goo blog サービス終了のお知らせ 

えん罪・布川事件 国賠を求めてたたかう夫の傍で

えん罪を晴らし、普通の一市民に戻った夫。二度と冤罪が繰り返されないようにと、新たな闘いに挑む夫との日々を綴ります・・・。

初雪の日は・・・

2012-01-22 | 日記
 関東地方に初雪。
北海道では、氷点下30度にもなったというその日、私は実家にいた。

 雪の予報を聞きながらの朝の目覚めは何となくドキドキする。
雪の朝は、いつもと違う静寂さと肩あたりのひんやり感を布団の中で感じ、
起き出してカーテンを開けるその手にもいつもと違う緊張が走る。

 その朝、そっと、カーテンを開けて見えた外は確かに雪が降っていて、うっすらと地面が雪で覆われていた。
でも、そうこうしているうちにそれは霙に変って、庭の雪はすぐに洗い流されてしまった。
雨の中に大きな雪が混じって、その霙は一日中降ったりやんだりしていた。
いつもだったら
「雪が積もんないうちに早く帰ったほうがいいよ」という母も、今回は「積もらない」と思ったらしく何も言わなかった。
私は、母と古いアルバムを見たり、「陶板浴」にきた友人と懐かしい話をしたりして過ごした。

 父が、私の友人が来るということで、庭を掃いたりしていたがいつの間にか姿が見えなくなりどうしたのかと思ったら、
「寒くてだめだ。調子も悪いんだ。」と寝室に籠ってしまった。
普段だったら、友人とおしゃべりしたがる父なのに、やはり寒さは体力がなくなってきている父にはきつかったようだ。

あげくに、「sakurai君に悪いから、早く帰れ」と言う。
そんな、部屋に籠りっきりの父に言われて帰る気にもなれずに、幸い夫は水戸に帰れないときだったので、その夜も泊まることにしたのだが、
母に、
「こんなに一日中布団の中ってこと、今までにあった?」と聞いたら、
「そんなこと無いけど、寒いからな」と言う。

確かに「体調が悪い」病人に堪える寒さだった。
その面では、「陶板浴」は、父も絶賛するように今の体力を維持しつづけるのに良い効果をもたらしているようだが・・・。

 水戸に戻って、冷たい雨の降り続く外を見ながら、ふっと「今日はどうしているかな」と、今、考えている・・・。





家族写真

2012-01-22 | 日記
 今年、元日に久しぶりに家族写真を撮った。

元日に、実家でみんなが揃えるのが久しぶりだったから・・・。

みんながこの1年元気で過ごせますように。
来年も一緒に撮れますように。
父と母が病を持ちながらもしっかりと写っていることにちょっと胸が熱くなった・・・。


夫の表情もとても穏やかに写っていた。
私の家族と一緒のときに、こんなやさしい表情でいてくれるなんて。
やっぱり、嬉しい・・・。

それと、
新しい家族が「増えて」くれたら・・・(独身者が2名もいるので

欲張りかな



 

写真

2012-01-16 | 日記
 片付け物の中から出てきた写真を見て、夫が突然大きな声で言った。

「見ろよ、これ!あの椿の木、こんなに小さかったんだよ!」と。

 それは1996年の秋、夫が仮釈放で29年ぶりに社会に帰ってくることになって、守る会の方と従妹たちが夫の両親のお墓をきれいにしてくれた時のものだという。
人の背丈に隠れてしまうくらいの高さの椿の木・・・。

 今、その木が見上げるほどの高さで、墓標を隠してしまうほどに成長しているのだ。
その椿を見るたび、
「この椿は誰が植えてくれたんだろうね」とよく夫と話していたのだった。
お墓に椿は植えないものと言われているが、この椿は「純白で八重咲」・・・
何だか、夫の「無実」を表しているようで私は好きだった。
それに、風雨に曝されていたお墓を守ってくれているようにも思えた。

 一方、夫の好きな沈丁花は、ほとんど変らない大きさで写っていた。
季節がめぐってくるたび、沈丁花は両親のお墓の前でひっそりと香っていたのだろう。
獄中で、何処からともなく香ってくる沈丁花の香りで春の訪れを感じ、幾度となくその季節を感じてきた夫・・・。
仮釈放後、初めて春の彼岸に行ったら、両親の眠る墓の傍にひっそりと咲いて香っていたという沈丁花・・・。
「涙が流れて仕方がなかった」という夫の姿が、そのお墓の前に立つ度想像できた・・・。


