2019年11月8日参議院予算委員会で共産党参議院田村智子が毎年春の首相主催「桜を見る会」が第2次安倍政権になって以来、安倍晋三を筆頭に自民党国会議員が各々の推薦に任せてそれぞれの後援会員等の支持者を招待することで支持固めや選挙活動に利用していたのではないか、そのために予算の2倍や3倍を超える支出経費になったのではないかといった不明朗な運営を対象とした疑惑を追及して以来、官房長官の菅義偉は土日を除いた午前と午後の記者会見では記者から、国会では野党議員から田村智子疑惑追及の事実関係に関する質問攻めに遭うようになった。
尤も疑惑解明の鍵を握る推薦者名簿にしても、招待者名簿にしても、個人情報を含んだ膨大な量の文書を適切に管理する等の必要が生じるという理由と、毎回の『桜を見る会』の終了を以って使用目的を終えることから、保存期間1年未満の文書として終了後遅滞なく廃棄する取扱いとしたとの理由で、廃棄の経緯と正当性と共にもはや検証不可能であることを主張して、納得がいかないマスコミ側と攻防を繰り広げることになり、もはや果てしのない状況を呈するようになっている。
このような果てしのない状況を作り出すことになった出来事の一つが2019年11月14日に内閣府担当者が今年の招待者名簿を5月9日にシュレッダーに掛けて廃棄したことを明らかにしたことだった。その5月9日が共産党衆議院議員宮本徹衆院議員が政府に「桜を見る会」の招待者数の推移などを資料請求したのと同じ日であったことが共産党から明らかにされると、疑惑隠しの意図的廃棄ではないかと菅義偉に対する質問攻めは特に文書廃棄に集中、疑惑を一気に高めると共に攻防の果てしのなさに拍車をかけることになった。
但しこのことに関しても安倍晋三側は自らの正当性を巧みに打ち立てている。宮本徹の資料請求は5月9日の昼過ぎで、廃棄をした職員はそのことを把握していなかった上、「桜の会」の文書廃棄に関わるシュレッダーの予約は一ヶ月近く前の4月22日に行っていて、シュレッダーの空き状況や作業担当職員の作業可能時間の調整等の事情によって5月9日に廃棄することになったと、同じ日になったのは偶然であるかのような説明を行い、廃棄の正当性を主張している。
相手側が信用するかどうかよりも、物的証拠さえ握られなければ、逃げおおせるという戦法なのだろう。
ならばと、野党は電子データは存在するはずだと、その開示を求めた。対して菅義偉は記者会見で招待者名簿の電子データはシュレッダーによる廃棄が行われた5月9日前後に内閣府人事課の職員が削除したことを明らかにした。
対して野党は電子データのバックアップデーターは残っているはずだと、復元・開示を求めた。対して菅義偉は電子データの廃棄後もバックアップデータは最大8週間は保存されていたと明らかにしたものの、「バックアップデータは一般職員が業務に使用できるものではなく、組織共用性を欠いており、業者に頼まなければ取り出せない状況にあったと聞いており、情報公開の対象となる行政文書には該当しないため、開示する必要はない」(NHK NEWS WEB)ことと、「国会議員からの資料要求は行政文書を前提としている」との理由で、共産党衆議院議員宮本徹衆院議員が資料請求した5月9日以降、8週間保存されていたバックアップデータを開示しなかったことの正当性を主張している。
但しバックアップデータが「情報公開の対象となる行政文書には該当しないため、開示する必要はない」が正当性ある措置だとしても、2019年5月9日に宮本徹衆院議員が資料請求した際、「桜を見る会」の運営に何ら疚しい問題点がなければ、最大8週間は保存されていたバックアップデータを公開しても、何ら支障はなかったはずだし、安倍晋三の「桜を見る会」が予算の私物化・行政の私物化等々の疑惑が持ち上がってからであっても、それが根拠のない疑惑なら、疑惑を解く、あるいは疑惑にケリをつける手っ取り早い方法として、例え復元できなかったとしても、野党議員立ち会いのもと業者に依頼して復元に取り掛かる姿勢を見せてもいいはずだった。
