石原慎太郎は安倍晋三と同様に、戦前日本を国家像の理想のモデルとしている

2014-05-30 09:35:31 | 政治




      生活の党PR

       《5月20日(火) 小沢生活の党代表新駐日ドイツ大使と意見交換 》
     
      5月20日、小沢一郎代表はハンス・カール・フォン・ヴェアテルン駐日ドイツ連邦共和国大使の表敬訪問を受け、意見交換を行う。    

 石原慎太郎と橋下徹が5月28日、名古屋市で会談、石原慎太郎が日本の維新の会と結の党の合流に反対して日本維新の会の分党を申し入れ、橋下徹が了承、分党することに決めたという。

 同じ分党するなら、橋下徹自身がそのような経緯を辿るべく強いリーダーシップを発揮すべきだったろう。なぜなら、日本維新の会として結の党と合流を目指すべく主導権を握らなければならない立場にあったのは橋下徹自身だからだ。

 だが、リーダーシップを発揮することができなかった。逆に石原慎太郎の方から障害を取り除いてくれたのだから、他力本願といったところだろう。言うことに行動が伴わなかったり、言うことが時間が経つと変わったりする程度のリーダーシップに過ぎなかった。ただ単に大衆的人気で持っている。

 石原慎太郎が分党決定後の翌日、5月29日午後、国会内で説明の記者会見を開いた。発言は、《【維新分党】《石原慎太郎共同代表会見全文(1)》結党時の「心理的な亀裂が尾を引いた」》MSN産経/2014.5.29 17:32)から引用した。 

 石原慎太郎が目指す自主憲法がどのような日本を目指しているのかに関してのみ、取り上げることにする。

 石原慎太郎「お聞きおよびのように、昨日ですね、名古屋に出向きまして、4時に名古屋のある場所で橋下さんと会見しまして、『分党をしたい』と いうことを申し上げました。

 個人的な見解も含めて申し上げますとね、私自身のことでありますけれども、私が都知事を辞めて、あえて国会に戻った理由は、いろいろありますが、その一つはなんといっても、日本の憲法をかえて、この国を立て直したいという、かねてからの私の熱願です。

 それと、20年近く前に私が永年勤続で表彰をうけたときに、その謝礼の演説で、私はこの国の国政というか、(国政に)携わっている自民党に愛想を尽かして、(衆院)議員を辞職すると明言しましたが、そのときに申したことですけれども、日本が戦後、ずっと米国のほとんど、飼い殺しのままに色々と収奪されてきた。

 男の体は成(な)しているけれども機能を失った、いわば宦官のような国になったということの、自責と、それも踏まえて議員を辞職しました」――

 「日本の憲法をかえて、この国を立て直したい」と言い、その理由として、日本国憲法と日本国内の米国の存在によって「日本が戦後、ずっと米国のほとんど、飼い殺しのままに色々と収奪されてきた」こと、「男の体は成(な)しているけれども機能を失った、いわば宦官のような国になった」ことを挙げている。

 このことゆえに維新の会の綱領の第一番に、〈日本を孤立と軽蔑の対象に貶め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法を大幅に改正し、国家、民族を真の自立に導き、国家を蘇生させる。〉と掲げるに至った。

 石原慎太郎は1932年(昭和7年)9月30日の戦中生まれで、敗戦の1945年(昭和20年)8月15日には13歳間近の年齢に達している。いわば戦後日本を否定している以上、石原慎太郎にとっての日本のモデル――理想の国家像は戦前日本しかない。

 中には石原慎太郎は戦前日本でも、戦後日本でもない、全く新しい日本をモデルとした新生日本の創造を目指していると反論するかもしれないが、石原慎太郎が竹下内閣下の運輸相だった1988年9月22日、記者会見で述べていることが日本のモデルを戦前日本に置いていることの証明となる。

 石原慎太郎「天皇陛下は元首でもあるが、それ以上に、国民のおとうさんみたいなものだ」(朝日新聞/1989年1月10日)

 1937(昭和12)年3月刊行の『国体の本義』には次のような件(くだり)がある.

 〈天皇の、億兆に限りなき愛撫を垂れさせ給ふ御事蹟は、国史を通じて常にうかがはれる。畏(おそれおお)くも天皇は、臣民を「おほみたから」(大御宝・人民、百姓。天皇が 治める国民、臣民。)とし、赤子(せきし・天子を父母に譬えるのに対して、その子どもである人民のこと)と思召されて愛護し給ひ、その協翼(力を合わせて助ける、補佐する)に倚藉(いしゃ・頼ること、拠ること)して皇猷(こうゆう・帝王の道―猷―ユウ)を恢弘(かいこう・押し広めること。広く大きくすること)せんと 思召されるのである。この大御心を以て歴代の天皇は、臣民の慶福のために御心を注がせ給ひ、ひとり正しきを勧め給ふのみならず、悪しく枉(おう、まが)れるものをも慈しみ改めしめられるのである。〉――

 天皇を国民の父親とするのは戦前日本の絶対思想である。天皇は慈父の形を取って子である国民を支配した。石原慎太郎が天皇は「国民のおとうさんみたいなものだ」と言っていることと符合する戦前思想である。

