えん罪・布川事件 国賠を求めてたたかう夫の傍で

えん罪を晴らし、普通の一市民に戻った夫。二度と冤罪が繰り返されないようにと、新たな闘いに挑む夫との日々を綴ります・・・。

留守宅を守る?

2010-10-28 | 日記
夫が留守の間に、幾つか夫宛の郵便物が届いた。
最近、水戸にいることが多くなり、夫自身が連絡先、送付先を先方に水戸の住所を伝えているためだが、留守中に届いたものを前に

「さぁ、どうする?」

と、私は腕組みをして?思案・・・

「やっぱり、開けよう!急ぎの案件だったら連絡しなければ!」


・・・・・



「ありがとう!水戸に着いた封書は開封して、内容を知らせて」

と、北海道に行っている夫から返信があった。

 結婚する時、もっと私にできることってあるはず・・・
そう思ったのに
何でも対外的なことは自分で連絡、調整、処理してしまう夫に私の係わる部分はほとんどなかった。
何にも分からなかった私は時々、
「弁護団に相談しなくていいの?」
「守る会に相談しなくていいの?」とよく聞いていた。
そのたびに夫は

「オレのたたかいなんだよ。オレ自身のことはオレが決めるんだよ」とよく言っていた。

 別居婚という生活スタイルは、どうしてもお互いがそれぞれに自立した生活を必要とされる。一緒に時間を共有できない分、関われない部分があってやむを得ないのだが、それは私にとって寂しさとなって返って来た。
夫は、そんな私に毎日電話で「一日の報告」を欠かさずしてくれた。
11年間、今でもそれは変わらない(でも、ないかな?最近は、『詳しいことはブログを読んで!』が多くなって、会話が少なくなった・・・かも?)
離れていても、夫がどこに出かけ、誰と会い、どんな時間を過ごしたか知らせてくれたことで

「この前、ご主人と一緒に・・・・」などと声を掛けられても
「伺っています。お世話になりました」と返せる自分が嬉しかった・・・。

 来年には再審裁判が終わるだろう。いや、終わってくれなくては困るのだが、そうなれば私たちの同居の生活もやっと始まる。
でも、きっと夫の忙しさは当分続くだろうから、一緒に生活しながら今よりもう少し私の関われることが増えて、それが喜びに思えるようになったらいいかなぁ・・・。