安倍晋三、松井一郎等々の核保有軍事大国の核に関わる懸念材料が何かを特定できない想像力空疎な「核共有」欲求(2)

2022-03-31 09:01:09 | 政治
 国会や政党代表の記者会見等でも安倍晋三の「核共有」発言が取り上げられることになった。万が一あるかもしれない核の使用に対してどのような想像力を働かせているのか、結果としての核の取り扱いをどう考えているのか、いわば核防衛体制についての考えを見てみる。先ず国民民主党代表玉木雄一郎が2022年3月1日の党記者会見で安倍晋三の「核共有」発言に対する反応をNHK NEWS WEB記事が伝えている。国民民主党のサイトにアクセスしてみたが、「冒頭発言概要」しか紹介しいない。あとはYou Tube動画のリンク付を行なっている。サイトを覗く人間が少ないのかもしれないが、マスコミが発言を伝えることで具体的な発言内容を知りたくなる数少ない機会にも応えることができないとなると、自民党みたいに元々政党支持率の高いところはお構いなしとすることはできるが、政党支持率が低いところは漏れのないサービスに不足することになると思うが、そこまでは考えていないようだ。仕方がないから、NHK記事を参考にする。

 玉木雄一郎「非核三原則や平和国家の歩みからすると、(安倍晋三の「核共有」は)一足飛びの議論だ。唯一の戦争被爆国として核廃絶という大きな目標を掲げてやっていくべきだ。

 どのような形であれば、憲法が掲げる平和主義と反せずに核抑止が機能するのか、現実的な議論を積み重ねていくことが大事だ。特にこれまで議論を避けてきた、非核三原則の『持ち込ませず』の部分が、一体何を意味するのか、日米の具体的なオペレーションの在り方を含め冷静な議論を始めるべきだ」

 安倍晋三と同様に長い目で見た核抑止策として核使用の危険性の高い独裁者の排除に視点は置いていない。あくまでも“核に対するに核”の考えに立っている。唯一の戦争被爆国としての核廃絶というのは「大きな目標」だと言っているが、この「大きな」とは「最終的な」という意味を取るはずだ。核廃絶はあくまでも「最終的な目標」であって、そこに到達するまでには現実にある核の脅威を取り除いていくために「憲法が掲げる平和主義と反せずに核抑止」を機能させる方策の追求に取り組まなければならない。その方策として「非核3原則の『持ち込ませず』の部分」に注目している。非核3原則とは核兵器を「持たず、つくらず、持ち込ませず」を指すのだから、非核3原則と核の傘の関係からすると、日本に核攻撃の脅威が迫った場合は核攻撃の脅威を与えている国への核に対抗するに核の予防策としてアメリカ本土からの核弾頭搭載大陸間弾道ミサイル(ICBM)、太平洋上の原子力潜水艦からの核弾道ミサイル発射等が従来型の、いわば日本の外からの運用を方法としているが、当然、非核三原則の「持ち込ませず」が「一体何を意味するのか」と言っている意図は「持ち込ませず」を言葉通りに解釈せずに持ち込ませる方向への何らかの含みをそこに期待していることになる。

 もし言葉通りに解釈していたなら、あとの言葉、「日米の具体的なオペレーションの在り方を含め冷静な議論を始めるべきだ」を続ける必要性は生じない。玉木雄一郎が想定している核を持ち込ませる方向へ何らかの含みを持たせていることはその含みの持たせ方によって核の取り扱いは大きく変わる。高市早苗の次の記者会見発言についても同じことが言える。

 自民党政調会長高市早苗2022年3月2日の記者会見(「You Tube」から) 

 高市早苗「いわゆる核シェアリングという問題でございますけれども、これは昨日も申し上げましたが、民主党政権下だった平成22年3月、当時の岡田克也外務大臣が核を搭載した米国の艦船や航空機の我が国への一時的な寄港や飛来ということも念頭にしながら、外務委員会で答弁をされました、そのような緊急事態に於いて非核3原則をあくまでも守るのか、ま、それでも国民の生命の安全を考えて、異なる判断をするのか、それはそのときの政府の判断の問題であって、今からそのことについて縛ることはできないと考えているということでございました。

