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おかあちゃん(高齢者のガン)私のオッパイ(石灰化)??? とワン子

2006年8月母は肺がんと診断される。完治目的の定位放射線治療を受ける。

おかあちゃん ごめんね

2012年04月03日 05時52分50秒 | 母の事(肺がん) そして絆
おかあちゃん、私ね。
3月31日、おかあちゃんの誕生日に乳腺クリニックに行った。
どこを見てもおかあちゃんを思い出す。懐かし反面辛かった。
懐かしいのはおかあちゃんが点滴を受けていたベット。もっと長くベットの傍に居たかった。
おかあちゃんとお話出来る気がした。窓の景色は青空だった。よく雲の形を話したね。
「お馬さんみたい。」「綿菓子みたい」「怪獣」なんて話したね。
私は、まだクリニックに行くと涙が出る。

先生がね。「おかあさん、大変だったね」と言われた。
私はね。おかあちゃんもそうだった。先生を信頼していた。
何でも、病気の事なら先生に相談した。それに怒りながらでも、先生は答えてくれた。
ありがたかった。頼り切っていた。
先生が、「メールしたんやで」そう言われた。「したけど、返ってきた。届かなかった」「いつですか」
先生の話では、私がメールを病院からした。それの答えだった。
私は、メールは病院からなら携帯からだと思う。電源が切れた。でも届かないだろうか。
メールは預かってくれると思う。電源を入れた時点でメールは入ってくると思う。
私は、PCの方はプロバイザーを変更している。ドメインは携帯もPCも同じにしている。
前のプロバイザーの方へ出されたのだろうか。○○○@hyper.ocn.ne.jpから○○○@zeus.eonet.ne.jpに変更。
@の前は全部に同じドメイン名○○○を使っている。返信でしてもらえたならばきっと届いていた。残念だ。
私はメールをした事を覚えていなかった。だけど、先生におかあちゃんは見捨てられたんだ。
その気持ちがズーとあった。何でこの気持ちが芽生えたかを少しづつ思い出した。
私は、命がわずかというオッパイ友達から、メールを受け取っていた。重かった。
おかあちゃんも悪かった。その友は、おかあちゃんの事を心配してくれていた。
メールには、入院先の治療の仕方や自分の体調等書いてあった。
「私は、もう駄目です。」「頑張って」そんなメールを何度か交わした。
その中に。「先生は、私を見捨てた」とあった。「最後には先生は見捨てるんやね」「苦しくても
あんなに通ったのに」と綴れてていた。
私は、その人を見舞った別の乳友にもその事を聞いた。その時だろうか。おかあちゃんもいつかそうなるのかな。
と思った。そして病院でパニックっていた時、先生にメールをした。どうしたらいいかこのまま病院にいるべきか等
聞いた。私はメールを待った。メールは返ってこなかった。見捨てられたと思った。
メールをした事は忘れていた。今は思い出した。最後の頼みだった。待っても待ってもメールは返ってこなかった。
悲しかった。おかあちゃんにも、先生は見捨てたんだね。と話した。
「待ってて。きっと、いい医者を捜すよ。助けてあげるよ。今までいつもそうだったやろ。任しとき。
私が捜すから」おかあちゃんは、嬉しそうに微笑みながら私を見た。
私は、約束を果たせなかった。おかあちゃんを助けてくれるお医者さんを探せなかった。
ネットを見ている間もなかった。おかあちゃん、ごめんね。ごめんね。辛かったやろ。
私は約束を果たせなかった。助けてあげるって言ったのに。
先生は「胸の水を抜いたら良かった。」「何で先生が抜いてくれなかったのですか」
「入院の施設のないここでは抜けない。もっと少ない時なら抜けたけどな」と。
私は、ズーと先生ここに来ていたではないですか。何で、何で。
と言う気持ちだった。今更何を言っても仕方ない。そう思った。
駄目でも良かった。楽に楽に、最後は楽にしてあげたかった。ごめんね。
抜けたのなら、抜いてほしかったね。楽になりたかったね。
「水が、水が…」そう言っていたおかあちゃんを思い出す。辛かったね。
文句も言わず最後まで私を信頼してくれた。かばってくれた。心配してくれた。
おかあちゃん、最高のおかあちゃんでした。ごめんね。ごめんね。
私は何で生きているの。おかあちゃん、会いたいよ。一緒に行きたいよ。
今更、聞いても。だけど、先生はメールを返してくれた。おかあちゃん、先生は見捨てていなかったよ。
おかあちゃん、私は楽にしてあげたかったのに、苦しめただけだった。
ごめんね。そして私だけが生きている。先生は前に「元気な高齢者は、毎日、仕事や目標がある人たちで
す。その人でないとできない仕事を持っているか、ご主人が寝込んだりして世話をしなければならない人
がある場合です。」おかあちゃんは生きる価値がない。そう言われた気がした。
でもね。おかあちゃんは生きる価値があると先生に言った。「母は私の為に生きてくれています。母がいなくなったら
私に生きる価値がなくなります。価値と言われるなら私の方がありません。」って言った。
本当にそうなんだ。今の私は生きる価値など、これぽっちもありません。
生きる事が辛い。何で生きているんだと思う。
おかあちゃん、ごめんね。こんな私で。「生きて。しっかりしいや。しっかりしいや。」
そう言ったおかあちゃんの言葉を思い出す。ごめんね。
どうしたら、立ち直れるんだろう。許してね。

おかあちゃん、ありがとう。大大大大大好き。愛しています。
ズーとズーとズーとズーとズーと一緒だよ。よろしくね。