 今、新しくお墓を造ろうとしているときに、この写真を見ることが出来たことも何かの導きなのかな・・・。

一緒の時間

2012-01-16 | 日記
「ねえ、訊いていい?」
「ねえ、これ見て?」
「ねえ、お茶にしない?」

PCに向かっている夫に、何度となく声を掛けてしまう私・・・。
傍にいるから、つい、私は私のペースで声かけをしてしまう。
夫は応えてくれるけれど、
「あ~、また、仕事の邪魔しちゃった・・・」と私は思う。

2Kの狭い部屋の中で、どうも、一緒の時間をどう過ごしていいか分からないでいる自分に気付いた・・・。
夫も、口には出さないけれど、うるさい、邪魔だな・・・と思ってることだろう。
そう・・・
出かけるにしても、夫が家にいることを思うと、特に用事が無い限りは出かける気にならない。
ふだん家にいることが少ないのだから、せめて、いられる日ぐらいは一緒に・・・と思うから。


・・・・・

 この団地での生活も、遅かれ早かれ出て、新しい住居に引っ越すことになるだろう。
今度はしっかりと「仕事部屋」に入ってやってもらおう。
前に、冗談で、
「独居房を作ろうかな」と言っていたけれど、今もその考え、持ってるのかな・・・?

付かず離れずの程よい夫婦の距離ってどんななんだろう・・・?
私には、まだ、分からない

 明日、明後日と予定が入っている夫は北松戸に帰っていった。
私は、夜の救援会常任委員会に参加予定だ・・・。




思い出・・・

2012-01-15 | 日記
            
社会人になりたての頃住んでいたアパートの周辺を歩いてみた。

 もう、40年近く前の事。当時のアパートはなく、ただ入口には大家さんの表札が変わらずかかっていた。 大家さんが当時「おばあちゃんの1人暮らし」ということもあったせいか、住人は女子だけで男子禁制。入浴は予約制で、順番が決まっていて、時間も15分。洗髪の時は+5分。大家さんがタイマーを持って知らせに来たっけ・・・。
ガラス戸を叩きながら
「○○さん、時間ですよ」って

 門限も11時。
サークル活動をしていた私は、仕事帰りに会議に出て、食事をして少しおしゃべりして・・・なんてしているとバスもなくなり、夜の道を必死に走って帰って、アパート入り口の木戸が見えた時、木戸の鍵を閉める音が「コトリ!」
背を向けて母屋に入っていく大家さんの後姿を何度見送ったことか・・・。
「すみません。開けて下さい」と言えなくって、5分ぐらい木戸の前でうろうろして、それから隣の駐車場から塀を乗り越えて大家さんの庭に飛び降りた・・・

 ある朝、私と同じことをしている人を見かけた。「朝帰り」だった。
お互い目が合って、苦笑いした。
そういえば、彼女は裁判所の速記官?だった。少しだけ、お付き合いがあって、彼女は
時々、「自分で作ったの。食べる?」と、サラダやアツアツのたこ焼きなどを持って来てくれたっけ・・・。

 あの駐車場は、今もそこにあって、しばしたたずんであの頃のことを思い出して懐かしんだ。
砕石とブロック塀だったところは、今はきれいに整備されて塀もあの時の半分の高さに直っていたけれど・・・。
それにしても、思い出につながる人が裁判所の速記官だったなんて・・・。そのことに気付いて、私自身が驚いている。

 1972年・・・
夫は1970年第1審で無期懲役の判決を受けて控訴し、東京高裁の決定を待っていた時期と重なる。水戸地裁土浦支部のことであったとしても、同じ時に水戸地裁にいた彼女と私が交流があったなんて!
・・・何だか不思議・・・。


 でも、自分がなぜあの場所に行ってみたいと思ったのか・・・。
やっと、「振り返る時間が持てるようになった」ということなのかな・・・。

近くの八幡宮は、高校時代の頃から、テストの折、願かけに通ったところ。
それに、節分祭にはたくさんのだるま屋さんが軒を並べてにぎわうことを思い出し、実は、布川事件の必勝ダルマを八幡宮に納めてお焚き上げをしてもらおうと、その相談も兼ねて久しぶりに訪れた「八幡宮」だったのだ。
周辺の変化を見て、つい昔住んでいたところに行ってみたくなった・・・。
八幡様がそういう時間を私にくれたのかな

        





