僕の家内は招き猫が好き

個人的なエッセイ?

「Without You」

2016年11月25日 | Music
  今夜のことは忘れない
 去っていく君の表情も

 でも思うんだ、これが人生の成り行きなんだって
 君はいつも微笑んでいたけど、その瞳は悲しみに染まっていた

 そう、僕には分かった
 君なしでは生きていけない
「Without You」 バッドフィンガー

福岡の友だちと、食事をしました。
ちょっぴり、お酒も飲みました。

お店を出て、ほろ酔い気分で歩いていると、
彼が懐かしい曲を、ちいさの声で歌いだしました。

  No, I can't forget this evening
  Or your face as you were leaving

哀愁のある、調べ・・・。
懐かしいね。

昔はよく、歌っていたよね。
その声で、何人の女性を騙したんだよ。

※(ちなみに彼は、社会人です。念のため。)

あのころは、僕たちも輝いていた。
髪の毛もあったし、お肌もピチピチしてさ。

女の子にも、もてたような気がする。(これ、願望です)

なんて、中年オヤジが2人して、なにセンチメンタルになっているんだか。
コートの襟を立てて、両手に息を吹きかけました。

時は、流れる。
後ろを振り返るのが怖くて、歩いてきた。

でも、切なさに、ふと過去に縋りつきたくなるときがある。
そう・・・今の僕たちのように。

お前が、この曲を歌うから、思い出したじゃないか。
連戦連敗の、青春時代を。


僕にとっては、思い出のある曲。
姉さんが、よく聴いていたっけ。

ミス〇〇高校(ちがうかもしれない)と呼ばれていたような気がする姉が、
なぜ、こんな切ない曲を聴いていたのか、いまだにわかりませんが、
彼女にも、人並みの切なさがあったのかもしれません。

弟の僕は、よく隣に座って聴いていた。

だから、失恋するたびに、僕はこの曲を思い出してしまう。
この曲が、ラジオから流れるたびに、黒歴史がよみがえる。

夜道を歩く、中年オヤジ。
ホント、この曲が一番似合わないのは、今の僕たちだよね。

ps

ねぇ、あなたって、シスコンなの・・・?(家内談)


◆ 参考文献 「Withouto You」 Wikipedia

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修行僧

2016年11月24日 | 日記
障がい者の作業所に、お手伝いに行きました。
仕事内容は、車のゴム部品の「バリ取り」です。

久しぶりにいったせいか、うまく取れません。
力任せに取ろうとすると、注意されました。

ほかの方を見ると、上手にバリを取っています。
なんか、うまいやり方があるみたい。

早速訊ねてみました。

  どこから取ればいいのですか?

 「ここを、こうして取れば、楽ですよ。」

丁寧に教えてくれました。

和やかに作業をする姿に、つい顔がほころんでしまいました。

・・・でも、手が痛いです。
要領が悪いもんだから、手の皮がむけそうです。

日頃、怠けているから、このありさま。
僕の人生、そのものです・・・。

 「また来てくださいね。」

職員さんの声に手を振りながら、私は今晩のお風呂を心配していました。
多分、お湯につけたら、手の傷が痛いのだろうな・・・。

「怠け者!」(家内談)

ps

私の住んでいるところは、山奥です。
だから、寒いです。

12月になると、日が暮れると路面が凍結します。
だから、スタッドレス・タイヤは必需品。

夜寝るときも、部屋が冷え切って眠れません。
特に、僕のハゲ頭がキンキンに冷えてしまいます。

昨晩は、タオルで、頭を覆いました。

「まるで、昔の泥棒さんみたい」

家内が、笑います。

ほっといてくれよ。

福岡にいるときは、こんなことはなかったのに。
まるで冷蔵庫のような、布団の中で、今日も私は、寒さに耐えます。

修行僧だね~。

「それ・・・誰・・・?」(家内談)

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「カリフォルニアドリーミング」

2016年11月23日 | Music
木の葉はみんな枯葉色、そして空はどんより鉛色
そんな冬の日、僕は散歩していたんだ

もしロスにいれば気持ちが安らぎ暖かいのに…
こんな冬の日にはカリフォルニアを夢見るよ
                        「カリフォルニアドリーミング」 ママス&パパス



ラジオから、懐かしい曲が流れてきた。
僕は、いつの間にか、口ずさんでいた。

心はすぐに、暑くなる。
あの夏の、1日に時はもどった・・・。

高校2年の、夏休み。
僕は、幼なじみと映画に行ったんだ。

題名は、「カリフォルニアドリーミング」。
リバイバル作品だった。

幼なじみは、もちろん女子。
好きって言いいたいけど、もちろん断られるから、口にはできなかった。

だから映画で、僕の気持ちを伝えようとしたんだ。

映画の後、喫茶店に行った。
勇気を出して、告白しようとしたとき・・・。

 「実は私、好きな人がいるんだ。」

彼女が、ポツリと言った。
僕の顔を見なかった。

僕の夏は、終わった・・・。

  「こんな冬の日にはカリフォルニアを夢見るよ」

暑い夏なのに、僕の心は冬枯れのようだった。


                     

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典子 星降る街

2016年11月22日 | Wish
昔、昔のお話です。

私には、五歳年上の姉がいます。
新日鉄に勤務する義兄と結婚し、幸福な毎日を送っていました。

今から二十年前、姉は1人の女の子を出産しました。
名前は典子といいます。

姉にとって、初めての女の子でした。

しかし典子は、生まれつき内臓が弱く、原因不明の微熱が続いていました。
そのため、出産後すぐに、大学病院の小児科に入院しなくてはなりませんでした。

2ヶ月後、一進一退を繰り返していた典子の病状もどうにか落ち着きを取り戻し、ようやく退院することになりました。
気を揉んでいました私たち家族も、胸をなでおろしました。

