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えん罪・布川事件 国賠を求めてたたかう夫の傍で

えん罪を晴らし、普通の一市民に戻った夫。二度と冤罪が繰り返されないようにと、新たな闘いに挑む夫との日々を綴ります・・・。

いくつになっても

2012-05-19 | 日記
テディベア館に行って、
「これ、カワイイ!!買いたい」って言ったら、
「いいよ」と、あっさりOKの返答。

???

「俺はこれがいいな」…とも。

はい?(こんなことめずらしい!!)

いつもだったら、
「俺、そんな趣味ないから」
と、言われちゃうのに。

と、言うわけで、信州(白樺湖)から水戸までやってきた我が家の新しい住人?です。

笑いが止まらない話1

2012-05-15 | 日記
初めての人間ドック。

検便の検体を自宅で採って持っていかなければならない。

で、一回目。

専用の容器を持って、いつものようにトイレへ。
そして、…。
さあ、
「採らなくっちゃ」と、便座からおしりを上げたら、?あら、あら、あらら~!?
『自動便器洗浄』がONになっていたことをすっかり忘れてたのだ!!
あら~、検体が流れていっちゃった~、と、ただ為す術なく見ている自分が可笑しくて、可笑しくて、笑いが止まらなくなってしまった。
『バッカだな~!』
と、思ったけど、笑いが堪えられない~。
トイレが悪い~!
今までの生活では、ずっと手動だったもの。
こんなこと想定外だよ~!!

夫に話したら、『バッカ!』と、かなり呆れられてしまった。
でも、出掛ける前に、
『自動で流れないように設定を変えておいたから』とのこと。

嬉しいやら、悲しいやら、情けないやら、でも、笑いが止まらない。

笑いが止まらない話2

2012-05-15 | 日記
びっくりすることがあった!
お隣の奥さん、私の勤務していた病院の看護師さんだったのだ!
それも、採用時の対応(白衣等の準備、ロッカー案内など)は、間違いなく私が担当した…。

それなのに…

引越しの挨拶に行ったのは、3月の初めだった。
あれからすでに2か月。
何度もお互いに顔合わせていたのに…。
彼女も、
「似てるんだけど…」と、思ってたらしい。

今日、人間ドックで健診センターに行き、最初の採血コーナーに行って、
「久しぶりだなあ、Kさんだ~。ここに異動になったんだ」と、思って彼女の姿を見て思った。
ところが、採血針を私の腕に刺しながら、
「Kです。お世話になったのは私の方ですのに、きちんと挨拶せずにすみません。これからも宜しくお願いします」と挨拶された。
「ああ、お隣のKさんね。こちらこそ宜しくお願いします」と、言いながら私の頭は、完全に目の前のKさんの親族のことかと思い込んでいるから、どうも会話が噛み合わない。
採血が済んで、椅子に掛けながら彼女の顔を見続けた。

えっ?!本人!!

そういえば!と、お隣でみかけたK夫人のことを頭の中で思い返した。

何か似てる人がいるものだな…とは思ったけど、まさか、まさか!

実は、私たちの友人が来て、
「お隣、Kさんだよ。いつも一緒にいろいろやってるんだ」と言っていた。
それが、ご主人のことで、以降、何かとご主人のことばかりが私たち夫婦の話題に上がった。

彼女の顔見て、似てる人いるんだな、ぐらいにしか思わなかった。
私がやめる少し前、でもないかな?
子供さんが小さいからという理由で、午前中だけのパートさんで採用になったんだった。って、やっと記憶が戻って来た…。
どうりで、いつも昼ごろ、吹っ飛んで帰ってくる姿を良く見かけていたのだ。
前後して小学生のお子さん(兄妹)が帰ってくる、そんな光景を見ていたのだ。
どうして、私の頭の回路が「K夫人=Kさん」と繋がらなかったのだろう?
その事のショックの方が強い…。

彼女は、私からは無視?されるし、挨拶のタイミングをはずし、困ってたみたいだった。

あ~、私ってどこまで「トンマ」なんだろう…。
悲しい。

今度の休みには、Kさんを我が家に呼んで、お詫び、しなきゃ。

完全に私、頭、おかしい…かも?

