安倍昭恵小学校名誉校長就任は安倍晋三名の小学校安倍名誉校長就任へのバトンタッチの布石だったのではないか

2017-03-03 13:01:55 | 政治

 このブログのテーマとは関係しないが、民進党玉木雄一郎の聞き取りへの工事業者の、掘り出した約2000立方メートルの汚染土のうち半分程度しか敷地外に搬出せず、残りは運動場予定地に埋め戻したとする証言に森友学園は仮置きしただけのことで、撤去・運搬するとホームページで明らかにして2月27日からゴミと土の分別作業を開始したが、そのことを伝えている2017年3月2日付の「NHK NEWS WEB」記事添付の動画(現在動画は削除されている)をどの程度の分別作業か参考になると思って、ここに載せておいた。  



 動画には篩(ふるい)バケット付きの3台の大型重機がそのバケットにバケット容量の半分か3分の一程度の土を入れて、バケットに振動を与えて土を篩い落としてしている様子が写っていたが、記事が、〈地中から掘り起こされた生活ゴミやコンクリートなどの産業廃棄物が、1年近く前から積み上げられています。〉と解説しているものの、バケットの中には生活ゴミらしい生活ゴミも、コンクリートなどの産業廃棄物らしい産業廃棄物も目立った様子で写っていない。

 2017年3月1日の参議院予算委員会で国交相の石井一も、木材や廃プラスチックが混入されていたと発言している。

 ところが、分別対象の土の山の表面全体にも生活ゴミやコンクリート等の産業廃棄物らしき、あるいは石井一が言っているような木材や廃プラスチック等の目立った影は目に入ってこないことはお分かりになるはずである。

 だが、大阪航空局は建設敷地の5190平方メートルを対象に埋まっている廃棄物を1万9500トンと推計、その撤去・処理費用を8億1900万円と見積もっている。

 半分程度の土を仮置きしたなら、単純計算ではあるが、9000トン程度の廃棄物が土中に混じっていていいはずで、そのうちの少しは表面に見えていなければならない。

 その半分と見ても、4、5千トンの廃棄物は土中に混入していなければならないし、土の表面に突き出ていていいはずである。

 だが、篩をかけているバケットの中にも土の山の表面にもそれらしき物体は見えない。一角に分別された廃棄物が集められているが、1万9500トンという大量な産業廃棄物の面影は、とてものこと、そのほんの僅かもない。

 尤も重機で掘削した一部の場所からは土中廃棄物が殆どなかったから、外部に搬出せずに埋め戻しに転用しようとしたというのが実態で、仮置きは言い訳に過ぎないとしても、廃棄物を1万9500トンとした推計自体がいい加減だった可能性が出てくる。何しろ約2000立方メートルの汚染土のうち半分程度が仮置きしたことになっているのである。

 誰か政治家の依頼を受けて土地代金を安くするために土中産業廃棄物を1万9500トンと見積もったようにみえる。

 安倍晋三は国会で自身も夫人の安倍昭恵も森友学園の国有地売買に一切関わっていない、安倍昭恵が森友学園開校予定の瑞穂の國記念小學院名誉校長就任時の報酬も、森友学園所属の幼稚園で公演した際の講演料も受け取ってないと断言している。

 そして安倍晋三は森友学園理事長が瑞穂の國記念小學院は当初は「安倍晋三記念小学校」と命名を希望していたが、命名の依頼を受けたのは妻昭恵を通しでであり、依頼された時点で妻を通して断っている。だから、籠池泰典とは一面識もない、昭恵が名誉校長を依頼され、引き受けたのは本人の個人的なネットワークを通じてであって、自身を通した話ではないといった国会答弁をしている。

 「安倍晋三記念小学校」と命名を妻を通して依頼されたのははっきりした日は覚えていないが、第1次安倍内閣で首相を辞任した2007年9月26日以降、第2次安倍内閣成立の2012年12月26日以前だとしている。

 2017年2月17日衆院予算委員会。

 安倍晋三「私、あのー、そもそも、今、話を伺ってですね、初めて知ったわけでございますが、これは私が総理を辞めたときにですね、ときに、その、妻が知っておりまして、そしてその中でそういう、いわば私の考え方に非常に共鳴している方で、その方から小学校をつくりたいので、安倍晋三小学校にしたいという話がございましたが、私はそこでお断りをしているんですね。

 私はまだ現役の国会議員だし、総理大臣は辞めたけれども、この先、もう一回復帰することを諦めたわけではないので、現役の政治家である以上ですね、私の名前を冠にするのはふさわしくないし、そもそも私が死んだ後であれば別だけども――」