疑惑にケリをつけない以上、野党が今国会での安倍晋三が出席する予算委員会の「桜を見る会」に関わる集中審議の開催を求めているのに対して与党は応じようとしていないが、今国会を凌いだとしても、来年1月開催の通常国会召集となれば、予算委員会を開かないでは済まず、疑惑追及の尾を引くのは明らかなのだが、疑惑にケリをつけようとする姿勢は一切見せない。当然、来年の通常国会でも同じような攻防が続くことになる。疑惑にケリをつけようとせず、疑惑を引きずったまま、物的証拠となる推薦名簿も招待者名簿も、その電子データも、電子データのバックアップデータも廃棄して存在しないの一点張りの姿勢を貫くことになるのは目に見えている。
疑惑を引きずったままということは疑惑にケリをつけることができない状況を抱えているからで、こういった姿勢こそが証拠さえ握られなければ、逃げおおせるという戦法で事を進めている証明となる。
安倍晋三・菅義偉側は巧みに言い抜けていると思っているかもしれないが、実際には言い抜けになっていないこともある。今年2019年の「桜を見る会」は4月13日。4月13日の会の終了を以って1年未満とは2019年4月14日から2020年4月13日までの間の日を指すと思うが、文書保存期間1年未満は4月13日「桜を見る会」終了の翌日の4月14日に廃棄しても、1年未満の廃棄となって、規則に則っていることになる。当然、事務の都合、時間の都合で5月9日の廃棄であっても、1年未満ということになる。一度ブログで取り上げたが、官房長官菅義偉が国会でか、記者会見でか、自身を通して招待した人物が再び参加の希望を伝えたところ、その希望を事務方に回したと発言していたことと、2919年11月20日衆院内閣委員会で大西証史内閣審議官が招待者の推薦を巡って、「連続して毎年同じ方が呼ばれることは避けていただきたいとお願いしている」と答弁していることとの整合性を2019年11月21日午前の記者会見で記者から問われたとき、次のように発言している。
菅義偉「先ずは内閣官房・内閣府から各省庁等に対して推薦を求める際に幅広く色んな方を招待するための前提として同じ人が推薦をされないことも配慮事項の一つであるというお願いを致しております。
実際に前年の招待者の再度推薦をされることもあるかと思いますけども、まあ、頂いた推薦を基に内閣官房・内閣府が最終的に取り纏めを行っている。いずれにせよ、配慮事項はそういうことになっております」
つまり内閣官房・内閣府は「幅広く色んな方を招待するための前提として同じ人が推薦をされないことも配慮事項の一つであるというお願いをしている」。要望先については菅義偉は「各省庁等」と言っているが、この「等」の中に安倍後援会事務所や首相官邸、自民党国会議員関係の後援会事務所などが入っているはずである。でなければ、不公平と言うだけではなく、二重基準となる。
但し菅義偉は「前年の招待者の再度推薦をされることもあるかと思いますけども」と言っている。同じ人物の招待を避けていることを前提とすると、再度の推薦は特例でなければならない。当然、この選別作業は次の年の推薦名簿と前年の招待者名簿を突き合わせなければ、ダブっているのかどうかも、ダブっていたとしても、特例扱いとするかどうかも見分けることができないことになる。
だが、2019年4月13日の「桜を見る会」に関わる推薦名簿も招待者名簿も、5月9日にシュレッダーにかけて廃棄してしてしまい、電子データは5月9日前後に消去、バックデータも残っていない。このようなデータ処理は招待客のダブリをチェックする判断材料自体を自ら捨てたことになって、矛盾する措置となる。
但し推薦名簿の招待名簿も、紙文書と電子データー共々廃棄したとしても、その内容のすべてを頭に入れている内閣官房か内閣府の職員が一人でもいれば、ダブリをチェックできるし、特例扱いすべき招待客は誰と誰かの選別も可能となる。とは言っても、このような職員が実際に存在するかどうかが問題となる。存在して初めて、紙・電子合わせた全てのデータの消去が正当化できる。存在しなければ、勿論、正当化できないデータの消去となる。