 その後平成24年(2012年)12月に我が党は政権復帰させて頂きましたけれども、平成24年2月14日の予算委員会に於いても当時の岡田外務大臣が行なった答弁を引き継いでいると答弁をしておられます。そして同月ですけども、質問主意書への答弁書としてこの岡田克也外務大臣当時の、まあ、この方針を安倍内閣としても踏襲する旨、閣議決定をして、答弁書と致しております。

 日本国政府は民主党政権以来、自公政権になっても、国民の安全が危機的状況になったときに非核3原則をあくまでも守るのか、それとも持ち込ませずの部分については例外をつくるのか、それはそのときの政権の判断するべきことであって、将来に亘って縛ることはできないという立場を重ねて表明してきております。

 あのー、持たず、つくらず、持ち込ませず、この非核3原則は例えば『持たず、つくらず』の部分につきましてはこれも皆様ご承知の通り原子力基本法ですとか、核不拡散条約、まあ、これを批准しておりますので、『持たず、つくらず』というのは当然のことであります。ただ本当に有事になって、国民の安全が脅かされる危機的状況になったときに核を搭載した、例えば米国の艦船が来たときに日本に寄港させないのか、給油もさせないのかということになると、また別問題であり、領海を航行することもダメなんだとということでは実質的に日本は守れないのではないのかと私は考えました。

 あくまでも民主党政権時代、その後の安倍内閣の方針及び外務大臣の国会答弁、全く同じことを昨日申し上げました。で、今後党内でどうするのかということでございますけれども、きのう政調会の半沢(?)調査会長と私は遣り取りをしております。ま、今後は非常に重要な時期になりまして、国家安全保障戦略や中期防(中期防衛力整備計画)も含めて今後見直すという形の作業に入りますが、その中にあっても、この議論、全く封じ込めるということであってはならないと思っています。関係議員と相談しながら、今後この問題についての進め方、議論をするかしないかを含めて検討してまいりたいと思っています」

 民主党政権時代の岡田克也外務大臣の2010年3月17日衆議院外務委員会での非核3原則関連の発言は次のようになっている。

 笠井亮(あきら・日本共産党)「米国が有事と判断した際には核兵器を再配備することを宣言しているわけで、それでも核兵器は持ち込まれることはないと断言できますか」

 岡田克也「我々としては、非核三原則、鳩山内閣として堅持するという方針であります。しかし、日本自身の安全にかかわるような重大な局面というものが訪れて、そしてそのときに核を積んだ艦船が一時寄港する必要が出るというような、そういう仮定の議論は余りしたくありませんが、そういうことになったときに、我々は非核三原則を堅持いたしますが、最終的にはそのときの政権がぎりぎりの判断というものを政権の命運をかけて行うということだと思います。

 非核三原則というのは、これはやはり日本自身を核の脅威から遠ざける、こういう考え方に立って行われているものだと私は認識いたしますけれども、いざというときの、日本国民の安全というものが危機的状況になったときに原理原則をあくまでも守るのか、それともそこに例外をつくるのか、それはそのときの政権が判断すべきことで、今、将来にわたってそういったことを縛るというのはできないことだと思います」

 この答弁以前に岡田克也は自民党岩屋毅議員に対して「緊急事態ということが発生して、しかし、核の一時的寄港ということを認めないと日本の安全が守れないというような事態がもし発生したとすれば、それはそのときの政権が政権の命運をかけて決断をし、国民の皆さんに説明する、そういうことだと思っております」と答弁している。

 高市早苗は「いわゆる核シェアリングという問題でございますけれども」と言いながら、緊急事態発生時には実質的には非核3原則のうちの「持ち込ませず」に関して例外規定を設けるかどうかはときの政権の決断事項だとする民主党政権時代の考え方を自民党政権も引き継いでいて、引き継いでいることは答弁書に於いても閣議決定もしているし、このことに関しては議論を進めるのか進めないのかを含めて検討するとしているものの、「持ち込ませず」の例外規定が単純に核搭載艦船の一時寄港の許可に限定するなら、核はあくまでも米軍の掌中に置くことを意味し、核の使用に関しては日本の関与外となり、安倍晋三の「核共有」とは実質的には異なることになる。

 だが、玉木雄一郎の説明どおりに核を“持ち込ませる”方向に持っていくためには「日米の具体的なオペレーションの在り方」の議論を日米間に介在させる必要上、議論の行方によっては核の使用に日本政府の関与をも可能とする項目を設けた場合は核の所在を寄港した米艦船内に限ったとしても、そこに備蓄する形を取ることとなり、この双方の条件によって“持ち込ませる”は限りなく「核共有」に近づくことになる。もし核を陸揚げして、米基地内か自衛隊基地内に置くことにしたら、「核共有」そのものとなる。