 2017年2月24日衆院予算委員会。

 安倍晋三「あの、そもそもですね、安倍晋三記念小学校という名前をつけたいという依頼は私が総理大臣になる前の話であります。えー、一議員のときでありましたが、その前の段階で既にお断りを、妻を通じてでございますが、妻に依頼がございまして――」

 そしてこれまでの間にも電話で事務所に何回も命名の依頼があったが、その都度秘書が断っていたが、今回森友学園が安倍晋三名で小学校建設資金の寄付を集めていることを野党が国会で追及したのを機に名前を使っていたことの抗議をし、最終的に断った。

 妻昭恵が名誉校長を断ったのも、今回の問題が起きてから2017年2月23日頃ということである。

 「テレビ東京」記事によると、安倍晋三夫人安倍昭恵は2015年9月5日に森友学園の塚本幼稚園で瑞穂の國記念小學院名誉校長就任の記念講演を行っている。と言うことは、安倍昭恵は1年と3カ月も名誉校長の名誉ある座に居座っていたことになる。 

 森友学園が安倍晋三名で寄付集めをしていた事を知ったのは2017年2月17日の衆院予算委員会で民進党の福島伸享から知っているのかと問われてからで、次のように答弁している。

 「私、あのー、そもそも、今、話を伺ってですね、初めて知ったわけでございますが」――

 この寄付集めは同じく福島伸享が2014年3月頃だと明らかにしている。

 だとすると、安倍昭恵が瑞穂の國記念小學院の栄えある名誉校長に就任した2015年9月5日よりも1年半程前には既に「安倍晋三記念小学校」という名前を予定していたことになる。

 「テレビ東京」記事添付の動画が伝えている、安倍昭恵の名誉校長就任記念講演の3カ月後の小学校建設地鎮祭の横断幕には瑞穂の國記念小學院の文字が入っている。3カ月後というと、2016年12月頃ということになる。

 この頃には既に「安倍晋三小学校」という命名を諦めていたことになる。 

 だが、安倍晋三は国会答弁で、日付は明らかにしないが、最近まで相手から命名の依頼があり、その都度断っていたような国会答弁をしている。

 2017年2月24日衆院予算委員会での民進党福島伸享に対する答弁から見てみる。

 安倍晋三「私の安倍晋三小学校ということについては再三お断りしているにも関わらず、ああして(寄付集めに)名前を使われたことは極めて遺憾だということを伝え、そしてその後ですね、その後事務所の方から正式にですね、先方に連絡を致しまして、えー、妻としては自分がこうした経緯があるとは言え、名誉校長を引き受けていることによってですね、そこに通う子どもたちやご両親に却ってご迷惑をかけ続けることになるんで辞任をさせて頂くということを先方に申し入れたそうであります。

 実はこれはお断りしたわけでありますが、実はその、何回もですね、何回も事務所の方に、えー、これは依頼が、1回断ったんですが、ずっと来続けて、それは秘書が対応しておりましたが、秘書が連続してお断りし続けて、ですから、秘書の方から何回も何回もお断りし続けてるじゃないですか。

 であるにも関わらず、寄付集めでこうした名前を使われたことはこれは本当に遺憾であり、と言うことで抗議をしたところでございます。先方からもですね、それは一日ふつかしか使っていないと言う、そういう釈明があったんですが、しかしそういう問題ではなくて、これは名前を使わないというお断りをしているわけだということについては、これは大変遺憾であり、大変残念であるという強い抗議をし、先方からは申し訳ないという謝罪があった所でございます。

 ま、そういう経緯もあり、えー、先方のホームページ等々からは、えー、妻がですね、名誉校長ということで載っていたわけでありますが、先方がこちらの申し入れに従って削除したのではないかと思います」――

 一読すると、安倍昭恵の名誉校長の就任を何度も断っているような話しに見えるが、この後の答弁で、「また今回のですね、様々な出来事がございましたので、明確に妻とも話し、そして今回名誉校長の件を退くということになったということでございます」と言っているから、国有地取得疑惑が起きたことが発端の名誉校長辞任である。

 いわば小学校に安倍晋三と名前を付けたいという要望が何回も事務所の方にあり、その都度秘書が連続して断り続けていたことになる。

 かくこのように森友学園理事長籠池泰典は新設小学校の名前に「安倍晋三記念小学校」と名付けることに熱意を示していながら、一度も安倍晋三に面会して直談判に及ぶこともなかったし、安倍晋三名で寄付を募っていたことの安倍晋三の抗議に安倍晋三に直接会って謝罪するといったこともしていない。

 一般的な常識では考えられない幽霊のような存在を安倍晋三に対して曝している。

 「安倍晋三記念小学校」名と安倍昭恵瑞穂の國記念小學院名誉校長就任に関わる野党の疑惑追及にどうも安倍晋三はこの問題の経緯をごちゃ混ぜにすることで時系列を明確にしない戦法に出ているようだ。

