僕の家内は招き猫が好き

個人的なエッセイ?

盲目のヨシノリ先生

2016年08月31日 | 日記
24時間テレビ、「盲目のヨシノリ先生」を見ました。
娘が、「お父さんは、絶対に見た方がいい」、と録画してくれました。

網膜剥離により失明した教師の、奇跡の現場復帰。
苦難の道のりを、ドラマ化したものです。

以前、テレビのドキュメントで、ヨシノリ先生ご自身を、拝見したことがありました。
全盲で、どうして教師が務まるのだろう?

ずっと、疑問に思っていとことの答えが、ようやく見つかりました。

私のお坊さん仲摩にも、視覚障害の人がいます。
視野の80%を失い、残りはかすかに見えている程度です。

進行性で、いずれは、全盲に近づく、と言われています。
未来は、神(仏)のみぞ知る、です。

視力を失うことは、手足、身体全部を失うこと。
見えなくなった当初、彼は、そう言って、嘆いていました。

泣くたびに、自分が壊れていく。
声もなく、ただ涙だけが、ポロポロと零れ落ちていく。

子供たちの顔が見えない。
親らいいことをしてやれない。

子供たちの、道しるべになることができない。

そんな言葉を聞くたびに、私は顔を背けることしかできませんでした。
私の安っぽい言葉なんて、すぐに消えてしまう。

ヨシノリ先生と同じように、視力障害センターで、学ぶ日々が続きました。
白杖、音声パソコン、ハンドライティング、日常生活訓練・・・。

そこには、医師、歯科医、教師、会社員、保母さん、学生など、たくさんの視覚障碍者の方々が、
社会復帰を目指して、頑張っていらっしゃいました。

正直、将来は、いばらの道かもしれません。
ドラマであったような、夢物語ではないことでしょう。

でも、そこであきらめたら、道は閉ざされてしまう。
物語は、終わってしまう。

人生のページをめくっていかないと。
先に進んでいかないと。

このままで、終わりたくない。

そう言って、彼は毎日を過ごしています。
家族に助けられて、周囲の人に助けれれて・・・。

絶望に、あきた・・・。

彼しか知る由もない、その言葉の重みを、改めて感じました。

何もしてあげることはできないかもしれないでど、
これからも、一緒に生きていこうな。

頑張れよ・・・。





「テロリストのパラソル」

2016年08月30日 | Book

最近、藤原伊織さんの本に凝っています。

本屋で何気なく手に取った、「テロリストのパラソル」(講談社文庫)の1ページ目をめくったとたん、
紡ぎだす情景と、くりひろげられる人間模様に魅了されてしまいました。

この本は、江戸川乱歩賞と直木賞のW 受賞という、快挙を成し遂げました。

全共闘世代という、今では死語になりつつある、時間の流れの中で、もがき苦しみ、恋をする。

そんな中、誤って人を殺した友が自首することを信じ、
テロリストの汚名をきせられたまま、この24年間ひたすら過去を消し、逃避行を続ける主人公。

ウーンと唸ってしまうような、緻密なストーリーに言葉が出ませんでした。

学生時代。
私は、夕食が終わると、決まってホンダ・スーパーカブに乗り、近所の本屋さんに、毎日のように通っていました。

夜気に包まれ、夕刻から夜に移り行く街並みの中で、
1人、郊外の本屋の扉をくぐるとき、まるで愛おしい恋人が、そこで微笑んでいるような錯覚を覚えたものです。

栗本薫さんの描く「僕らシリーズ」や伊集院大介の活躍する「鬼面の研究・絃の聖域」など。
あのときの私は、推理小説と呼ばれるものを、いつも傍らにおいていました。

活字に溶け込む自分が、とても心地よく、電気スタンドの灯りの下で、涙を流したり、笑ったり・・・。
そして、移り行く季節の狭間で、またあのときの気持ちが、再びよみがえってきました。

