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えん罪・布川事件 国賠を求めてたたかう夫の傍で

えん罪を晴らし、普通の一市民に戻った夫。二度と冤罪が繰り返されないようにと、新たな闘いに挑む夫との日々を綴ります・・・。

雪の草津で

2012-01-06 | 日記
温泉日本一と言われる群馬県の草津に来ています。
水戸からは、遠かった~!
運転は勿論夫で、私は助手席だけれど…。

途中、ずいぶん冗談言いながら…。
数年前までは、こんな楽しい時間はなかなか持てなかった。
私が勤めていたことで、正月明けの今の時期に休みなど考えられなかったこともあるが、何より夫の張り詰めた精神状態が、私たちの会話を長続きさせてくれなかった。

「言葉はキャッチボールだよ。あなたが、気を遣いすぎるんじゃない?」
「そんなに、sakuraiさんの前でビビらなくても…」と、よく友人に言われたけれど、なかなか私達の実情を理解してもらうのは難しかった。(敢えて、言い訳も説明もしなかったけれど…)

今は、…
あの『無罪判決後、夫は確かに変わった』と、はっきり言える。

やっと、言葉のキャッチボールが出来てきたような…そんな気がする。
どんなに、私がバカを言っても、間の抜けた行動しようと、笑って受け止めてくれる夫が傍にいる。

そんな夫が、
「草津に雪なんかない」と言い、
私が
「雪の草津が楽しみ!」と繰返し言い続けた車中の会話…。

やっぱり「草津は雪景色」でした!
そして温泉も満足、お部屋も夕食も、イベントも、街中の散歩も、愉しい時間を夫と一緒に過ごしています…。

     

新しい年を迎えて

2012-01-05 | 日記
2012年が明けて、あっという間に1週間になろうとしています。

 昨年は、本当に、いろんなことがありました。
そのいろんなことに追われるように時を過ごし、なぜか改めて振り返ることもせず年を越してしまった、というのが正直私の今の感想です。

 東日本大震災は、勤務先(病院)で400名余の入院患者さんと、家族、職員とともに5階建ての建物の中で体験。停電、壁のひび割れと埃の中必死に院外に避難誘導。寒い北風の吹きつける待避所にありったけの毛布を運び、長いすを運んだ・・・。
あの夜の帰宅は、6時半過ぎには帰路についたのに、渋滞で車は動かず結局歩いて帰って、11時半を過ぎてしまった。途中まで、迎えに来てくれた夫の顔を見るまでは、事の重大さをただ、ただ、不安の中で受け止めるしかなかった。余震は夜になっても収まらずその夜も、その後の水、食料品、ガソリンの購入も夫が走り、並んで購入してくれ、私たちの日常は保たれた。そして、何とか3月末までの勤務を全うすることが出来た。
 
 夫の大事な大事な、待ち望んだ「判決日3/16」は、裁判所自体が被災したことにより結局5月に延期。
夫は、空いた時間を使ってボランティアで被災地に向かった。

 仕事を辞めた私は、父の病のことが気になって実家へ通い始めた。
ところが、今度は、母が体調が悪く、病院通いとなった。検査の結果、腎臓癌だと言う。そして、その術前検査で、すい臓がん、大腸がんも宣告された。
最終的には、すい臓の手術はあとにして、左腎臓摘出、大腸一部切除という大きな手術を受けた。

 この、母の病気が分かったのが、夫の判決予定日の1週間前。
なんと、なんと・・・・。

 それでも、夫は私に言った。
「今は、両親のために十分時間を使ってあげなさい」・・・・と。

 そして迎えた、夫の待ち望んだ再審裁判の「判決日」。
あの、5月24日・・・。
あれから・・・
夫が「裁判長から『無罪!』と聞いて、体が軽くなった」と言ったように、長い間の呪縛から解かれるように日常生活の場面での変化もはっきりとお互いに感じあうことができた。

 そして、自分の役割、使命を確信した夫は、一層、活動のエリアも広がり、密度も濃くなって文字通り全国を飛び歩いた・・・。

 秋に入ると、私も、国民救援会関係のところに招かれることが増えた。
各地で開いて下さる「布川事件勝利報告集会」や、春から上映運動が進められていたドキュメンタリー映画「ショージとタカオ」の上映会場だ。
夫と一緒というよりも、どちらかと言えば夫がほかの予定が入っていて行けない時、
「keikoさんでも・・・」の夫の代理の形での要請だ。
お陰で、北海道、千葉(これらは二人で)、千葉県の支部3ヶ所、韓国(釜山)まで行かせていただいた。