朝の問答定期便

2012-01-14 | 日記
 天気がいい日は、お布団を外に干したい、コタツも上げて布団を干し、部屋全部を掃除機をかけたい。
ところが、お布団を干すことに必ずいちゃもんをつけてくる夫。
「何で干さなきゃなんないんだ?!」
「何で、そんなにお布団を干すことに抵抗するの? 夜、寝るとき『気持ちいい!』って思うでしょ?」
「俺、分かんない。酔って寝ちゃうから。何も、この狭い部屋を持ち歩いて、そこまでしなくてもいいだろうって言うの」
「要は、面倒くさいだけでしょう?」
「そりゃ、そうだ・・・」

 別に喧々諤々とやりあうわけではないが、まず、私たちの晴れた朝の定期的な掛け合いのようなもの。
夫に「布団を干す」習慣はなく(長い獄中生活になかった・・・)、布団乾燥機を使えばいいという考えなのだが、どうも私は天気の日には「太陽の恵み」を存分に得たいと考えてしまう。
それなら、夫が「朝風呂」に入っている間にやってしまえばいいと、一人で布団を持ちまわして(夫が出てきて気付けば、ぶつぶつ?言いながら手伝ってはくれるけれど・・・)ベランダに干す。
でも、掃除機をかける時間まではない。
すると、「ゴロゴロ」(掃除用の粘着テープ)を使えばいいだろう・・・と。

 要は、夫は自分のペースで、落ち着いて物事に集中したいということなのだろう。
朝の私の行動は、目障りなんだろうと思う・・・。
でも、私のこの習慣は変えられない

カメラ更新!

2012-01-13 | 日記
買ってしまいました…。

カメラのバッテリーを交換できるか?と、「キタムラ」に行って相談したら、

「バッテリーだけでも5000円を出てしまう。それに古いので、探さなければならない。それよりも…」と、買い替えを勧められた。

以前のは、コニカミノルタで、もう製品自体がないと言う。

画素数も少ないし、携帯より機能が落ちるのは実感してたから、
やっぱり…ね…と、あっさり引いて、新調することにした。
で、買ったのがこれ。
ニコンのCOOLpiX。
だけど、在庫なしと言われ、3日待ってと言う。
でも、決めたらやっぱりその3日が長い。
「展示品でもいいです」
そう言って、下取り、展示品割引をしてもらって、GET!

それにしても…
以前のカメラを

「可哀想なカメラ」と言われたのには、
ちょっとショック!!
だって、不自由さもあってストレス抱えながらも、直前まで私が愛用していたのだから…。
長い間ありがとう…。
そんな気持ちになった・・・。


ところが、帰りの車の中で思った。

もしかしたら、スマートフォンの方がよかったのかな?…と。

まだまだ、カメラと携帯両方を入れて歩くことになる私の「バッグの膨らみ」は続きそうです・・・。

きれいな写真をいっぱい撮りたいな

日記

2012-01-12 | 日記
 片付けをしながら古い日記を手にした。
夫と生活を始めたころのもので、正直に、思いのまま当時の心境が綴られている。
日記をつけるというのは、一日の最後の仕事。寝る前に一日を振り返り、平穏だった日には日誌風に項目のみということもあるが、それよりも自分の感情と向き合う大事な時間だった。
 ある時は感情そのものを殴り書きでぶつけている。そうして、自分の思いを文字という手段を使い、「書く」ということで荒れた気持ち、不安な気持ちをノートに納め、落ち着かせてきた。
それが、HPの日記やブログへと移行し、だんだん「書く」という意味が変わってきた。

 まだ、HPの日記を書いていた頃の事だ。
夫が言った。
「何を書いてもいいが、支援者のみなさんに心配掛けるようなことは書かないで欲しい」と。
それは、夫が検診で「再検査」項目があったときだったようにおもう。
もちろんその時は書くつもりはなかったが、そんなふうに支援者の皆さんに気を遣っていることが新鮮で嬉しかった。
 でも、反面、私は「なぜ、犯罪者と言われるような男性と一緒に生きる道を選んだのか」
「私たちの『普通の生活』を公開することで、夫の生きる姿勢、土木作業員として働きながら『再審』を求めてたたかう日々を少しでも解って頂きたい、夫は皆さんが心配するような「恐い人」ではなく『普通の人間』なのだということを分かって頂きたいという強い思いを持っていた。
特に、夫は何でもプラス思考で、よく発想の転換となるアドバイスをもらえるのが私は嬉しかった。
だから、当初は、書くことが楽しかった。
 
