A Moveable Feast

移動祝祭日。写真とムービーのたのしみ。

愛宕下の図

2006年10月21日 | 江戸から東京へ
江戸東京博物館で、F. ベアトの資料発見。
ベアトが幕末に撮った、愛宕山からのパノラマ写真というのがある。たった26mの標高のお山から、大名屋敷の屋根瓦の重なりも美しい江戸の町並みを遠望した写真であるが、こういう画角で撮影したものなり。
徳川慶喜は鳥羽伏見の戦いから軍艦で逃げ帰った時に、浜御殿に船を着けている。切り絵図を見ると、そこから水路沿いに江戸城へ戻れるのが分かる。

向島見番通り2

2006年10月15日 | 街の底で
 向島おわらの最中に、四つ辻の角にある「カド」という喫茶店でひと休みした。有名なお店のようだが、生ジュースとクルミ入りパンを出す、これぞ下町という感じのお店。内装が手作りで、店主か家族が描いたと思われる油絵がたくさん壁に架かっている。
 向島のこのあたりは、戦災を免れていて、日中歩けば、下町らしい光景をいろいろと目にする。東京の下町には、まだまだ心やさしい人たちが住んでいて、こういう人たちが「おわら」を好きになって、支持してくれるようになったら、それはそれでいいことなのだけど・・・


「いいわねえ、あたしも踊ろうかしら」
「男の踊りの方ならいいんじゃないの」
「ひどいこというわねえ」
「やるんだったら、周りのウチの電気を消すぐらいのことやって、徹底してやればいいのにね」
「今日は、奥さんはいっしょじゃないの?」
「あいつは、こういう踊りに関心があるようなヤツじゃないの」
「ヤスコさんに言いつけるわよ」
「おやすみ」
「おやすみなさい」

風の盆 in 向島2

2006年10月14日 | 越中八尾 おわら風の盆
 今夜、墨田区向島の料亭街で行われた、「おわら風の盆 in 向島2006」という催しを見物してきた。当然のことながら、「似て非なるもの」というのが、小生の感想。
 見番通りと桜橋通りが交差する四つ辻を使って、先ず二組の踊り手、地方衆が行きつ戻りつ、交差するように町流しを行った。中央付近には3000円で指定のイス席を設けてある。木場の法被を纏った二人の男衆が先導し、次に女の踊り手、真ん中に地方衆、最後尾に男の踊り手と直列に並んだ構成になっていた。男の踊り手は、ほとんど中高年の男性でいらっしゃって、そうすると、やはりシャープさに欠ける。女性と男性の唄い手がいるが、最も不満だったのも、この唄だった。鍛錬した声の高さとつやがないのだ。胡弓奏者は、最後にマイクで挨拶されていたが、観光協会の会長であったらしい。
 催しの中盤に中央で踊った女踊りは、レベルが高く、日本舞踊の方の人であろうかと思った。途中、喫茶店の「カド」に入っていて、一部見逃したが、最後は、輪踊りを踊って終了。
 見物客の中には、日本髪を結った芸者衆がいたり、お相撲さんが歩いていたり、花街らしい、華やかな演出もあったが、見物客の話し声が高く、スピーカーもキンキン反響したりと、いろいろ不都合もあった。

 昨日の朝日新聞夕刊にも載っていたが、八尾の方には事前に何の連絡もない催しであり、おわら保存会としては、「おわら 風の盆」の名称使用の中止を求めたらしい。ところが墨田区の観光協会としては、ゆくゆくは新東京タワーとともに墨田区の観光の目玉にというもくろみがあり、賛助会員を募っての催しでもあり、中止はできず、今夜の開催に至ったようだ。「おわら 風の盆」は、今年の6月におわら保存会の登録商標になっているし、風の盆は、越中八尾という土地との結びつきが、とりわけ強い行事である。わずか五千人の町民が全町をあげて必死に守り育ててきた行事であって、他のどういう地域であれ、恣意的に情緒だけを摘み取って出し物にしていいというものではないだろう。墨田区観光協会の一方的な態度は問題にされて当然と思う。