを告げ、それから約2年近く後の2015年2月14日に安倍晋三が「復興もいよいよ新たなステージに移りつつある」と言う。

 さらに東日本大震災4年目を明日に控えた2015年3月10日の首相官邸での記者会見。 

 安倍晋三「東京電力福島第一原発の廃炉・汚染水対策についても、引き続き、国が前面に立ち取り組んでまいります。

 そうした中でも一歩ずつではありますが、復興は確実に新たなステージへと移りつつある。月1回のペースで続けてきた被災地訪問で、私はそのように感じています」――

 これらの他にも「新たなステージ」なる言葉を使っているはずだが、今回の年頭所感での「復興は、新たなステージに移ろうとしています」の言葉。

 何度「新たなステージ」を使う気なのだろうか。

 「新たなステージに移りつつある」、あるいは「移ろうとしています」という言葉はさも復旧・復興が次の段階に進んでいくかのような印象を与えるし、確かに復旧・復興は進んでいて、そのような言葉が国民に安心感を植えつけるに効果ある言葉でもあるだろうが、それがどれ程の進捗状況を持たせたどの程度の段階なのか、具体的な状況の見えない「新たなステージ」にとどまっているということは頭に描いているような進捗を図ることができないことからの常に同じ表現を使わざるを得ないからであろう。

 でなければ、同じ表現で説明を了とすることはできない。

 復旧・復興の国民への公式の説明を「新たなステージ」を常套句として自己完結させてようといる所に安倍晋三の自己中心を見ない訳にはいかないし、既に触れたように自身の首相就任の日を基準に復旧・復興を俯瞰する「石の上にも三年」の言葉にも見ない訳にはいかない自己中心で成り立たせた一国の指導者であるようだ。

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