今の私の瞳は、あの時と同じように、澄みきってはいないかもしれません。
しかし、窓の外に降り注ぐ、おだやかな冬の光のように、そっと心を抱きしめていたい。

布団の中でページをめくる音だけが、私にやさしく語りかけるのでした。


「マリア様がみてる」

2016年08月29日 | 日記
「〇〇君、9月のお彼岸の、お説教をしてくれない?」
法要のお手伝いに行った、お寺様から、こう言われたのは、昨日のことでした。

お説教・・・!
滅相もない、勘弁してください。

私は、血の気が引くのを感じました。

博多の友たちのお寺のお説教で、大爆死したばかり。
その時のトラウマに、うなされ続けているというのに・・・。

ちなみに、その時のお題は、「マリア様がみてる」。
コバルト文庫・今野緒雪さんの同名小説を、モチーフにした、お説教でした。

「マリア様がみてる」は、アニメでも、超有名な作品です。
そんな偉大な作品を、お説教のネタにするなんて。

それも、お寺で、カトリックのお嬢様学校の、お話しなんて、

案の定、顰蹙を買ってしまい、みごと玉砕してしまいました。

「お前、しばらく、出入り禁止。」
友だちに、こう言い渡されたのは、言うまでもありません。

こんなことになるのだったら、「マリア様がみてる」じゃなくて、
スピンオフ作品の、「お釈迦様もみてる」にしておけばよかった。

後悔しても、もう遅い。

だから、「お説教をしてね」と言われても、無理ですって。

でも・・・お断りしたのはいいけれど・・・なんかなぁ・・・

きっと、後悔するんだろうなぁ。
9月のお彼岸の法要で、代役のお説教師さんを見て、嫉妬するんだろうなぁ。

そんな気持ちになるくらいなら、引き受けてしまえ。
爆死したって、原稿ができなくて、頭を抱え込んだって、もう・・・いいや。

出入り禁止のお寺様が、ひとつ増えるだけ。

全力投球で行きまっせ。
ただ今、ペンを片手に、唸っています。

あぁ・・・胃が痛い。




若葉マーク 星降る街

2016年08月28日 | Wish

息子が、運転席に座っている。
ハンドルを握る手に、力が入っているのがわかる。

後部座席の私は、冷や汗をかきながらも、嬉しさを感じていました。

この春、子供たちが自動車学校へ入学しました。
以前から、早く免許を取得させたい、と思っていたのですが、なかなか重い腰が上がりませんでした。

私の2人の子供は、男女の双子です。

双子というのは、難しいものです。
一方を立てれば、一方が沈みます。

2人同時に浮き上がらせるのは、至難の業。
バランスに気を使います。

変な話ですが、私自身も双子です。
双子の関係は、良くも悪くも兄弟以上の繋がりがあります。

私は、常に弟のことが気になっていました。

何をするにも、2人一緒。
少しでも、片方が自分より得をすると、親に文句を言っていました。

恥ずかしながら、度量の狭さは、大人になった今も、変わりません。

そんな私の黒歴史が、私の子供たちに対しても、
2人同時に物事を進めていきなさいと、ささやいてきます。

けれど、そんなに都合よく進まないのが、親子というもの。

私の意に反して、結局、別々の自動車学校へ入学しました。
それも、娘は2月入学。
息子は、4月入学です。

何事もなく、無事に卒業できますように。
私は祈る気持ちで一杯でした。

クランク、S字。方向転換、縦列駐車・・・。

自分の時は、どうしていたのだろう?
よせばいいのに、お節介を焼く私。

時代が違うのよ。
あきれ顔の家内が言いました。

足踏みをする娘を、駆け足の息子は追い越してしまいました。

何やっているの? 頑張りなさい! 叱咤する私と、反論する娘。
胃が痛くなるような毎日でした。

結局、1日違いで免許を取得した、姉弟。

紆余曲折はあったけれど、最後は僕の望みどおりになったということか。
自分勝手な私は、胸をなでおろしました。

僕もこんな風に、親に心配をかけていたのだろうか。
自分ひとりで生きている、と粋がっていたけれど、実は両親の庇護の下で過ごしていた。

いくつになっても、親ってありがたい。
だからこそ、その恩を子供たちに返さないといけない。

今は亡き父親の面影に、思いをはせました。

娘が、運転席に座っている。

上り坂では、スピードが遅くなり。
下り坂では、スピードが速くなっている。

速度を一定に保ちなさい。
助手席の家内が、叫んでいる。

ハンドルを握ると、世界が広がる。
またひとつ、大人の階段を昇っていく。

ゆっくり、ゆっくり、焦らずに歩んでいけばいい。
焦っても、事は前には進まない。

同じように、今日は暮れゆき、明日はまた来る。
人生っていうのは、幸せっていうのは、そんなものなのかもしれない。

若葉マークを付けた車が、今日も街を走ります。


◆ 参考文献 アニメ 「Monster」

姉の電話

2016年08月26日 | 日記
「ねぇ、聞いてくれる。」
姉が、私に、そう尋ねました。

姉は、新日鉄に努める義兄と、私の実家のお寺のそばに住んでいます。
義兄は、島根出身です。

故郷には、空き家となった家と、先祖代々のお墓があります。
何代も続いた家ですので、土葬をふくめて、数多くのお墓が、山に点在しています。

年をとったせいか、最近義兄が、お墓を整理したいと言うようになりました。

「墓じまいをして、菩提寺の永代墓に入れたいのよね」

墓じまい・・・その言葉は、悪いけど、使わないでくれる。
すごく、気分が悪くなるよ。

墓じまいって、要するに、お墓の移転のことでしょう。
そんなことは、今までも、よくあったことじゃない。

実家のお寺を見てごらん。
無縁墓だって、昔から、たくさんあったんだよ。

永代墓に入れるのもいいけど、言葉は悪いけど、ある意味、自分は何もしないって、言うことでしょう。
それだったら、今のままと、変わらないじゃないの。

今のままで、島根に行ける限り、きちんとお墓の掃除をして、
お詣りして、維持していけばいいんじゃないの。

いずれ、できなくなる時が来るかもしれないけど、そのときは、そのとき、なんだって。
お墓は、いつか自然に還るものなの。

年老いて、お墓詣りができなくなった子供たちを、恨む先祖なんかいないよ。
先祖(親)は、僕たちの幸福を願っているわけでしょう。

怠けることはいけないけど、誠意をもって接する限り、バチは当たらにと思うよ。

「夫には、そう言っとくけど、多分、永代墓に入れると思うわ。」

私のような考え方は、少数なのでしょうね。
先祖を守ることは、大変だなって、今さらのように思いました。