 でも、現実はそんなに甘くなかった。
夫が抱えてきた「えん罪被害者として背負わされてきたものの重み」「怒り」「悲しみ」は、到底私などには理解できるものではなく、私たちは何度となく気持ちがすれ違い、お互いに時間、思いを共有できない苦しみや悲しみを味わった。
正直、こんな苦しい生活そのものも公開し、でも克服していく自分たちの姿を見て貰いたいと思ったが、でも私たちも生身の人間。
特に、夫は、茨城南部、東京の一部だけが活動の範囲ではなくなり、全国を回って支援をお願いする立場に変って行った。
一番注意しなければならないことは、夫の「皆さんに心配掛けないように」という思いと、えん罪を晴らす闘いが厳しく辛いことは当たり前、だけどそれを口にしていたら前に進めない、「いつも明るく」をモットーとして生きる姿をトレードマークとして頑張っているのに、私の公開日記で「sakuraiさんって本当は可哀想、気の毒な人」と思われることだけは避けなければならなかった。

 夫は、当初「拘禁症」で苦しむ姿を一切外で口にしなかった。自分自身が、そうであることを認めることが出来なかったのかもしれないが・・・。
(やがて2005年、夫は水戸地裁土浦支部の再審開始決定が出たことにより、「俺の口からも少しずつ話すようにするよ」と変って行った)
私は、これこそがえん罪の恐ろしさだと思い、これこそがえん罪被害者が共通に味わう苦しさだ、拘束時間の長い短いではない共通に被害者が受ける最大の人権侵害だと思って、広く皆さんに知っていただきたいと考えたが、それは、顔の見えない相手にネットを通じて知らせることではないと考えて、当時、書くことを辞めた。それは、顔の見えるところで、私が見て感じた思いを直接「話す」ことで「きちんと伝えたい。きちんと受け止めていただきたい」と思うようになったからだ。
 
 日記(その後はブログ)に書きながら、本当はもっともっと違うことを書きたいという思いが強くなり、それが書けないで苦しんでいた時期に夫に言われた。
「この頃、あんたのHP更新されて無いし、つまんなくなった、と言われた」・・・と。

 でも、私は書けなかった・・・

「書けないとき、書きたくないとき、無理して書くこと無いよ。書きたいことがあるとき、書きたい様に書けばいい」

と、友人に言われた言葉が、何と私の心を軽くしてくれたか・・・

 以来、PCの更新のたびに知識不足で「迷って」旧くからの読者にうまく「転居」を伝えられずに迷惑掛けながらも、何とか休み、休みここまで書き続けてきた。

・・・・・・

 ネット公開は、やはりノートに書く「日記」とは性質が違う。
長い間、ブログを書いて「嘘ではないのだが、本当に書きたい2番目の気持ちを書いて、今日はこれでよし」として、本当の自分と向き合う時間がなかったことを、今、少しハンセイ・・・。

 でも、現実は体力、思考力の減退で、どんな形であれ書き続けること自体が課題かな・・・?

・・・・・・・

何かが物足りない、何かが違う。
でも、公開を前提として書くブログには、必ず「プライバシー」があって、記事内人物の「人権」が係ってくる・・・。
それは、夫のことであっても、家族のことであっても・・・。第3者となったら尚更だ。



 今日、本当は「父のこと」を書きたいのだが、もう少し時機を見て書こうと思う・・・。

これから「父と母」の顔を見に実家に行ってきます。
お正月の家族写真ができたので・・・。

 

成人式

2012-01-09 | 日記
成人式・・・
ニュースを見ていて、若いっていいなって思いました。
困難の中でも、しっかり前を向いて歩いて行こうとしている姿に胸が熱くなりました。
自分の時のこと、子どもたちの時のことなど、いつの間にか振り返っている自分がここにいます。
 
 今朝は、44年前の「夫の成人式の日の事」を聞きました。
夫は、成人式のある前年の秋に逮捕され留置場にいたため、成人式には参列できず、その日1月15日は、夫を知る同い年の警官が式に参列して、夫の名前が呼ばれるのを聞いた、とあとで聞かされたといいます。

「俺、成人式はやってないんだよね」・・・
「毎年、このニュースを見るたび、あの日の事を思い出すんだよな…」

夫の言葉が胸に残りました。
一生に一度しかない成人式。
夫は、無実の罪で拘束され、参列できなかったのです・・・。
44年たって、「無罪判決」は出ても、時は奪われたままなのです・・・。



夫のブログです。
    http://blog.goo.ne.jp/syouji0124