2019年12月2日の参議院本会議での共産党参議院議員田村智子の安倍晋三の「推薦枠」についての「質問」に対する安倍晋三の答弁にも言い抜けできない事実が隠されている。
田村智子「(2019年)11月8日の予算委員会以降、安倍晋三事務所が作成・配布した文書が次々と明らかとなり、菅義偉官房長官は、首相などからの推薦の仕組みがあることを認め、20日の本会議で首相も『私自身も事務所から相談を受ければ推薦者についての意見を言うこともありました』と答弁した。つまりは、首相からの推薦・招待の仕組みを、安倍首相は前々からご存じだったのではありませんか。
それなのになぜ、予算委員会で、私の指摘を事実であると認めなかったのですか。私は、『首相は招待者のとりまとめをしていますか』とは、一言も聞いていません。安倍事務所が参加者を募り、首相の地元後援会員を招待しているかと、繰り返し質したのです。これを認めなかったことは、まさに偽り、ごまかしの答弁そのものではありませんか。質問をすり替えることなくお答えいただきたい」
安倍晋三「『桜を見る会』への私の事務所からの推薦についてお尋ねがありました。私の事務所に於いては内閣官房からの依頼に基づき後援会の関係者を含め地域で活躍されてるなど、『桜を見る会』への参加にふさわしいと思われる方を始め、幅広く参加希望者を募り、推薦を行っていたところであります。その過程に於いて私自身も事務所からの相談を受ければ、推薦者についての意見を言うこともありましたが、事務所を通じた推薦以外は行なっておりません。
他方、繰り返しになりますが、『桜を見る会』の招待者については提出された推薦者につき最終的に内閣官房及び内閣府に於いて取り纏めを行っているところであり、私の事務所が申し込めば、必ず招待状が届くものではありません」
ネット上に出回っている2015年3月の安倍晋三の「桜を見る会」来観への案内状画像を載せておく。これは安倍晋三後援会の案内状ではなく、安倍晋三自身の首相としての案内状だが、2019年11月21日の参議院内閣委員会で共産党参議員田村智子が「内閣府が各省庁に対しては推薦の締め切りは今年は2月8日になっていて、招待状の発送は3月2日以降なんですね」と発言している。
各府庁以外の安倍晋三自身の推薦者や安倍後援会及び自民党国会議員後援会の推薦者に対しても招待状発送は3月2日以降前後と変わらないはずである。あるいは安倍晋三の推薦者に対しては忖度して3月2日よりも早く発送した可能性は否定できない。
いずれにしても安倍晋三の案内状を送付した月が3月となっていることに何の差し障りもない。内閣府が招待状を発送してから、安倍晋三は自身の名で案内状を送付したのだろう。だが、文面の一部が「御夫婦おそろいにて御来観下さいますようにご案内申し上げます」となっている。いわば内閣官房・内閣府から「御夫婦おそろい」で招待されたことを示している。
招待基準は「各界に於いて功労・功績のあった方々」であって、「あった方々とその夫人」とはなっていない。安倍晋三が「御夫婦おそろいにて」としたためることができたのは安倍晋三自身か、安倍後援会から「御夫婦おそろい」の形で申し込み、「申し込めば、必ず招待状が届く」構図になっていること以外に,「御夫婦おそろい」で申し込んだものの、夫の方も夫人の方も内閣官房・内閣府の取り纏めの段階で篩い落とされずに二人揃って招待された夫婦のみにこのような文面の案内状を送ったか、いずれかの場合であろう。
だが、後者とすると、やはり招待基準が「各界に於いて功労・功績のあった方々とその夫人」とはなっていないことに抵触することになって、内閣官房・内閣府自体が「申し込めば、必ず招待状が届く」構図にしていなければ、「御夫婦おそろい」の案内状とはならない。
安倍晋三はこの点をどう申し開くのだろうか。
これだけでは「私の事務所が申し込めば、必ず招待状が届く」構図になっている証拠にならないと言うなら、一度ブログに取り上げた以下のことをから証拠立ててみる。
あべ事務所が送付した「桜を見る会」への参加申込書に書かれている内容。(一部抜粋)
〈※ご夫婦で参加の場合は、配偶者欄もご記入ください。
※後日郵送で内閣府より招待状が届きますので、必ず、現住所をご記入ください。