 この戦法は時系列を明確にした場合、話の辻褄が破綻することをを恐れているからに他ならない。

 以上書いてきたこの二つの問題の時系列を改めて記してみる。

 2014年3月以前、籠池泰典は新設小学校に「安倍晋三記念小学校」という名前をつけることを希望していた
 2014年3月頃から安倍晋三名の寄付集め。
 2015年9月5日、安倍昭恵が瑞穂の國記念小學院名誉校長就任記念講演
 2016年12月頃、瑞穂の國記念小學院地鎮祭
 2017年2月17日、安倍晋三は森友学園が安倍晋三名で寄付集めをしていたことを知る
 2017年2月23日前後、安倍昭恵の瑞穂の國記念小學院名誉校長辞任を申し入れ。同時に安倍晋三名で寄付集めをしていたことと名前を使わないように抗議

 ところが2013年頃、〈森友学園の籠池泰典理事長から大阪府私学課に対して「豊中市の国有地を取得して小学校を建てたい。安倍晋三記念小学校という校名を考えている」と認可申請の方法について問い合わせがあった。〉と、2017年3月1日付「共同通信47NEWS」が伝えている。    

 対して大阪府私学課は政治的中立性を理由に難色を示したという。

 2013年と言うと、安倍晋三が再び首相に返り咲いた2012年12月26日以降と言うことになる。

 安倍晋三が籠池泰典から妻の昭恵を通して新設小学校に「安倍晋三記念小学校」と言う名前をつけたいと依頼されたのは最初の総理大臣を辞めて再び総理大臣に就く前の一議員であった時期であり、妻を通してその場で断ったと自身は発言している。

 だが、籠池泰典は安倍晋三が再度首相となった2012年12月26日から年を越した2013年に大阪府私学課に対して新設小学校に「安倍晋三記念小学校」と命名したいがどうだろうかと問い合わせをした。

 もし安倍晋三が言っているとおりに第1次安倍内閣で首相を辞任した2007年9月26日から第2次安倍内閣成立の2012年12月26日の間に「安倍晋三記念小学校」と言う命名を断っていたとしたら、確約のないことの問い合わせをするだろうか。

 常識的に考えると、それなりの確約が安倍晋三側から与えられていたはずだ。

 ところが、2013年頃に籠池泰典が大阪府私学課に対して「安倍晋三記念小学校という名前」について問い合わせをしたのに対して政治的中立性という点で難色を示された。

 但し難色を示したということは、そういった名前を受け付けることはできませんと拒絶したわけではない。

 政治家などを使って様々に手を打っていたということも考えられる。

 「Wikipedia」によると、2014年10月31日に瑞穂の國記念小學院の設立認可申請書を大阪府に提出、同年12月18日に大阪府私立学校審議会が審議、継続審議となったが、2015年1月27日に設置認可適当とされたとある。

 この瑞穂の國記念小學院の設立認可申請書提出の2014年10月31日は安倍昭恵が瑞穂の國記念小學院名誉校長就任記念講演をした2015年9月5日から約2カ月近く後でということになる。

 と言うことは、安倍昭恵が瑞穂の國記念小學院と言う名前の小学校の名誉校長に就任した2015年9月5日以前のいずれかの時期に「安倍晋三記念小学校」と言う命名を断念したことになる。

 その時期は少なくとも大阪府私学課に名前を打診した2013年頃から安倍昭恵が名誉校長に就任した2015年9月5日以前の2015年9月5日に近い時期と言うことになる。

 いわば森友学園の籠池理事長が2013年頃以降のいずれかの時期に「安倍晋三記念小学校」と言う命名を断念し、安倍昭恵名誉校長就任という経緯を取ったことになる。

 このような経緯は安倍昭恵の瑞穂の國記念小學院名誉校長就任は再び名前を変えることにする安倍晋三名の小学校安倍名誉校長就任へのバトンタッチの布石ではなかったのと考えられないことはない。

 勿論、総理大臣の現職にある者が私学の小学校の名誉校長に就くことはできない。だが、安倍昭恵は2017年2月21日放送のテレビ東京が安倍昭恵の名誉校長記念講演での「(籠池)先生からは『安倍晋三記念小学校』という名前にしたいと当初は言っていただいたのですが、主人が「総理大臣というのはいつもいつもいいわけではなくて、ときには批判にさらされることもある。もし名前を付けていただけるのなら、総理大臣を辞めてからにしていただいたい」との発言を伝えている。

 この発言も含めると、バトンタッチの布石を答としなければ、考えられない経緯であろう。

コメント
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