安倍晋三の選ぶべくして選んだのか、自らの国粋主義・国家主義・自民族優越主義と見事一致した新元号「令和」

2019-04-04 12:09:51 | 政治


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 2019年7月28日任期満了実施参院選で

安倍自民党を大敗に追いつめれば

政権運営が行き詰まり 

2019年10月1日の消費税10%への増税を

断念させる可能性が生じる



 新元号は2019年4月1日の午前11時半から官房長官の菅義偉が発表するということだったが、なぜか遅れて、NHK NEWS WEB記事によると11時41分からの発表となった。安倍晋三のふてぶてしさに関係なく墨で太々と「令和」と書いた額を掲げた。

 そして、「『令和』は『万葉集』の梅花の歌、三十二首の序文にある『初春の令月(れいげつ)にして、気淑(きよ)く風和(やわ)らぎ、梅は鏡前(きょうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭(らん)は珮後(はいご)の香(こう)を薫(かお)らす』から引用したものだ」(NHK NEWS WEB)と、奈良時代末期編纂の万葉集の和歌からの出典であであることを明らかにした。

 この和歌の作者はネットで調べてみると、大伴旅人とか、山上憶良とか名前は上がっているが、歴史上作者不明となっているということである。

 中国の古典から離れて、日本の古典から採用した点、日本主義者安倍晋三らしいと思ったが、「令和」という二字熟語自体が上からの命令による平和・調和という意味解釈を取る点からも、安倍晋三らしい選択だと思った。安倍晋三がこのように持っていくべく謀ったのではないかとさえ疑った。

 「日本主義」とは、〈明治中期において明治政府の極端な欧化主義に対する反動として起こり、日本古来の伝統的な精神を重視しこれを国家・社会の基調としようとした国家主義思想である。〉と「Wikipedia」は紹介している。

 「令和」が発表されると、ネットでも同様の感想が見受けられたという。このような反響に対する国語辞典編纂者飯間浩明氏の意見を2019年4月2日付「asahi.com」記事が伝えている。

 〈インターネットでは、「令」の文字に「命じる」「いましめる」という意味もあることから、「命令に従え」という意味を連想するという意見もあるが、「令には『令夫人』『令兄』のように相手を立てたり、『令顔』のように美しさや素晴らしさを表したりする用法もある」と話す。〉

 要するに上からの命令系の「令」ではありません、相互尊重(相手を立てる)や秀逸さ(美しさ・素晴らしさ)を表現する系統の「令」だと断りを入れている。と言うことは、命令系の「令」と解釈することはゲスの勘繰りということになる。
 
 外務省も同様の海外からの反響を受けて、「令和」の英語表記の統一を各国駐在日本大使に指示したと、2019年4月3日付「NHK NEWS WEB」記事が伝えている。

 〈イギリスの公共放送BBCが「令」の意味を秩序の「order」だと速報するなど、一部メディアが、「令」が一般的に「order・秩序」や「command・指令」の意味で使われているなどと報じた〉。対して外務省は正確な統一的理解の確立ために、〈「令和」には「beautiful harmony」、美しい調和という意味が込められていると説明するよう、海外に駐在する大使などに指示した。〉・・・・

 「令」の文字を国語辞典編纂者飯間浩明氏と同様の解釈を取り、「和」という文字をプラスして、新しい時代への願いとして「美しい調和」の意を込めた「令和」であって、戦前型の上意下達的な意を纏わせた「令和」ではないと、前者の解釈を切り捨てている。

 新元号が果たして上意下達的な上からの命令系の「令和」と解釈されるのか、相互平等性を込めた「美しい調和」と解釈されるべきなのか、順次見ていく。

 先ず出典となった和歌の意味を「NHK NEWS WEB」(2019年4月1日 15時49分)記事紹介の二松学舎大学塩沢一平教授の說明から見てみる。

 大伴家持の父であり、当時太宰府の長官だった大伴旅人の邸宅で開かれた宴席に集まった32人が梅を題材に和歌を詠み、この32首の序文(背景説明)として読まれた和歌だそうで、「春の初めの良い月にさわやかな風が柔らかく吹いている。その中で、梅の花は美しい女性が鏡の前でおしろいをつけているかのように白く美しく咲き、宴席は高貴な人が身につける香り袋の香りのように薫っている」という意味だと解説している。