※参加される方が、ご家族(同居を含む)、知人、友人の場合は、別途用紙でお申し込み下さい。(コピーして利用して下さい)〉
等々が記載されている。
招待基準に反してご夫婦での参加を促しているが、招待基準の「各界に於いて功労・功績のあった方々」を他処に置いて、ご夫婦だけではなく、同居を含むご家族、知人、友人まで範囲を広げて参加申込を促し、参加申込をしさえすれば、即そのまま「後日郵送で内閣府より招待状が届きます」と、参加申込=招待、いわばあべ事務所が「申し込めば、必ず招待状が届く」体裁となっている。つまり内閣官房・内閣府に於ける招待基準に合わせた取捨選択の取り纏めのプロセスを無視している。勿論、この無視はあべ事務所が招待者を決めていて、「申し込めば、必ず招待状が届く」構図になっていることからこそ可能となる無視以外の何ものでもない。
実際に内閣官房と内閣府の取り纏めによって招待客が選別される仕組みになっていたなら、非常に失礼になるが、失礼になることを顧みずに「例え申し込んだとしても、内閣官房・内閣府の取り纏めによって招待にまで至らない方も出てきます」との断りを入れなければならない。
こういった申込書に対して内閣官房・内閣府が招待基準に則った招待者の決定を手続きとしていたなら、1万人の予定参加者を8千人も上回ることはなかったろう。そうはなっていなかったのはこの手の案内状や申込書が出回ったこと以外に考えることはできない。
自民党事務局総務部が平成31年の参議院改選議員に宛てた「桜を見る会」の案内状の文面も、「申し込めば、必ず招待状が届く」体裁を取っている。
「平成31年改選議員」〈2019年7月21日執行参議院議員選挙〉に対して招待基準である「各界に於いて功労・功績のあった方々」であることを頭から取り上げずに「一般の方(友人、知人、後援会等)を4組までご招待いただけます」と招待を請け合っている。内閣官房・内閣府による取り纏めは一切触れていない。と言うよりも、取り纏めのプロセス自体を省き去っている。
このように省き去ることができるのも、「桜を見る会」が「申し込めば、必ず招待状が届く」仕様となっていなければできない。自民党改選議員にしたら、少しでも選挙を有利にしよう、少しでも票を集めようということで、4組ギリギリまでの招待を獲ち取るべく、支持者の中から選んだに違いない。このプロセスも「申し込めば、必ず招待状が届く」ことを前提としていることになる。招待を申し込んだとしても、内閣官房・内閣府の取り纏めの段階で省かれでもしたら、票を稼ぐどころか、失う結果になる。
安倍晋三の「私の事務所が申し込めば、必ず招待状が届くものではありません」はどこからどう見ても、真っ赤かのウソ答弁だと言い切ることができる。
2019年11月20日参院本会議で立憲民主党参議院議員那谷屋正義に対して安倍晋三は「これまでのこのような運営については大いに反省すべきであり、今後、私自身の責任に於いて招待基準の明確化や招待プロセスの透明化を検討すると共に予算や招待人数も含め、全般的な見直しを幅広く意見を聞きながら行ってまいります」と答弁、上出2019年12月2日の参議院本会議では田村智子に対しても、「『桜を見る会』のこれまでの運営については大いに反省すべきであり、今後、私自身の責任に於いて招待基準の明確化や招待プロセスの透明化を検討すると共に予算や招待人数も含めて全体的な見直しを幅広く、意見を聞きながら行って参ります」と約束しているが、「招待基準の明確化」にしても、「招待プロセスの透明化」にしても、「これまでの運営」で「招待基準」のどの点がどのように「不明確」であったのか、「招待プロセス」のどの点がどのように「不透明」であったのか、「大いに反省すべき」事柄はどの点なのか、その検証から入って、洗い出した直すべき点を示し、どう正したのかを提示して初めて、「招待基準の明確化」と「招待プロセスの透明化」がどの程度行われたのか、十分に行われたのか、国民の目に明確に見える形で判断できることになる。