当時、姉夫婦は新日鉄の社宅に住んでいました。
社宅にはさまざまな規則があり、入居者は月に数回社宅周辺の掃除を義務付けられていました。

同じアパートに住む方々は、そのたびに「早く、典子チャンのそばに帰ってあげなさい」と言ってくださり、身体の弱い典子のことを気遣ってくれていました。

ある掃除の日のことでした。

姉は、典子をベビーベットに寝かせて外に出ました。
皮肉なことに、その日は誰も姉に「早く帰りなさい」と声をかけてくれませんでした。

40分ほどたったころでしょうか。
ようやく掃除も終わり、姉は家に戻りました。

家に戻った姉を待っていたのは、呼吸の止まった典子の姿でした。

姉は典子を抱き裸足のまま、近くの病院へ駆け込みました。
しかし、その病院ではもう手の施しようがなく、救急車を呼び大学病院へ運ぶことになりました。

医師も同乗し、救急車の中で蘇生術を施しました。
しかし、姉の手の中で典子の身体はだんだんと冷たくなっていきました。

 「もう、だめだ。」

絶望感が、広がりました・・・。

大学病院に到着した典子は、心臓マッサージを受け、一度は心臓の鼓動はよみがえりました。
しかし、もう脳死の状態でした。

そして、再び心臓は鼓動を停止しました。
死因は、突然死症候群と呼ばれるものでした。

その夜、土砂降りの雨の中、典子は両親の待つ我が家に帰ってきました。
朝はあんなに笑っていたのに、今はもう何も言いません。

姉は無言のまま典子を抱きしめました。
小さなちいさな身体でした。

姉の口から、子守唄がこぼれました。

たった3ヶ月しか生きていないのに。
何も悪いことはしていないのに。

この世はなんて、不公平なんだろう。
なんて、非情なんだろう。

もしもあの時、誰かが「早く帰ってあげなさい」と一言いってくれたなら、典子は死ななかったのに・・・。
あふれ出る涙を、ぬぐうことができませんでした。

誰かを恨みたくて、しょうがありませんでした。

典子を失ってからの姉は、見ていられないほど悲嘆にくれていました。
滂沱する涙がほおを濡らし、典子の遺骨の前から離れようとはしませんでした。

「典子ちゃん、典子ちゃん・・・。」

名前を呼び続ける姉の姿が、深夜になっても消えることはありませんでした。

しかしあるとき、心に何か期する所があったのか、姉が厳しい顔をするようになりました。
その理由は、数ヶ月後にわかりました。

姉は、新しい生命を宿したのでした。

それを聞いた私たちの心の中に、悲しみとは違う感情が芽生え始めました。

それは「典子が、生まれ変わってくる」ということでした・・・。

科学的に考えても、常識で考えても「そんなことはありえない」ということは重々承知しています。

しかし、生まれ変わりだと信じたかった。
そう信じることによって、生きる希望がほしかった。

姉自身も、それを願っていました。

次女「康子」は、元気な姿で誕生しました。
典子が果たせなかった人生を再び歩み始めている。

私たちは、彼女に夢を託しました。
もうなにも悲しくはありませんでした。

悲しくはないのに、涙が止まりませんでした。

 「よく、帰ってきてくれたね。
  逢いたかったよ・・・」

床に伏せた頭を上げることができませんでした。

あれから、19年。

私たち家族は、次女・康子に典子の面影を重ね、ある意味で典子として育ててきました。

お宮参り、七五三、小学校入学。
そして・・・。

かって私たちが抱き続けた、典子へのかけがえのない想い。
静寂の時をつむいでいた幾多の夢が、再び動きだしたのです。

他人から見れば、馬鹿げたことかもしれません。
生まれ変わりなんて、ありえないことかもしれません。

しかし、信じることによって「出会いの奇跡」にめぐりあうことができました。

今でも姉は、典子の月命日になると、仏壇にお花とお菓子をお供えし、面影を偲んでいます。
そしてその傍らには、いつも次女・康子が座っています。

 「お帰り、典子。
  逢いたかったよ・・・」

涙の向こうで、19才になった典子が微笑んでいました。

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おじさん

2016年11月21日 | 日記
郷里のお寺のお手伝いに行きました。

その中に、お寺のお世話をしてくださっていた、お宅がありました。
今日が、37日忌です。

祭壇には、懐かしいお顔がありました。
 
  お久しぶりです。

私は、心の中で話しかけました。

先代の父親が住職をしていた、時代。
熱心に、お寺のお世話をする方々がいました。

法要など、お寺で行事があるときは、裏方として動いていました。

大みそかの除夜の鐘の時には、寒空の下、鐘楼堂の周囲で、
夜遅くまで、お詣りの来られた方の接待をしていました。

時の流れとともに、一人減り、二人減り、最後まで頑張っていたのに。

シンと静まり返った、部屋。
普段は、この家には誰もいないとのこと。

さみしいですよね・・・。

お子さんたちには、それなりの事象があるのかもしれないけれど、
どこかもの悲しさを感じました。


  夏休み。
  お盆経に、僕はやってきた。

  庭先では、風鈴の音がする。

  ローソクの灯り。
  お線香の匂い。

  おじさんと、おばさんが、僕の後ろで手を合わせる。
  僕は、緊張しながら、お経を読んだ。

  夏休み。
  思い出の中の2人は、いつまでも笑っていた。




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