あ~、思い出しただけでも恥ずかしい!
穴があったら、飛び込んでしまいたい!


「一人の思いが世の中を変える力に」

2012-05-11 | 日記
 夫の記事が本日11日付のしんぶん赤旗に掲載された。
読まれた方から、丁寧なお電話をいただいた。
「いやぁ~、ショージ君、すごいなぁ。自分の裁判の事を憲法に照らして書いているし、そればかりでなく、ちゃんと、今の若者のことも触れていて、感動しました」と。

・・・こんなとき、私はどんな反応すればいいのか・・・。
ありがとうございます、というのもどうかな・・・。

えん罪とは国による人権侵害。

無罪判決により無実を明らかに出来た夫は、自らの体験を通し、二度と国による人権侵害を繰り返させないための制度改革を実現させたいと活動中である。
そして国家賠償請求裁判を準備中である。


 夫は言う、

「一人では何も出来ないと思わないほうがいい。一人が大事なんだ。一人の思いが、世の中を変える力になるんだ」


夫はまさにその信念あるたくさんの人に支えられて、裁判を勝利することができた。
そして自らも「真実は必ず明らかになる」と確信して裁判を闘って来た。

「自分の勝利だけど終わらせるわけには行かない。「仲間」を救出したい。えん罪を防ぐための制度改革を実現したい」と声を上げ続けている。

憲法で守られるべき人として当たり前の権利を主張し続ける事で、近い将来必ず「主流派」になる事を確信して。









父と母と兄と・・・

2012-05-11 | 日記
 病院で疲れていたにも拘らず、その帰り、両親と兄が揃って、初めて私たちの新しい家に立ち寄ってくれた。
中古住宅ではあるが、私たち2人には十分の家だ。

 兄は引越し前の草取りに、父は二度ほどやはり病院の帰りに来ていたが、初めての母は、2階にも上がり、間取りを確かめたりしていた。
和室の仏壇に気付き、夫の両親にお線香も上げてくれた。
階段は「急だなぁ」と言いながら、手すりにしっかりつかまって、一歩一歩確かめながら降りた。
そして、リビングのソファーに座り、お茶を飲みながらしみじみ言った。

「いい家が見つかってよかったなぁ。これで落ち着けるね」・・・と。

 家を留守にしている夫にメールでこの事を知らせたら、

「涙が出た。我が家に寄ってもらえた事と、これで「eiji」がいたらなぁという思いが重なって・・・」と返ってきた。

 私たちの結婚を誰もが反対した。
両親には、許してもらえなかった。
そして、結婚を祝う会の日の前日が弟の手術の日だった。
弟は
「姉貴の結婚式なので、手術日をずらして欲しい」
と、Dr.に言い、週明けに手術を変更して、祝う会に兄と出席してくれた。
その弟は、2年後に亡くなり、その間弟を見舞う夫と私の姿から、両親との間に入ってつないでくれていた。
弟が亡くなったその日、弟の遺体が病院を出るときに、初めて、父は夫に
「一緒に家に来てくれるか?」と言ってくれたのだった・・・・。

 あれから11年の歳月が流れた。
私には忘れかけていた記憶だったが、夫のメールから「私の家族への心遣い」が感じられ、胸が熱くなった。

私も、母がお線香を上げてくれている姿に、何か「一区切り」がついたような感情がわいた。

裁判が一段落した事で、私たち夫婦も、夫の親族も、私の家族も順々に新しい一歩を踏み出し始めている・・・。


後味が悪い・・・

2012-05-11 | 日記
 今日は、母のすい臓の手術を受けるか(するか)どうかの最終的な話し合いを、主治医とすることになっていた。

ちょうど一年前。田植えの終わった直後に、母は腎臓ガンである事が分った。
左の腎臓が全く機能していないという事で摘出手術をすることになり、そのための術前検査が7月末まで続きその過程で、
新たにすい臓の異常、そしてその直後には、大腸ガンも宣告された。