 そう、そう!
父と母のために、実家の庭に「抗酸化陶板浴」のミニハウスも建ててしまった。
これは、夫の強い勧めがあってのことだったが、やはり、今の状態を保っていられる父と母の姿を見ると、思い切って造ってよかった、と思っている。
「こんなにいいもの、自分たちだけではもったいない。友達でも誰でも声を掛けて連れて来い」と両親が言うくらい、その効果を両親が認めてくれるまでになった。

 こうして、あらためて1年間を振り返ってみると、やはり、私一人では決してあり得ない人生。夫がいてくれたからこその時間だったと思う。

年末までに、気付いていたかったな・・・。

 新しい年2012年・・・・
昨年のいろいろがあっての今年。
大事に生きて行こうと思う。
 
 明日から、夫の発案でちょっと温泉に行ってきます。
その時、もう一度、ちゃんと「去年1年間のお礼」を言おう


寒い朝

2011-12-24 | 日記

寒い!
私にとっては、とんでもなく寒い朝なんだけれど、父も母も、
「今朝は寒いね」
と、言いながら、淡々と一日の始まりを迎え、成すべき日課をこなしていく。
ここは、これが普通、なのだ。
だけど、だけど、寒すぎる!
私は、思いきって重ね着をした。

そしたら、10時を過ぎる頃には、部屋に射し込む陽射しの温もりで汗ばむくらいになった。
これが「田舎暮らし」なのだ。

寒暖の差があるほど、太陽のありがたさを感じる。
眼前の風景を前に、自然をありのままに受け入れ、ありのままに生きる術を人は培う。

ここに居れば、私だって!
「厚着」をして、耐えるよ!!
防寒ズボンに、半纏を着て…ね


少し、先が見えた~!

2011-12-20 | 日記
昨日から、家に籠って年賀状の準備。
宛名の印刷、やっとここまで済んだ。
後は、夫が帰ったら一緒に…。
今年は、長い闘いを支えていただき、解決した記念すべき年。
思いをこめて、出来うる限り「ひとこと」を添えたいと思う。
右が私の担当分。
左が夫の分だけど…。

間に合うかな…。

夫も「水戸支部会員」?!

2011-12-16 | 日記
夫は、当然「救援会員」・・・です・・・。

 でも、何だか、ずっと離れて暮らしていて、夫は東京の方で特別な(なんてことないか・・・?)扱いになっているのかと思っていた。
先日、夫の水戸市への転入により、

「あれ?救援会も転籍だよね。ということは、水戸支部会員なんだ!」とはたと気づいた。

あまりに近すぎて、何だか、その認識の欠け方に自分でもア然としてしまった!
夫も、
「俺も水戸市民になったんだけどな・・・。当然、水戸支部会員なんだけどな・・・」と思いながら、この1か月、私の

「水戸支部、水戸支部、・・・」と騒ぐのを見ていたのだろうか・・・。
(それどころではなく、全国をあるいてはいたのだけれど・・・)

よく聞いたら、
「俺、東京じゃないよ。竜ケ崎支部だよ」とのこと。

「え~!? じゃ、県内での移籍でしょ!」

・・・・・

だったら、当然、この前の忘年会だって出て欲しかった・・・ヨ・・・

「家にいるなら、来るように言いなよ」とみんなが言ってくれていたのに・・・。
(皆さんは、夫は、いつも忙しく家を留守にしているものと思っている。これも、これまでは当たり前のことで・・・)
私が事務局長でなかったら、
「桜井昌司さんにも、ぜひ、参加できるか確認しよう」ということになったのかもしれない。

う~ん!ダメ!
何だか、私、頭切り替えないとやって行けないかも知れない

大塚池

2011-12-16 | 日記
水戸市西部に大塚池がある。
普段行くことのない銀行に行ったのだが、用事がすんで駐車場の出口を出たはずが、住宅街に入って行ってしまい、迷いながら出たのが、この位置・・・。
大塚池の東側に当たる位置なのだが、とてもきれいなので車を止めて、パチリ!

この池には、いつもだと白鳥がたくさんいるのだが、この日はどうしたのか・・・

また機会があったら来てみたい・・・。
この周辺に住んでいる友人がいるので、ゆっくり散歩したいナ・・・。