 但し玉木雄一郎が安倍晋三の「核共有」を「一足飛びの議論だ」としているから、一見、「核共有」まで考えていないように見えるが、第1段階として“持ち込ませる”から始めて、安全保障環境の変化によっては第2段階か第3段階目に「核共有」に持っていくというふうに「一足飛び」ではなくても、段階を踏んでと考えている可能性は否定できない。「核共有」がこのような形式のものであっても、「持たず、つくらず、持ち込ませず」の非核3原則の「持たず」と「持ち込ませず」を限りなくなし崩しにする、より積極的な核関与政策となる。高市早苗の上記記者会見での“持ち込ませる”方向への議論の示唆も、何しろ安倍晋三とは思想的には双子の関係にあるから、手始めに“持ち込ませる”から始めて、「核共有」に近づけていく目論見を頭に置いていないとは言い切れない。

 では、安倍晋三の「核共有」議論推奨に総理岸田文雄がどのような姿勢を見せているのか、野党立憲民主党3氏の追及を見てみるが、追及自体に3人の核に関する考え方が反映されることになる。勢いと小賢しさだけの立憲小川淳也の「批判するときは国民が惚れ惚れするような批判してこその野党だ」の言葉がそっくりと当てはまる追及となっているのかどうかも併せて見ることにする。

 2022年3月2日参議院予算委員会

 田名部匡代「先日、我が党の田島(麻衣子)委員から質問がありました。安倍前総理、民放の報道番組で、核保有についてまさに議論を呼びかけるような発言があったことについて田島議員から質問があったわけでありますけれども、そのときに総理からは、非核三原則を堅持するという我が国の立場から考えて、これは認められないと認識をしていますというふうにお答えになっております。

 改めて確認させていただきます。総理、核保有に関しては、これまで御答弁では検討という言葉が多かったんですが、検討ではない、検討もしない、議論も認めないということでよろしいでしょうか。

 岸田文雄「確か先日の議論は、核保有というか核共有の議論であったと思います。そして、その核共有ということについて、その核共有の中身ですが、この平素から自国の領土に米国の核兵器を置き、有事には自国の戦闘機等に核兵器を搭載運用可能な体制を保持することによって自国等の防衛のみの、防衛のために核、米国の核抑止力を共有する、こういった枠組みを想定しているというのであるならば、これについては、非核三原則を堅持している立場から、更に申し上げるならば、原子力の平和利用を規定している原子力基本法を始めとするこの法体系から考えても、政府として認めることは難しいと考えております。

 田名部匡代「大変失礼しました、核共有。

 実は、平成29年、我が党の白眞勲委員からも、当時の安倍総理にこのことについて質問されておられるんですね。当時の安倍総理は、やはりこれは非核三原則を堅持していくという立場だと、そして、この核シェアリングについては全く検討も研究もしていないわけでございまして、抑止力について向上、これ前段の話で、いろいろと議論する、研究することは、検討していくことは当然なのではないかということについて白眞勲議員が質問しているんですけれども、その発言は総理としての発言ではなかったので、総理としては、これは抑止力の向上ということについては核シェアリングは除くと、まさに非核三原則をしっかりとその立場を守っていくという御発言をされているんですね、当時、安倍総理は。

 しかし、この間、民放のテレビ番組において、その議論を呼びかけるようなことがあったわけです。

 総理は、こういったことについてどのような感想をお持ちでしょうか」

 岸田文雄「私はその番組の発言直接聞いておりませんので、そのどういった流れであったか、趣旨であったか十分承知していないので、私の立場から具体的にそれについて申し上げることは控えますが、いずれにせよ、核共有ということについては先ほど申し上げたとおり認識をしております。