前者の検証を経ない「招待基準の明確化」と「招待プロセスの透明化」はどこをどう「明確化」したのか、どこをどう「透明化」したのか、国民には判断できないことになる。国民が判断できなければ、国民に対する説明責任を果たしたことにはならない。
国民への説明責任を果たすためにも検証から入るべきで、そこから入るにについてはバックデータの復元から始めなければならない。
尤も疑惑解明の鍵を握る推薦者名簿にしても、招待者名簿にしても、個人情報を含んだ膨大な量の文書を適切に管理する等の必要が生じるという理由と、毎回の『桜を見る会』の終了を以って使用目的を終えることから、保存期間1年未満の文書として終了後遅滞なく廃棄する取扱いとしたとの理由で、廃棄の経緯と正当性と共にもはや検証不可能であることを主張して、納得がいかないマスコミ側と攻防を繰り広げることになり、もはや果てしのない状況を呈するようになっている。
このような果てしのない状況を作り出すことになった出来事の一つが2019年11月14日に内閣府担当者が今年の招待者名簿を5月9日にシュレッダーに掛けて廃棄したことを明らかにしたことだった。その5月9日が共産党衆議院議員宮本徹衆院議員が政府に「桜を見る会」の招待者数の推移などを資料請求したのと同じ日であったことが共産党から明らかにされると、疑惑隠しの意図的廃棄ではないかと菅義偉に対する質問攻めは特に文書廃棄に集中、疑惑を一気に高めると共に攻防の果てしのなさに拍車をかけることになった。
但しこのことに関しても安倍晋三側は自らの正当性を巧みに打ち立てている。宮本徹の資料請求は5月9日の昼過ぎで、廃棄をした職員はそのことを把握していなかった上、「桜の会」の文書廃棄に関わるシュレッダーの予約は一ヶ月近く前の4月22日に行っていて、シュレッダーの空き状況や作業担当職員の作業可能時間の調整等の事情によって5月9日に廃棄することになったと、同じ日になったのは偶然であるかのような説明を行い、廃棄の正当性を主張している。
相手側が信用するかどうかよりも、物的証拠さえ握られなければ、逃げおおせるという戦法なのだろう。
ならばと、野党は電子データは存在するはずだと、その開示を求めた。対して菅義偉は記者会見で招待者名簿の電子データはシュレッダーによる廃棄が行われた5月9日前後に内閣府人事課の職員が削除したことを明らかにした。
対して野党は電子データのバックアップデーターは残っているはずだと、復元・開示を求めた。対して菅義偉は電子データの廃棄後もバックアップデータは最大8週間は保存されていたと明らかにしたものの、「バックアップデータは一般職員が業務に使用できるものではなく、組織共用性を欠いており、業者に頼まなければ取り出せない状況にあったと聞いており、情報公開の対象となる行政文書には該当しないため、開示する必要はない」(NHK NEWS WEB)ことと、「国会議員からの資料要求は行政文書を前提としている」との理由で、共産党衆議院議員宮本徹衆院議員が資料請求した5月9日以降、8週間保存されていたバックアップデータを開示しなかったことの正当性を主張している。
但しバックアップデータが「情報公開の対象となる行政文書には該当しないため、開示する必要はない」が正当性ある措置だとしても、2019年5月9日に宮本徹衆院議員が資料請求した際、「桜を見る会」の運営に何ら疚しい問題点がなければ、最大8週間は保存されていたバックアップデータを公開しても、何ら支障はなかったはずだし、安倍晋三の「桜を見る会」が予算の私物化・行政の私物化等々の疑惑が持ち上がってからであっても、それが根拠のない疑惑なら、疑惑を解く、あるいは疑惑にケリをつける手っ取り早い方法として、例え復元できなかったとしても、野党議員立ち会いのもと業者に依頼して復元に取り掛かる姿勢を見せてもいいはずだった。
疑惑にケリをつけない以上、野党が今国会での安倍晋三が出席する予算委員会の「桜を見る会」に関わる集中審議の開催を求めているのに対して与党は応じようとしていないが、今国会を凌いだとしても、来年1月開催の通常国会召集となれば、予算委員会を開かないでは済まず、疑惑追及の尾を引くのは明らかなのだが、疑惑にケリをつけようとする姿勢は一切見せない。当然、来年の通常国会でも同じような攻防が続くことになる。疑惑にケリをつけようとせず、疑惑を引きずったまま、物的証拠となる推薦名簿も招待者名簿も、その電子データも、電子データのバックアップデータも廃棄して存在しないの一点張りの姿勢を貫くことになるのは目に見えている。