 結局、すい臓は「いずれガン化するもので、優先度から言うと腎臓と大腸のほうが高い」という説明を受け、8月に腎摘と大腸一部切除を泌尿器科と外科のDr.が同日一緒に手術を行う形でそれは実施された。
経過はよく、退院時に外科のDr.が
「それで、すい臓はいつにしましょう。来月に入れておきましょうか?」といとも簡単に、母に言った。
私は驚き、
「先生、待ってください。こんな大きな手術をした後で、体重も34キロになってしまってるんです。
もう少し、体力が戻ってからにしていただけませんか?膀胱の機能が弱っていて、これから自己道尿も覚えていかなければならないんです。」
と、言ってしまった。

 入院中にも、母は「すい臓は、今のところは何でもないんだろう?手術はしたくないなあ」と口にしていたし、Dr.の説明になかなか納得できないものを母も私たち家族も感じ始めていたのだった。
「切る事だけを優先した話で、『すい臓が腫れています』というだけで正式な病名も告げられず、切除後の体調の変化、日常生活面でのリスクなど、こちらから説明を求めないとしてくれなかったのだ。
すい臓がんの怖さは、私も病院にいた事で、正確では無いけれど知っている。
勧められた手術を受けないために、すぐにも「ガン化」してその時手遅れです、などとなってしまったら・・・という恐怖感もあった。
それでも、
退院一ヶ月後の診察日に、母と私たち家族は、
「今回は手術はしません」と返事をした。
主治医は、
「そうですか」と言い、次に、
「念のために、半年後に検査だけでもさせて下さい」と言った。
私たちも、Dr.の勧める手術を断ってその後どう変化しているか、一番知りたいところなので半年後のPETの予約をして病院を後にしたのだった。

 そして、今回のPETの結果。
「前より腫れてますね」
「腫れていると言うのは?」と私。
画像にスケールをあてて
「すい管の腫れです。12ミリですね」とDr.
「前回はどれくらいだったんですか?」
同じように昨年6月の画像画面を探し出し、
「10ミリです」

「その2ミリの差は、どういう変化を意味するんですか?実際には体調にどんな影響があって、今後どんな事が予測されるんでしょうか?
 今までの母の姿を見ていても何も気付けないで来てしまったんですが」

「実を言うと、PETだけでは正確な診断は無理なんです。MRIを念のためにお奨めしたいんですが」
娘さんは、私が、無理に手術を推し進めようとしていると考えているようですが、私も、『今なら取れる』から勧めているんです。取れないものは勧めたりしませんよ。息子さんは、どう言ってるんですか?」



 結局、再度、MRIを受ける事を母が承諾。先月26日に受けたのだった。
今日は、兄も東京から来た。
MRIでは、主治医が期待したような結果が得られなかったらしく、画像を見せてくれるわけでもなく、その原因があたかも母が検査前に飲食をしたのが影響したように言われ、母も私も必死で
「言われていたように確かに11時までに早お昼を済ませ、検査の始まる16時まで何も口にしていません」と反論してしまった。

 兄が、改めて、今手術を受けることは本人も家族も望んでいない事を伝え、
主治医も「わかりました」となった。
でも、部屋を出ようとする私たちに、兄だけ残るように声がかかった。

 
 母が、「先生、機嫌悪くしたみたいだったな」と言った。
明らかに主治医の態度が変わったのは感じ取れたし、私たちが診察室を出た後の、主治医と兄のやりとりもドアの外まで響いてきて、不安を掻き立てられた。

出てきた兄は多くは語らなかった。
ただ、主治医から、どこまでも
「あなた方自身で選択した事ですから」と強く念を押されたそうだ。


 お世話になった先生だったが、科学的な説明、数値的な説明、紙に書いての丁寧な説明が一切無く、リスクの話は手術をするかどうかの選択の前には一切無い。
「まだガンにはなっていない」と受けた説明も、後に「間違いなくガンです。それも悪性です」と説明を変えてきた。
「何としても先生は手術したいんだなぁ」
と、母が言うように、Dr.の意思を強く感じるやりとりが続いたのだった。

「病気のみを診る」のではなく、母の現在の体の状態、母の意志、87歳という年齢、体力、父が具合が悪くその介護を母が担っていることなど総合的なことを考慮し、話し合いを進めていただきたかった。