 政府としてそうした考え方を認めることは難しいと考えておりますし、政府として議論することは考えておりません。

 田名部匡代「しっかりと私たちは非核三原則、堅持する立場を貫いていきたいと思いますし、難しいということではなくて、やっぱり……(発言する者あり)委員席からもありますが、あり得ない、しっかりとそれは守っていただきたいというふうに思います」 
 青木愛(立憲民主党)「自民党の元安倍総理がアメリカの核兵器を国内に配備して日米共同で運用する核共有政策の導入についてテレビで話をされました。この核共有に関する岸田総理の見解を私からもお聞きしたいと思います。そして安倍元総理、自民党の今でも有力な議員だと思いますけれども、自民党の中でもこうした日米共同で運用する核共有政策の導入、こうした考えが自民党の中にあるでしょうか。お聞きさせて頂きます」

 岸田文雄「安倍元総理の出演された番組、私ちょっと拝見していませんので、それについて直接言及することは控えますが、政府としては先程来申し上げているように自国の領土に米国の核兵器を置いて、有事にはこの自国の戦闘機等によって核兵器を搭載、あるいは運用可能な態勢を保持することによって自国等の防衛のために米国の抑止力を共有する、こうした枠組みを想定しているのであるならば、これは政府として非核3原則を堅持していく立場からも、また、原子力基本法を始めとする国内法をこの維持する見地からも認めることはできないと考えております」

 (答弁に不足があると見たのか、委員長に抗議、ほんの少し中断、答弁のし直し)

 岸田文雄「自民党のみならず、国内に於いて核共有について様々な議論があるということは承知しております。しかしながら、私の考え方、政府の考え方、これは先程申し上げたとおりでございます」

 青木愛「安倍元総理の発言、テレビを見ていないので控えると仰いましたけども、控えている場合ではないと思います。で、そういう議論がですね、核を共有するという議論が自民党の中で行われているという、率直なお話も聞こえてきたわけでありますけれども、冒頭申し上げましたように今、世界は三重の地球規模の危機に直面しているわけでありまして、岸田総理も仰ったように今こそ世界が一つになってこの地球からの、自然からの警告に立ち向かわなければならないときに安倍元総理の発言はですね、さらに危険を煽る、極めて遺憾で、危険であるとそういう発言があるということを指摘しておきたいというふうに思います。

 ウクライナ問題については以上で、また改めて、また機会を作ってですね、安倍元総理の発言についても追及していきたいというふうに考えます」 
 杉尾秀哉(立憲民主党)「さっそくですけれども、先程来、質問が出ております安倍元総理のニュークリアシェアリング、核共有について伺います。ちょっと確認させて頂きたいのですが、先程来、核共有は認めない、あるいは認めることは難しいということを総理、何度も仰っておりますけども、これは議論自体を認めない、こういうことですか。どうぞ」

 岸田文雄「政府としてこの核共有は認めないと申し上げています。政府として議論することは考えておりません」

 杉尾秀哉「これは先程来出ておりますけれども、党内で議論することはありますか」

 岸田文雄「党の内外でこの核共有について様々な意見があるということは承知しております。しかし政府としてこうした考え方は認めませんし、議論していくことは考えておりません」

 杉尾秀哉「政府の立場をこれまで仰ったならば、自民党の総裁ですから、党に対してもそうしたメッセージをちゃんと発して頂けませんか。安倍総理の発言、これ海外に伝えられてるんですよ。この発言をキッカケとしてですね、ある自治体の首長(くびちょう)さんはですね、『非核3原則は昭和の時代なんだ』と、『異物なんだ』と、こういうことを仰ってる。ネット見てください。今核保有論の議論がネットに溢れてます。こういう世論を煽るような遣り方っていいんですか、どうですか」

 岸田文雄「ハイ、自民党の党の内外、そして日本に於いて、そして世界に於いて核共有について様々な意見があることは承知しております。だから、政府の方針として政府に於いては核共有というものは認めない、議論は行わない。これを再三公の場で発言を、発言をさせて頂いております。その政府の方針をしっかりと確認をし、社会に対して、世の中に対して発信していくことは重要であると考えています」

 杉尾秀哉「自民党の総務会長(福田達夫)も、政調会長(高市早苗)も、やっぱりこの核共有について議論すべきだと、こういうふうにですね、三役の方が仰ってますよね。これはやっぱり世界に対しても、折角、党の、政府の立場をそこまで仰ってるんだったら、やっぱり党に対しても強く言うべきだ。少なくとも安倍総理の発言を確認していないという、そう言い逃れをしないでください。