疑惑を引きずったままということは疑惑にケリをつけることができない状況を抱えているからで、こういった姿勢こそが証拠さえ握られなければ、逃げおおせるという戦法で事を進めている証明となる。
安倍晋三・菅義偉側は巧みに言い抜けていると思っているかもしれないが、実際には言い抜けになっていないこともある。今年2019年の「桜を見る会」は4月13日。4月13日の会の終了を以って1年未満とは2019年4月14日から2020年4月13日までの間の日を指すと思うが、文書保存期間1年未満は4月13日「桜を見る会」終了の翌日の4月14日に廃棄しても、1年未満の廃棄となって、規則に則っていることになる。当然、事務の都合、時間の都合で5月9日の廃棄であっても、1年未満ということになる。一度ブログで取り上げたが、官房長官菅義偉が国会でか、記者会見でか、自身を通して招待した人物が再び参加の希望を伝えたところ、その希望を事務方に回したと発言していたことと、2919年11月20日衆院内閣委員会で大西証史内閣審議官が招待者の推薦を巡って、「連続して毎年同じ方が呼ばれることは避けていただきたいとお願いしている」と答弁していることとの整合性を2019年11月21日午前の記者会見で記者から問われたとき、次のように発言している。
菅義偉「先ずは内閣官房・内閣府から各省庁等に対して推薦を求める際に幅広く色んな方を招待するための前提として同じ人が推薦をされないことも配慮事項の一つであるというお願いを致しております。
実際に前年の招待者の再度推薦をされることもあるかと思いますけども、まあ、頂いた推薦を基に内閣官房・内閣府が最終的に取り纏めを行っている。いずれにせよ、配慮事項はそういうことになっております」
つまり内閣官房・内閣府は「幅広く色んな方を招待するための前提として同じ人が推薦をされないことも配慮事項の一つであるというお願いをしている」。要望先については菅義偉は「各省庁等」と言っているが、この「等」の中に安倍後援会事務所や首相官邸、自民党国会議員関係の後援会事務所などが入っているはずである。でなければ、不公平と言うだけではなく、二重基準となる。
但し菅義偉は「前年の招待者の再度推薦をされることもあるかと思いますけども」と言っている。同じ人物の招待を避けていることを前提とすると、再度の推薦は特例でなければならない。当然、この選別作業は次の年の推薦名簿と前年の招待者名簿を突き合わせなければ、ダブっているのかどうかも、ダブっていたとしても、特例扱いとするかどうかも見分けることができないことになる。
だが、2019年4月13日の「桜を見る会」に関わる推薦名簿も招待者名簿も、5月9日にシュレッダーにかけて廃棄してしてしまい、電子データは5月9日前後に消去、バックデータも残っていない。このようなデータ処理は招待客のダブリをチェックする判断材料自体を自ら捨てたことになって、矛盾する措置となる。
但し推薦名簿の招待名簿も、紙文書と電子データー共々廃棄したとしても、その内容のすべてを頭に入れている内閣官房か内閣府の職員が一人でもいれば、ダブリをチェックできるし、特例扱いすべき招待客は誰と誰かの選別も可能となる。とは言っても、このような職員が実際に存在するかどうかが問題となる。存在して初めて、紙・電子合わせた全てのデータの消去が正当化できる。存在しなければ、勿論、正当化できないデータの消去となる。
2019年12月2日の参議院本会議での共産党参議院議員田村智子の安倍晋三の「推薦枠」についての「質問」に対する安倍晋三の答弁にも言い抜けできない事実が隠されている。