 では、安倍晋三が新元号発表後に開いた「談話記者会見」から、「令和」についいてどのように説明しているのか見てみる。

 「この『令和』には、人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つという意味が込められております」――

 当然のことだが、上からの命令系の平和・調和を意味する新元号「令和」ではないと間接的に否定、文化育成の新しい時代となることの願いを込めた美しいばかりの相互尊重系の新元号「令和」だと強調し、断言している。

 そして万葉集については、「1200年余り前に編さんされた日本最古の歌集であるとともに、天皇や皇族、貴族だけでなく、防人(さきもり)や農民まで幅広い階層の人々が詠んだ歌が収められ、我が国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書であります」と說明、万葉集に収められた和歌が「天皇や皇族、貴族」といった上流階級の占有物ではなく、「防人や農民まで幅広い階層の人々」が嗜んだ国民的な文化だと断りを入れて、万葉集を新元号の出典とすることの妥当性に理解を求めている。

 冒頭発言の最後は、「文化を育み、自然の美しさをめでることができる平和な日々に心からの感謝の念を抱きながら、希望に満ちあふれた新しい時代を国民の皆様と共に切り開いていく。新元号の決定に当たり、その決意を新たにしております」と締め括っている。

 但し万葉集を新元号の出典とすることの妥当性を求めたあとで、「悠久の歴史と薫り高き文化、四季折々の美しい自然、こうした日本の国柄をしっかりと次の時代へと引き継いでいく。厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人一人の日本人が明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる、そうした日本でありたいとの願いを込め、『令和』に決定いたしました」と述べているところに安倍晋三の国粋主義・国家主義・自民族優越主義そのものが顔を覗かせていて、前に述べた上からの命令系であることを間接的に否定して、相互尊重系の新元号「令和」だと強調し、断言したことと矛盾するし、「希望に満ちあふれた新しい時代を国民の皆様と共に切り開いていく」云々と口にしたことを自ら裏切ることになる。

 そもそもからして「悠久の歴史と薫り高き文化、四季折々の美しい自然」等々、日本の歴史・文化・伝統、さらに自然までをも、優越性を持たせた面からのみ捉えた価値観を付与して、それが「日本の国柄」だとし、歴史にしても、文化にしても、自然にしても否定的側面をも否応もなしにない交ぜにしていること(色々な物が混ぜ合わさって一つのものを形成していること)を一切無視していることは世界的通念となっている文化相対主義に対する挑戦そのものであろう。

 【文化相対主義(Cultural relativism)】「全ての文化は優劣で比べるものではなく対等であるとし、ある社会の文化の洗練さはその外部の社会の尺度によって測ることはできないという倫理的な態度と、自文化の枠組みを相対化した上で、異文化の枠組みをその文化的事象が執り行われる相手側の価値観を理解し、その文化、社会のありのままの姿をよりよく理解しようとする方法論的態度からなる」(「Wikipedia」

 だが、安倍晋三は日本の歴史・文化・自然を他国のそれらよりも遥か上に置いて、それを以って「日本の国柄」だと優越的に価値づけている。「自国の歴史・政治・文化などが他国よりも優れているとして、それを守り発展させようとする主張・立場」を国粋主義と言い、この国粋主義を成り立たせている思想的原点は、他国よりも優れているとしている自民族優越主義である。

 そして自民族優越主義は自民族・自国を単位として何事に於いてもその優越性を価値づける点、「国家をすべてに優先する至高の存在、あるいは目標と考え、個人の権利・自由をこれに従属させる思想」(大辞林)である国家主義を背後に内包していることになる。