 安倍さんも、聞く耳も持ってらっしゃるんでしょ?そしたら、安倍さんに言ってくださいよ。やっぱりこれは、我々はやっぱりこういう核共有を煽るような遣り方というのは認められませんし、非核3原則というのはやっぱり堅持していくべきであると、こういう立場を崩しちゃいけないと思うですよね。もう1回お願いします」

 岸田文雄「党の内外、世の中に様々な意見があることは承知しております。だからこそ、政府としての考え方、非核3原則の考え方、さらには原子力の平和利用を定めている我が国の原子力基本法を始めとする法体系との関係に於いてこうした考え方は認められないということは改めて政府として、そして総理大臣としてしっかり発信していくことが重要であるということで発信をさせて頂いております。これからもこうした政府の考え方はしっかりと発信を続けていきたいと考えます」

 杉尾秀哉「最後にしますけども、自民党総裁としての立場を使い分けないでください。同一人物でございますので」

 岸田文雄は非核3原則と原子力基本法等との関連から「核共有という考え方は政府としては認められない」、「政府として議論することは考えていない」と、一貫して「政府として」の立場を説明している。

 対して田名部匡代は「これまで御答弁では検討という言葉が多かったんですが、検討ではない、検討もしない、議論も認めないということでよろしいでしょうか」と聞き、青木愛は「そして安倍元総理、自民党の今でも有力な議員だと思いますけれども、自民党の中でもこうした日米共同で運用する核共有政策の導入、こうした考えが自民党の中にあるでしょうか」と聞き、杉尾秀哉は「先程来、核共有は認めない、あるいは認めることは難しいということを総理、何度も仰っておりますけども、これは議論自体を認めない、こういうことですか」と三者三様、アホなことを聞いている。

 岸田文雄が内閣総理大臣として政府としての正式な機関を設けて核共有の議論をする考えはない、と同時に自民党総裁としても党としての正式な機関を設けて同様の議論をする考えはないとしても、自民党議員が個々に仲間を集って、何らかの議連を名乗って議論することは内閣総理大臣としても、自民党総裁としても止めることはできない。断るまでもなく、誰もが思想・信条の自由を保障されているからだ。自民党内には核武装論者も存在する。閣僚が個人の資格で参加することもできる。政府に戻れば、閣僚として非核3原則堅持の立場は守ると言えば、閣内不一致という事態も避けられる。

 3人共が問題がどこにあるのか、誰も気づいていない。衆議院に関しては2021年10月31日投開票の総選挙で自民党は「絶対安定多数」を単独確保し、盤石な体制を敷いている。この当選議員の任期満了日は2025年10月30日までの約3年半後で、解散に打って出る、あるいは解散に迫られる状況とならなければ、暫くの間は盤石な体制を維持できる。但し次回の参議院選挙は4カ月後の2022年7月25日、すぐ目前にまで迫っている。前回2019年7月21日の参院選挙では自民党は改選議員を含めて単独で過半数に達せず、公明党を加えた与党で過半数を獲得できている状況にある。岸田文雄が言っている非核3原則堅持が揺るぎない信念となっているのか、安全保障環境の変化が非核3原則で行くことで足りるのか、核共有といった一歩進んだ核抑止策で行くべきなのか、思案しているのかどうかその内心は窺うことはできないが、ここで口にしてきた非核3原則堅持をぶち壊すような核共有議論を進めた場合、参院選にマイナスの影響を与えることは十分に計算できることで、最悪、自公過半数割れを起こしたなら、内閣の運営自体が困難となり、自民党政権という元も核に関係する安全保障という子も失くしかねないことは想定範囲内としているはずである。誰も危険な橋は避けるはずで、先ずは波風立たせないように配慮を重ねて、参院選勝利を喫緊の課題と位置づけているはずだ。

 安倍晋三は2014年12月14日投開票の衆院選挙では憲法解釈変更に基づいた集団的自衛権行使容認等を含めた安全保障関連法に関しては争点隠しを行い、消費税増税の延期で有権者の歓心を買い、選挙に勝利するや、国民の信任を得たと数の力で押し切って2015年9月19日に法案を成立させるウルトラCを平然と行なっている。仮に岸田文雄が安全保障環境をより強固とするために核共有といった一歩進んだ核抑止策の必要性を痛感していたとしても、参院選の争点とはせず、あくまでも非核3原則の堅持で押し通すはずだ。政策の実現はすべて選挙から始まる。第1党を保証する選挙で得た頭数が政策の推進力となる。