田村智子「(2019年)11月8日の予算委員会以降、安倍晋三事務所が作成・配布した文書が次々と明らかとなり、菅義偉官房長官は、首相などからの推薦の仕組みがあることを認め、20日の本会議で首相も『私自身も事務所から相談を受ければ推薦者についての意見を言うこともありました』と答弁した。つまりは、首相からの推薦・招待の仕組みを、安倍首相は前々からご存じだったのではありませんか。
それなのになぜ、予算委員会で、私の指摘を事実であると認めなかったのですか。私は、『首相は招待者のとりまとめをしていますか』とは、一言も聞いていません。安倍事務所が参加者を募り、首相の地元後援会員を招待しているかと、繰り返し質したのです。これを認めなかったことは、まさに偽り、ごまかしの答弁そのものではありませんか。質問をすり替えることなくお答えいただきたい」
安倍晋三「『桜を見る会』への私の事務所からの推薦についてお尋ねがありました。私の事務所に於いては内閣官房からの依頼に基づき後援会の関係者を含め地域で活躍されてるなど、『桜を見る会』への参加にふさわしいと思われる方を始め、幅広く参加希望者を募り、推薦を行っていたところであります。その過程に於いて私自身も事務所からの相談を受ければ、推薦者についての意見を言うこともありましたが、事務所を通じた推薦以外は行なっておりません。
他方、繰り返しになりますが、『桜を見る会』の招待者については提出された推薦者につき最終的に内閣官房及び内閣府に於いて取り纏めを行っているところであり、私の事務所が申し込めば、必ず招待状が届くものではありません」
ネット上に出回っている2015年3月の安倍晋三の「桜を見る会」来観への案内状画像を載せておく。これは安倍晋三後援会の案内状ではなく、安倍晋三自身の首相としての案内状だが、2019年11月21日の参議院内閣委員会で共産党参議員田村智子が「内閣府が各省庁に対しては推薦の締め切りは今年は2月8日になっていて、招待状の発送は3月2日以降なんですね」と発言している。
各府庁以外の安倍晋三自身の推薦者や安倍後援会及び自民党国会議員後援会の推薦者に対しても招待状発送は3月2日以降前後と変わらないはずである。あるいは安倍晋三の推薦者に対しては忖度して3月2日よりも早く発送した可能性は否定できない。
いずれにしても安倍晋三の案内状を送付した月が3月となっていることに何の差し障りもない。内閣府が招待状を発送してから、安倍晋三は自身の名で案内状を送付したのだろう。だが、文面の一部が「御夫婦おそろいにて御来観下さいますようにご案内申し上げます」となっている。いわば内閣官房・内閣府から「御夫婦おそろい」で招待されたことを示している。
招待基準は「各界に於いて功労・功績のあった方々」であって、「あった方々とその夫人」とはなっていない。安倍晋三が「御夫婦おそろいにて」としたためることができたのは安倍晋三自身か、安倍後援会から「御夫婦おそろい」の形で申し込み、「申し込めば、必ず招待状が届く」構図になっていること以外に,「御夫婦おそろい」で申し込んだものの、夫の方も夫人の方も内閣官房・内閣府の取り纏めの段階で篩い落とされずに二人揃って招待された夫婦のみにこのような文面の案内状を送ったか、いずれかの場合であろう。
だが、後者とすると、やはり招待基準が「各界に於いて功労・功績のあった方々とその夫人」とはなっていないことに抵触することになって、内閣官房・内閣府自体が「申し込めば、必ず招待状が届く」構図にしていなければ、「御夫婦おそろい」の案内状とはならない。
安倍晋三はこの点をどう申し開くのだろうか。
これだけでは「私の事務所が申し込めば、必ず招待状が届く」構図になっている証拠にならないと言うなら、一度ブログに取り上げた以下のことをから証拠立ててみる。
あべ事務所が送付した「桜を見る会」への参加申込書に書かれている内容。(一部抜粋)
〈※ご夫婦で参加の場合は、配偶者欄もご記入ください。
※後日郵送で内閣府より招待状が届きますので、必ず、現住所をご記入ください。
※参加される方が、ご家族(同居を含む)、知人、友人の場合は、別途用紙でお申し込み下さい。(コピーして利用して下さい)〉
等々が記載されている。