 安倍晋三が国粋主義者・国家主義者・自民族優越主義者であることは、この種の日本人が満ち溢れていた戦前日本への回帰主義を自ずと抱えていることになることと共に何度かブログに書いてきたが、安倍晋三のこういった主義・思想から記者との質疑応答の一つを見てみる。

 産経新聞小川記者「産経新聞の小川です。内閣記者会の幹事社として質問させていただきます。

 今日、先ほど決定した新元号を、日本の古典を由来とする『万葉集』からとった『令和』としたことについて、これまで元号は全て中国の古典を由来としてきたとされております。改めて、日本の古典を由来として「『令和』に決めた、その総理の思いをお聞かせください。

 また、今月末で幕を閉じる平成の30年間は、国内では人口減少が進み、また、自然災害が相次ぎました。また、目まぐるしく変化する国際情勢やデジタル化など、日本は今、大きな転換点を迎えています。5月1日の改元まで残り1か月となったことを踏まえて、平成の次の時代をどのような気持ちで迎え、また、次の時代のどのような国づくりをされていきたいか、お考えをお聞かせください」

 安倍晋三「我が国は、歴史の大きな転換点を迎えていますが、いかに時代が移ろうとも、日本には決して色あせることのない価値があると思います。今回はそうした思いの中で歴史上初めて国書を典拠とする元号を決定しました。

 特に『万葉集』は、1200年余り前の歌集ですが、一般庶民も含め地位や身分に関係なく幅広い人々の歌が収められ、その内容も当時の人々の暮らしや息づかいが感じられ、正に我が国の豊かな国民文化を象徴する国書です。これは世界に誇るべきものであり、我が国の悠久の歴史、薫り高き文化、そして、四季折々の美しい自然、こうした日本の国柄はしっかりと次の時代にも引き継いでいくべきであると考えています」――

 誰にしても分かりきったことだが、「色あせることのない価値」とは時代を超えて持ち続けることができる肯定的な優れた価値を指す。

 確かに「いかに時代が移ろうとも、日本には決して色あせることのない価値がある」と言うことができる対象物はあるが、その多くが学問・芸術・技芸等の文化の所産である文物であって、封建時代は豪族、武士、明治以降は政治家や軍人、豪商、企業家等の権力的営為に関しては肯定的な優れた価値のみで捉えて、全てを「色あせることのない価値がある」と評価付けることは不可能で、色褪せることなく持ち続けることになっている否定的価値をもない交ぜにしている歴史的事実を抹消させていて、ここにも安倍晋三の自民族優越主義を露出させていることになる。この露出は既に触れたように国粋主義の露出であり、国家主義の露出ということになる。

 いわば安倍晋三は自らの国粋主義・国家主義・自民族優越主義に基づいて、「我が国の悠久の歴史、薫り高き文化、そして、四季折々の美しい自然、こうした日本の国柄はしっかりと次の時代にも引き継いでいくべきであると考えています」と発言していることになる。

 当然、ここで問題となるのは厳密に言って、安倍晋三が言っているように実際に「『令和』という二字熟語には、人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つという意味が込められている」とすることができるかどうかであり、国語辞典編纂者飯間浩明氏が言っているように「令には『令夫人』『令兄』のように相手を立てたり、『令顔』のように美しさや素晴らしさを表したりする用法もある」とすることができるかどうかであり、外務省が各国に派遣している大使館大使に指示したように「令和には『beautiful harmony』、美しい調和という意味が込められている」とすることができるかどうかということになる。

 では、元の和歌と上記掲げた「NHK NEWS WEB」記事が紹介していた二松学舎大学の沢一平教授の出典和歌の解釈に戻ってみる。

 「初春の令月(れいげつ)にして、気淑(きよ)く風和(やわ)らぎ、梅は鏡前(きょうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭(らん)は珮後(はいご)の香(こう)を薫(かお)らす」 

 「春の初めの良い月にさわやかな風が柔らかく吹いている。その中で、梅の花が美しい女性が鏡の前でおしろいをつけているかのように白く美しく咲き、宴席は高貴な人が身につける香り袋の香りのように薫っている」――