 もし、次回参院選で大きく勝利し、自民党単独で過半数獲得に落ち着くことができ、前回衆院選で躍進著しい日本の維新の会が同じ参院選で議席数を一定程度伸ばしたなら、代表の松井一郎が核共有議論推進を掲げていて、次の衆院選と参院選までに時間の余裕があることから国民に人気のない政策推進で有権者離れが少しくらい生じても、喉元通れば熱さ忘れるに期待して安倍晋三を筆頭とした自民党の核共有推進議員と維新の議員まで交えて核共有議論を進め、衆参両院で大勢意見とすることができたなら、岸田文雄がいくら非核3原則堅持を掲げようとも、政府内でも核共有に向けた議論を開始せざるを得なくなる道に進むことは容易に想像できる。

 この流れに岸田文雄が真実非核3原則堅持を頑なに掲げていたとしても、逆らうことは難しい。実際には「核共有」論者であったなら、(このことは最後まで隠し通すだろうが)、やむを得ないという態度を取りつつ、多数意見の尊重を掲げて、政府としても自民党としても正式な機関を設けて議論を開始する方向に動くに違いない。何しろ自民党政府は「憲法は防衛のための必要最小限の範囲内ならば核兵器の使用を禁じていない」という立場を取っているのである。

 あるいは“一足飛び”に核共有にまで進まずにその手始めに核の持ち込みというワンステップを暫くの間置いて、生じた場合の国民のアレルギーを冷ます冷却期間とすることも考えられる。こういった状況になったとき、当然、日本は非核3原則堅持の旗を下ろすことになるが、岸田文雄にとって止むを得ない妥協として受け入れるのか、広島を選挙区としているということもあるのだろう、核廃絶を掲げているものの、その旗を下ろす役目が自分に回ってきたことの皮肉を痛感しながら、時代の変化を受けた潮時と冷静に受け止めるのか、そういったことのいずれかであろうが、このような経緯を取るだろうと想定できるのは安倍晋三が元首相としての強かな影響力を持つと同時に自民党最大派閥のボスであり、岸田文雄は首相職を維持するためにも、選挙の顔であり続けるためにもその意向を無視はできない両者関係にあるからなのは論を俟たない。

 この両者関係は既に様々な場面に現れている。岸田文雄は2021年9月の自民党総裁選から自身が首相となった場合の安倍晋三のアベノミクスに代えるメインの経済政策として「新しい資本主義の実現」掲げた。だが、首相となって半年が経とうというのにアベノミクスのように何と何と何の「三本の矢」だといった具体像が未だ公表されていないのは異常な事態としか言いようがない。「新自由主義的政策からの転換」と「成長と分配の好循環」という抽象的な理念にとどまる中身だけは明らかにしている。

 安倍晋三は岸田文雄の「新自由主義的政策からの転換」に反応したのだろう、2021年12月26日放送のBSテレ東番組で次のように発言している。

 「(「新しい資本主義」を掲げる岸田文雄首相の経済運営について)根本的な方向をアベノミクスから変えるべきではない。市場もそれを期待している。ただ、味付けを変えていくんだろうと(思う)。『新自由主義は取らない』と岸田さんは言っているが、成長から目を背けると、とられてはいけない。改革も行わなければならない。社会主義的な味付けと受け取られると市場も大変マイナスに反応する」

 アベノミクスの味付けを変える程度ならいいが、非なるもであってはならないと警告した。いわば新自由主義経済アベノミクスからの決別に釘を差した。この釘は岸田文雄が自らが掲げた「新自由主義的政策からの転換」への自由な活動を縛ることになる。大企業や高額所得層を豊かにし、中低所得層を豊かさから取り残す不公平な分配を果実とした新自由主義経済アベノミクスからの決別ではない新自由主義的政策からの転換という、殆ど相矛盾する綱渡りを強いられることになるからだ。もし安倍晋三の釘(=意向)を完璧に無視できたなら、「新しい資本主義実現会議」を4回も開いているのだから、岸田文雄本人から具体的な中身の発表があっても良さそうだが、「具体像が見えない」、「道筋が見えてこない」がマスコミや評論家の今以っての専らの評価となっている。安倍晋三の意向を無視はできない両者関係に縛られた具体像の未確立としか見えない。 