 泌尿器科の先生は4月に代わり、今日、母の経過がいい事で、地元の「診療所で今後診てもらえる様にして欲しい」という母の意向に快く承諾して下さり、紹介状を書いて下さる事になった。
外科の手術もしない方向であることを伝えると、
「そうですね」とにこやかに答えてくださった。
でも、腎臓ガンの再発率が高い5年間は経過を見ていきましょう、と半年後の予約を入れてくださった。

 母の再発、転移、そしてすい臓が悪化しない事を祈りたいと思う。

 主治医と患者、家族・・・。難しい。
私は、父が大腸がん末期状態にあることを知ってくださっている方に相談した。
「お父さんとお母さんのお二人の時間が限られてきている事を思うと、「今は手術をしない」という選択があってもいいのかもしれませんね。という、助言をいただいたのだった。
その言葉に勇気づけられ、今回の決断になった。
そして、母は外科の主治医と離れる事になった。

 でも、何だか後味が悪い・・・。難しい・・・。

考える時間

2012-05-06 | 日記
今日は日曜日。
二度目のお遍路に向かう夫を水戸駅に送り、洗濯物を干し、鉢植えの水やりも済んで、やっとコーヒーを前に、夫の目を通した新聞4紙を目の前に積んだ。
普段、あまり読むことのなかった朝日新聞のタブロイド版「GLOBE」の記事に嵌まってしまった。
GLOBEって、こんな新聞だったんだ…、と、今までちょっと軽視していた自分を反省。
これから意識して読んでみよう、と思った。

ところで、今日の特集記事は、
「肥満」
いろんな角度から書かれていて興味深かったし、新しい知識もたくさん得ることができた。

映画の紹介も良かった。
すぐにでも観に行きたいと思った。
『オレンジと太陽』ー児童移民に寄り添った女性の実話ー

「あなたの苦しみはあなたの歴史で私の歴史ではない」と言う、主人公のセリフがあるらしいが、それを直接スクリーンで聞きたくなった。


熊本県知事「蒲島郁夫」氏の記事も興味深く読んだ。
「熊本の落ちこぼれが、ハーバードをでて、東大教授から知事へ。理想と現実の間で『信念』を貫く」と、サブタイトルにあった。

何故か、映画も、蒲島氏の記事も、私自身、また夫のことと一部通じるものを感じ、考えさせる記事だった。

どうしてそう思うのか…。
昨日、夫をまた苛立たせてしまい、今朝、何となくそれを引きずったまま送り出してしまったからかも知れない…。

茨城憲法川柳大会

2012-05-03 | 日記
優秀賞に、水戸支部のSさんの作品も選ばれました。
「普天間に
招かざる客
半世紀」

県外からもたくさんの応募があったそうです。
どの作品も、「うん、うん、そのとおり!!」と思わせられるものでした。

「皆さん、もう一度憲法を読みましょう!生活の中に、憲法を生かしていきましょう。
 第9条を読んで、書いてみましょう!」

呼びかけが耳に残りました。

この雨の中、500名余の参加者があったことが、集会運営者から報告がありました。

風雨に負けず集会に挑んだ参加者たちの気迫が天に通じたのか、記念講演の中盤から雨があがって、
集会は大成功!でした。

2012憲法フェスティバル

2012-05-03 | 日記

                      
                     
雨、風、強い中で、憲法フェスティバルが行われています。

福島大学前副学長・清水修二先生の記念講演

「福島の悲しみを共有するために」

のお話は、同じ国民として、また、同じく東海村に原発を抱えている茨城県民として、
とても身近で、理解しやすく、また、真剣に受けとめながら拝聴しています。

救援会水戸支部も頑張っています。

「焼きたてのイカですよ~!」

「フランクフルトも美味しいですよ~!」

 今日、参加できなかったメンバーの一人、調理師のIさんは、先月下旬に急に勤務先が栃木県に変わり、初めての休暇を模擬店出店の準備で、昨日わざわざ帰省してくれた。
朝早くから市場へ行って、材料を仕入れ、調理師の腕をふるって下準備をして、私たちに指示を与えてまた勤務先に帰っていきました。

彼の分まで、みんなでがんばっていま~す!





木々の喜び

2012-05-02 | 日記
静かに雨が降り続いています。
木々の葉がとてもきれいです。
雑草もきれいです。

みんな生きているんですもの、ね。

今日は、いつもより優しい気持ちで庭を眺めています…。