 これが32首の序文(背景説明)である以上、32首を以ってして詠みこんでいる情景の說明以外の何ものでもなく、何らかの時代性を持たせて詠み込んでいるわけでもないし、時代性を暗示させて詠み込んでいるわけでもないし、時代性を象徴させて詠み込んでいるわけでもないことは和歌そのものに現れている。

 要するにこの和歌が「令」の字と「和」の字に持たせている意味から離れて、その意味とは無関係に「令」と「和」の字をピックアップして、「令和」とひっつけ、二字熟語をつくり上げたに過ぎない。

 当然、和歌とは関係なしに「令和」となる二字熟語そのものから、どういった意味を込めているのか、どういった時代性を望んでいるのか読み解かなければならない。

 但しこの和歌からは如何なる時代性も影も形も見えないとしても、元号が天皇の時代を表し、その時代の中に国民を置いている以上、新元号は新天皇のあるべき時代を象徴する二字熟語として選考されることになるばかりか、天皇と国民の関係性をも託されることになるゆえにその関係性までも「令和」という言葉に込められているはずだから、それらの関係性をどう表しているかという点からも読み解かなければならない。

 元号が天皇の時代を表していることは国民主権でありながら、国民に発表するよりも前に天皇と皇太子に報告して、新元号「令和」を定める政令の公布に当たって天皇に「御名御璽」を求めたことからも証明することができる。

 最初に書いたように菅義偉の新元号発表時の「令和」の「令」の字に上からの命令系の意味解釈を感じ取ったから、大正6年初版発行という時代物の『大字典』(啓成社)で調べてみた。「令」の字が載っているページの画像を載せておくが、かなりボロボロになっている上に撮影技術が未熟なために写りが悪いが、勘弁してもらうことにする。

 赤線で囲った箇所を最初に表記してみる。当用漢字を使用。

 〈上に立つ人の下命戒告をいふ。〉、〈上官の命を奉ずる義。転じて長官の義とし、更に命に服従せしむる義とし〉云々と、命令形の意味を持たせている。そしてこのあとに赤線で囲ってないが、〈助動詞としては、して・しむ・せしむ等他に動作をなさしむる義。〉と、当然なことだが、命令系の助詞であることを以って名詞解釈との間に整合性を持たせている。

 この「大字典」の漢字解釈のみで、「令和」なる二字熟語が和歌の詠みとは関係なしに上からの命令系の平和・調和を表現していることが明らかになる。要するに戦前型の国家秩序・社会秩序を新元号に託して、そのような時代となることの願いを込めた。

 国語辞典編纂者飯間浩明氏「令には『令夫人』『令兄』のように相手を立てたり、『令顔』のように美しさや素晴らしさを表したりする用法もある」と指摘しているが、「大字典」の次のページに「令夫人」(人の妻の敬称)とか、「令兄」(他人の兄の敬称)等々、載っているし、「令顔」は見当たらないが、「令容」(ととのいたるよきかたち)と同じ意味の漢字が載っているが、全て皇族・貴族等の上流階級、もしくは上位権威者に所属する言葉か、そうでなければ、時代がかなり下って明治・大正・昭和初期の知識階層が精々使う言葉であって、一般国民、あるいは一般庶民の日常用語とは無縁の言葉であり、この「令」の文字が持つ階級差は隠れもない。

 そのような「令」の字であり、新元号「令和」でありながら、安倍晋三は「この『令和』には、人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つという意味が込められております」とか、「文化を育み、自然の美しさをめでることができる平和な日々に心からの感謝の念を抱きながら、希望に満ちあふれた新しい時代を国民の皆様と共に切り開いていく。新元号の決定に当たり、その決意を新たにしております」と、国民の日常に即した、美しい意味の元号であるかのように胸を張って装っている。

 以上、当方の解釈を纏めると、安倍晋三が自らの国粋主義・国家主義・自民族優越主義に一致させるべく、戦前型の上からの命令系の平和・調和を密かに望み、選ぶべくして選んだ新元号「令和」と見る他ない。

コメント (1)
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