 佐渡金山の世界文化遺産への登録を目指す新潟県などの動きに韓国側が韓国人強制使役被害の現場だからと反対、岸田政権は当初、登録推薦に慎重な姿勢を示していたそうだが、安倍晋三が2022年1月20日の安倍派総会で「論戦を避ける形で登録を申請しないのは間違っている。ファクト(事実)ベースで反論していくことが大切で、その中で判断してもらいたい」と発言、岸田政権の慎重姿勢に釘を差した。4日後の2022年1月24日衆院予算委、バックに常に安倍晋三が控えている高市早苗が佐渡金山の歴史を江戸時代のみに区切る歴史修正主義に立って、「これは戦時中と全く関係はない。江戸時代の伝統的手工業については韓国は当事者ではあり得ない」と推薦を強く迫ると、4日後の1月28日夜、岸田文雄はこれまでの慎重姿勢を一変させて首相官邸のぶら下がり取材で「佐渡島金山」のユネスコ推薦を正式表明、4日後の2月1日にユネスコへの推薦を閣議了解、推薦書を提出するに至った。安倍晋三の意向を無視はできない両者関係を窺うに余りある。

 岸田文雄が安倍晋三に対して鼻息を窺わなくても済む関係にあれば、安倍晋三の発言後に今まで見せていた姿勢・態度をその発言に見合う姿勢・態度に変える必要性は生じない。となると、立憲民主党三者は二人の間にこういったパターンが既に認められている以上、安倍晋三の「核共有」議論推奨発言に対して岸田文雄が非核3原則堅持を国会答弁としたとしても、岸田文雄にとって安倍晋三の意向を無視はできない両者関係と衆参両院選挙のいずれかが間近に控えている場合はそれがネックとなって、選挙に悪影響があると予想される政策や言動を選挙後までは控える前例を頭に入れて、7月の参院選で自民党が少なくとも議席を伸ばすことができたなら、自民党内から日本維新の会も巻き込んで、「核を持ち込ませる」議論か、「核共有」を議論する動きが出てきて、一定の勢力とすることができたなら、「核を持ち込ませる」に向けてか、「核共有」に向けて政府を動かすことになる次の段階を想定しなければならない。

 想定できたなら、参院選後に予想される展開を描く国会追及を行うことができて、岸田文雄をして少なくとも「選挙の結果に関わらずが非核3原則堅持に変わりはありません」の言質を取らなければならなかったはずである。その言質が安倍晋三の意向を無視できる動機となりうる可能性は否定できないし、予想される展開を描いておけば、逆に描いたとおりの動きを牽制する役目を持たせる可能性も出てくる。ところが青木愛も田名部匡代も、杉尾秀哉も、3人共に同じような質問をし、同じような答弁を引き出す非生産的な追及しか試みることができなかった。政治の動きというものを何も学んでいないことになる。小川淳也の「批判するときは国民が惚れ惚れするような批判してこその野党だ」は夢のまた夢、手の届かない情けない状況にある。あるいは立憲の面々が追及の実力が伴わない状況にあるにも関わらず、小川淳也が「批判するときは国民が惚れ惚れするような批判してこその野党だ」と体裁のいいことを口にしたに過ぎないことになる。

 今までのパターンを例に上げることができれば、パターンどおりになる可能性の観点から安倍晋三の「核共有」議論推奨発言と対する岸田文雄の非核3原則堅持発言の参院選後の推移が非核3原則堅持を危うくする方向に進みかねない、考えられる成り行きを描き出して、参院選挙期間中に国民に警鐘を鳴らす訴えとすることもできる。ただ単に現在は政権内にいない安倍晋三の「核共有」議論推奨発言と自民党内や他野党内に同調者のいることを取り上げ、岸田文雄に「非核3原則堅持」を言わせるだけでは、核政策に限らず、どのような政策も党内勢力図の影響を受けて生じる主導権の所在が政策の決定権を担う関係から、政府追及としてはさしたるインパクトを与えることはできない。もしインパクトのある追及ができたと思っているなら、裸の王様もいいとこの滑稽な勘違いとなる。

 大体が安倍晋三はプーチンが核の使用も辞さなぞと見せかけるある種の"核の脅迫"に反応して"核共有"議論の必要性を口にした。このことを批判するなら、非核3原則の旗を掲げていさえすれば、プーチンや金正恩みたいな独裁者が日本に核を撃ち込みたい衝動を抱えたとしても、その衝動を抑えることができるとする妥当性ある答を示してからすべきで、答を示しもせずにただ「非核3原則」、「非核3原則」と言うのは論理性も何もなく、感情任せのマヤカシにしか聞こえない。