 石原慎太郎が自主憲法制定によって創造しようと目指すモデルは戦前日本を措いて他には存在しない。

 安倍晋三が2012年の総選挙のマニフェストに掲げた、「日本を取り戻す」のキャッチフレーズの「日本」が戦前日本をモデルとしていて、「戦前日本を取り戻す」ことであるのは既に説明するまでもないこととなっている。

 安倍晋三が日本国憲法を占領憲法であるとして否定していること、占領政策が日本人の精神をダメにしたとしている主張、「皇室の存在は日本の伝統と文化そのもの」で、「日本は天皇を縦糸にして歴史という長大なタペストリーが織られてきた」と、歴代天皇の存在を日本の歴史・伝統・文化それぞれの、一種の神の如き造物主と看做す歴史観から見て、戦前日本をモデルとした国家像を胸に抱いていることは間違いない。

 歴代天皇の存在を日本の歴史・伝統・文化それぞれの造物者と看做す歴史観は『国体の本義』の一節、〈かくて天皇は、皇祖皇宗の御心のまにまに我が国を統治し給ふ現御神(あきつみかみ)であらせられる。この現御神(明神)或は現人神(あらひとがみ)と申し奉るのは、所謂絶対神とか、全知全能の神とかいふが如き意味の神とは異なり、皇祖皇宗がその神裔(神の子孫。天皇または皇族)であらせられる天皇に現れまし、天皇は皇祖皇宗と御一体であらせられ、永久に臣民・国土の生成発展の本源にましまし、限りなく尊く畏き御方であることを示すのである。帝国憲法第一条に「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ 統治ス」とあり、又第三条に「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」とあるのは、天皇のこの御本質を明らかにし奉つたものである。従つて天皇は、外国の君主と異なり、国家統治の必要上立てられた主権者でもなく、智力・徳望をもととして臣民より選び定められた君主でもあらせられぬ。〉に対応しているはずだ。

 歴代天皇を歴史・文化・伝統の全てを含めて、「永久に臣民・国土の生成発展の本源」と目する戦前日本の天皇思想を血としているからこそ、安倍晋三は「皇室の存在は日本の伝統と文化そのもの」で、「日本は天皇を縦糸にして歴史という長大なタペストリーが織られてきた」を自らの天皇観とすることが可能となる。

 安倍晋三が日本国憲法を占領憲法であるとして否定していること、占領政策が日本人の精神をダメにしたとする主張は周知のように2012年4月28日の自民党主催「主権回復の日」に寄せたビデオメッセージに凝縮されて現れている。

 全発言を知りたくてインターネットを探していると、動画を見つけることができたので、参考になるかどうか、文字に起こしてみた。

 安倍晋三「皆さんこんにちは。安倍晋三です。(拍手)

 主権回復の日とは何か。それは50年前の今日、7年に亘る長い占領期間を超えて、日本が主権を回復した日のことです。しかし、しかし当時の日本はこの日を独立の日として国民と共にお祝いすることはありませんでした。

 本来であれば、この日を以って日本は独立を回復したわけでありますから、占領時代に占領軍によって行われたこと、日本はどのように改造されたのか、日本人の精神にどのような影響を及ぼしたのか、もう一度検証して、そしてきっちりと区切りをつけて、日本は新しいスタートを切るべきでした。

 そのやっていなかったことから、今日、大きな禍根を残しています。戦後体制からの脱却、戦後レジームからの脱却とは、占領期間につくられた、占領軍によってつくられた憲法やあるいは教育基本法、様々な仕組みを、もう一度見直しをして、そしてその上に培(つちか)えてきた精神を見直していく。そして真の独立を、真の独立の精神を(握った左手の拳を振る)取り返すことであります。

 教育基本法は改正しました。教育の目的に道徳心を培い、伝統と文化を尊重し、愛国心を書き込むことができました。

 みなさん、次は憲法です。憲法は私達日本人が、こういう国にしたい、その思いを、その理想を込めたものです。自由民主党は憲法改正草案をつくりました。どうか国民のみなさん、これから憲法改正の論議に参加をして貰いたいと思います。

 特に若いみなさんに一緒に仲良くしながら、日本をこういう国にしていきたい、議論をしていきましょう。まずは憲法の96条を私は変えていくべきだと思います。これは改定条項です。国会議員の3分の2が賛成しなければ、国民投票ができない。

 これは国民から憲法を引き離している、遠ざけている厚い大きな壁です。これをみなさんと共に打ち破っていきたい(左手を拳にして突き出す)、こう思います。

 共に一緒に前進していこうじゃありませんか。宜しくお願いします。ありがとうございました」――

 戦前日本を国家像の理想のモデルとしているがゆえに戦前日本を断ち切り、日本人の精神をダメにした占領政策の否定、占領憲法であることを理由とした日本国憲法の否定と日本国憲法の改正、教育基本法の改正であることに留意しなかければならない。

 そして石原慎太郎にしても安倍晋三と同じ穴のムジナで、モデルとしている戦前日本を取り戻すべく、日本国憲法を含めて現在の日本の仕組みを変えようと画策している政治家だと言うことである。


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