えん罪・布川事件 国賠を求めてたたかう夫の傍で

えん罪を晴らし、普通の一市民に戻った夫。二度と冤罪が繰り返されないようにと、新たな闘いに挑む夫との日々を綴ります・・・。

切ない…

2020-05-25 | 日記
母の体調がすぐれない。
でも、病院へは行きたくないという。
もう、自分はいいんだ、という。その言葉の裏には、
医師の処方を受けても、なかなか改善しない自分の体調と体の自由が利かなくなっていくことに不安も増幅していってるようで、「心が弱っている」のを感じる。
今日は、
表紙に「エンディングノート」と書かれた大学ノートを見せられ、「ここに遺言が書いてあるから」と言って、説明された。
私は、精一杯笑って
「はい。ちゃんと聞いたよ。でも、良くなるから。1日でも長く元気でいてくれる事の方が、私は嬉しいんだよ」と言った。母も弱々しく笑いながら、
「いつ、何があってもおかしくない状態だから…」と、自分の体が今までになく異常なことを悟っていように言った。
万一のために、玄関の合鍵を作ることも、あっけなく許してくれた。

94歳…。
父がなくなって約8年。一人で家を守ってきた。母にとっては自分が生まれ、育ち、先祖から引き継いだ家だ。でも、後を継ぐ者がいない…。

「もういいよ。疲れたよ」
と言われたようで、帰路の車の中で涙を流した。
いつか、母を送る日は来るだろう。でも、こんな形でいいのか?の思いになった。
夫は、「今できることを、最優先してやってあげるように」と言い、自らも病とたたかいながら、実家の屋敷回りの草刈りをしてくれている。

明日は、少し元気になってくれてるといいな…。

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3 コメント

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私の両親も (やじまあきこ)
2020-05-29 17:42:26
私の両親も、医者に行くのは嫌だと言って(父:医者、母:看護婦)91歳、99歳で息子に血圧も測らせず、逝きました。
母とは、亡くなる二日前に、てとてを重ねて二人だけの写真と動画を撮りました。私にとって母はすべてのすべてでした。
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母は分身のような (さくらいけいこ)
2020-06-01 01:47:17
やじまさん
書き込み、ありがとうございます。
私は、夫との結婚を両親に反対され、父に感動されての結婚でした。あの時、母は一言も発することもなく私をただ見送ることしかできなかったようです。でも、2年後、夫の誠実さや一生懸命雪冤のために活動する姿が両親の理解を得ることになり、以後二人とも私たちの最大委の理解者であり、支援者になってくれました。父は、、なかなかその直腸がんでしたが、再審無罪判決を聞いて旅立ちました。裁判が終わったらゆっくり親孝行ができるかなと思ったのですが、国賠の方も長引いて、なかなかその時間が取れないまま、現在に至っています。母も94歳。私と同じAB型。姉妹のように中学、高校の時はよく話をしました。現在は、体調も少しずつ良くなって、今度こそ「救援会の仕事」も軽減してもらえるようになったので、母とおしゃべりしたり、庭の草取りなどをして行こうと思っています。夫が、気丈な母の姿を見て、「あんたの親だからな」と笑っていましたが、私が「あの母の娘」なんです(笑)
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間違えました! (さくらいけいこ)
2020-06-01 01:52:26
感動されて → 勘当されて でした(;'∀')
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