 それともウクライナは遠い国で、日本ではないのだから、核が使用されたとしても、見守るしかなく、日本の非核3原則は非核3原則としての立ち位置を損なうことはないと一国平和主義で行くのかもしれないが、プーチンが核の使用も辞さなぞと"核の脅迫"を一旦見せた以上、世界が独裁者によって核使用に踏み切る危険性を潜在的に抱える状況に足を踏み入れることになった。少なくとも世界の多くの国がその危険性に警戒心を持つことになった。そのような場合、日本だけを蚊帳の外に置くことができるだろうか。

 だからと言って、核に対抗するに核を用意するどのような核抑止策も、振り出しの議論に戻るが、使うことが絶対ないと言い切れない状況にある核が世界のどこかで使われた場合、そして核に対するに核の報復は全否定できない以上、その世界のどこかは広範囲に目を覆うばかりの悲惨な破壊と壊滅、凄惨な死屍累々の状況に覆い尽くされる結末を出現させるかもしれない。百歩譲って核使用までいかずに核使用に踏み切る危険性を潜在的に抱える不安定な状況が延々と引き伸ばされていくだけであったとしても、この両場面共に核という存在よりも独裁者という存在が核に関わる懸念材料としてより大きく立ちはだかっていることに
留意しなければならない。いわば核は使わなければ無害であるが、使う・使わないの決定権を持ち、使う可能性が少なからざる予想される(でなければ、世界は核使用に踏み切る危険性を潜在的に抱えることはない)独裁者という存在自体に重大な関心を向けなければならない。

 考えられるこのような推移が自ずと導く答はやはり独裁者の排除以外にないことになる。独裁者の排除こそが、核の脅威を低下させることができる要因とする。時間的に遠回りになったとしても、独裁者の排除にこそ重点を置くべきだろう。独裁者の排除は民主体制への転換を意味する。軍事的な強硬手段ではなく、話し合いの問題解決を優先させる立ち位置を世界は取ることになる。核に対抗するに核を以ってするのは多くの国民の犠牲を決定事項としなければならない。

 プーチンという独裁者の排除については「独裁者」という言葉直接的には使わなかったが、2015年11月17日当ブログ記事《安倍晋三はプーチンとの信頼関係構築が四島返還の礎と未だ信じているが、リベラルな政権への移行に期待せよ - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に北方4島返還はプーチンが大ロシア主義を血とし、ロシアを旧ソ連同様の広大な領土と広大な領土に依拠させた強大な国家権力を持った偉大な国家に回帰させようとしている限り、そしてそのことによってロシア人の人種的な偉大性を表現しようとしている限り、安倍晋三がいくらプーチンとの信頼関係構築を4島返還の礎に据えようが、あるいは平和条約締結の条件としようが、プーチンの大ロシア主義の前に何の役にも立たないはずで、プーチンに代わる、大ロシア主義に影響されていないリベラルな政権への移行に期待する以外にないとプーチンの排除を書いた。

 さらに2020年11月23日の当ブログ記事《北方領土:安倍晋三がウリにしていた愚にもつかない対プーチン信頼関係と決別した領土返還の新しい模索 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》にも、プーチンへの領土交渉進展期待は非現実的で、彼を政治の舞台から退場させる力は現在なくても、その強権的専制政治への反体制を掲げる民主派勢力がロシアの政治の表舞台に躍り出て来ることに期待をかけ、資金等提供、その実現に力を貸す方が現実的な領土返還の新しい模索とすべきではないかと書き、独裁者プーチンのロシアの政治の舞台からの排除の必要性を書いたが、プーチンのウクライナ侵略と核使用をチラつかせるに及んで、核使用の脅威を取り除くには独裁者プーチンの排除と民主派勢力への体制転換の必要性を改めて強く認識するに至った。

 核を使わない、通常兵器による戦争であっても、多くの国民が犠牲となり、住む土地を追われる。核戦争となると、犠牲や破壊は計り知れない。非核3原則と言うだけではなく、想像力を働かせて、核使用の機会を取り除く何らかの方策を見い出す時期に来ているように思える。

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