2012年が明けて、あっという間に1週間になろうとしています。
昨年は、本当に、いろんなことがありました。
そのいろんなことに追われるように時を過ごし、なぜか改めて振り返ることもせず年を越してしまった、というのが正直私の今の感想です。
東日本大震災は、勤務先(病院)で400名余の入院患者さんと、家族、職員とともに5階建ての建物の中で体験。停電、壁のひび割れと埃の中必死に院外に避難誘導。寒い北風の吹きつける待避所にありったけの毛布を運び、長いすを運んだ・・・。
あの夜の帰宅は、6時半過ぎには帰路についたのに、渋滞で車は動かず結局歩いて帰って、11時半を過ぎてしまった。途中まで、迎えに来てくれた夫の顔を見るまでは、事の重大さをただ、ただ、不安の中で受け止めるしかなかった。余震は夜になっても収まらずその夜も、その後の水、食料品、ガソリンの購入も夫が走り、並んで購入してくれ、私たちの日常は保たれた。そして、何とか3月末までの勤務を全うすることが出来た。
夫の大事な大事な、待ち望んだ「判決日3/16」は、裁判所自体が被災したことにより結局5月に延期。
夫は、空いた時間を使ってボランティアで被災地に向かった。
仕事を辞めた私は、父の病のことが気になって実家へ通い始めた。
ところが、今度は、母が体調が悪く、病院通いとなった。検査の結果、腎臓癌だと言う。そして、その術前検査で、すい臓がん、大腸がんも宣告された。
最終的には、すい臓の手術はあとにして、左腎臓摘出、大腸一部切除という大きな手術を受けた。
この、母の病気が分かったのが、夫の判決予定日の1週間前。
なんと、なんと・・・・。
それでも、夫は私に言った。
「今は、両親のために十分時間を使ってあげなさい」・・・・と。
そして迎えた、夫の待ち望んだ再審裁判の「判決日」。
あの、5月24日・・・。
あれから・・・
夫が「裁判長から『無罪!』と聞いて、体が軽くなった」と言ったように、長い間の呪縛から解かれるように日常生活の場面での変化もはっきりとお互いに感じあうことができた。
そして、自分の役割、使命を確信した夫は、一層、活動のエリアも広がり、密度も濃くなって文字通り全国を飛び歩いた・・・。
秋に入ると、私も、国民救援会関係のところに招かれることが増えた。
各地で開いて下さる「布川事件勝利報告集会」や、春から上映運動が進められていたドキュメンタリー映画「ショージとタカオ」の上映会場だ。
夫と一緒というよりも、どちらかと言えば夫がほかの予定が入っていて行けない時、
「keikoさんでも・・・」の夫の代理の形での要請だ。
お陰で、北海道、千葉(これらは二人で)、千葉県の支部3ヶ所、韓国(釜山)まで行かせていただいた。
そう、そう!
父と母のために、実家の庭に「抗酸化陶板浴」のミニハウスも建ててしまった。
これは、夫の強い勧めがあってのことだったが、やはり、今の状態を保っていられる父と母の姿を見ると、思い切って造ってよかった、と思っている。
「こんなにいいもの、自分たちだけではもったいない。友達でも誰でも声を掛けて連れて来い」と両親が言うくらい、その効果を両親が認めてくれるまでになった。
こうして、あらためて1年間を振り返ってみると、やはり、私一人では決してあり得ない人生。夫がいてくれたからこその時間だったと思う。
年末までに、気付いていたかったな・・・。
新しい年2012年・・・・
昨年のいろいろがあっての今年。
大事に生きて行こうと思う。
明日から、夫の発案でちょっと温泉

に行ってきます。
その時、もう一度、ちゃんと「去年1年間のお礼」を言おう