招待基準に反してご夫婦での参加を促しているが、招待基準の「各界に於いて功労・功績のあった方々」を他処に置いて、ご夫婦だけではなく、同居を含むご家族、知人、友人まで範囲を広げて参加申込を促し、参加申込をしさえすれば、即そのまま「後日郵送で内閣府より招待状が届きます」と、参加申込=招待、いわばあべ事務所が「申し込めば、必ず招待状が届く」体裁となっている。つまり内閣官房・内閣府に於ける招待基準に合わせた取捨選択の取り纏めのプロセスを無視している。勿論、この無視はあべ事務所が招待者を決めていて、「申し込めば、必ず招待状が届く」構図になっていることからこそ可能となる無視以外の何ものでもない。
実際に内閣官房と内閣府の取り纏めによって招待客が選別される仕組みになっていたなら、非常に失礼になるが、失礼になることを顧みずに「例え申し込んだとしても、内閣官房・内閣府の取り纏めによって招待にまで至らない方も出てきます」との断りを入れなければならない。
こういった申込書に対して内閣官房・内閣府が招待基準に則った招待者の決定を手続きとしていたなら、1万人の予定参加者を8千人も上回ることはなかったろう。そうはなっていなかったのはこの手の案内状や申込書が出回ったこと以外に考えることはできない。
自民党事務局総務部が平成31年の参議院改選議員に宛てた「桜を見る会」の案内状の文面も、「申し込めば、必ず招待状が届く」体裁を取っている。
「平成31年改選議員」〈2019年7月21日執行参議院議員選挙〉に対して招待基準である「各界に於いて功労・功績のあった方々」であることを頭から取り上げずに「一般の方(友人、知人、後援会等)を4組までご招待いただけます」と招待を請け合っている。内閣官房・内閣府による取り纏めは一切触れていない。と言うよりも、取り纏めのプロセス自体を省き去っている。
このように省き去ることができるのも、「桜を見る会」が「申し込めば、必ず招待状が届く」仕様となっていなければできない。自民党改選議員にしたら、少しでも選挙を有利にしよう、少しでも票を集めようということで、4組ギリギリまでの招待を獲ち取るべく、支持者の中から選んだに違いない。このプロセスも「申し込めば、必ず招待状が届く」ことを前提としていることになる。招待を申し込んだとしても、内閣官房・内閣府の取り纏めの段階で省かれでもしたら、票を稼ぐどころか、失う結果になる。
安倍晋三の「私の事務所が申し込めば、必ず招待状が届くものではありません」はどこからどう見ても、真っ赤かのウソ答弁だと言い切ることができる。
2019年11月20日参院本会議で立憲民主党参議院議員那谷屋正義に対して安倍晋三は「これまでのこのような運営については大いに反省すべきであり、今後、私自身の責任に於いて招待基準の明確化や招待プロセスの透明化を検討すると共に予算や招待人数も含め、全般的な見直しを幅広く意見を聞きながら行ってまいります」と答弁、上出2019年12月2日の参議院本会議では田村智子に対しても、「『桜を見る会』のこれまでの運営については大いに反省すべきであり、今後、私自身の責任に於いて招待基準の明確化や招待プロセスの透明化を検討すると共に予算や招待人数も含めて全体的な見直しを幅広く、意見を聞きながら行って参ります」と約束しているが、「招待基準の明確化」にしても、「招待プロセスの透明化」にしても、「これまでの運営」で「招待基準」のどの点がどのように「不明確」であったのか、「招待プロセス」のどの点がどのように「不透明」であったのか、「大いに反省すべき」事柄はどの点なのか、その検証から入って、洗い出した直すべき点を示し、どう正したのかを提示して初めて、「招待基準の明確化」と「招待プロセスの透明化」がどの程度行われたのか、十分に行われたのか、国民の目に明確に見える形で判断できることになる。
前者の検証を経ない「招待基準の明確化」と「招待プロセスの透明化」はどこをどう「明確化」したのか、どこをどう「透明化」したのか、国民には判断できないことになる。国民が判断できなければ、国民に対する説明責任を果たしたことにはならない。
国民への説明責任を果たすためにも検証から入るべきで、そこから入るにについてはバックデータの復元から始めなければならない。