おかあちゃん(高齢者のガン)私のオッパイ(石灰化)??? とワン子

2006年8月母は肺がんと診断される。完治目的の定位放射線治療を受ける。

お母ちゃんはPETーCTを撮った

2008年01月30日 22時13分25秒 | 母の事(肺がん) そして絆
昨日 母はPETーCTを撮った。
待っている時間が長かった。事務員が詳しい検査を追加するのでもう少し時間がかかります。
と言って来た。何があると言うのだろう。不安が募る。

この前の診察の際に先生からイレッサの事を少し言われた。私は報道で死ぬと言うことを聞いていたので
「イレッサは止めてください。」 と言った。
先生は 「報道によってイレッサが駄目な医療になっているけれど副作用も少ない合えば本当にいい薬だ。」 と言われた。
今日はイレッサについてインターネットで調べてみた。
とてもいい薬だ。腫瘍が消えた。小さくなった。の反面 副作用がきつく一旦小さくなった腫瘍も数ヶ月で大きくなってきた。というのもあった。
私は副作用の少ないものが一番だと考えている。

金曜日に病院へ行く。その前に先生に会っていろいろ聞きたい。
電話をすると金曜日の4時に会って下さる。
その時にイレッサの話も聞きたいとお願いした。
その前に母に結果はどうなのか。

このブログを書きながらも私は何度も両手で顔を覆い祈るようなしぐさをする。
無意識だが、せずにいられないほど追い込まれている。
どうか どうか 母を助けて下さい。
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おかあちゃん まだ離したくない。

2008年01月28日 04時35分24秒 | 母の事(肺がん) そして絆
母の主治医は前から抗がん剤は絶対にしないと言う。
母の腫瘍マーカーは上昇している。
近所の医師はこのままだと3ヶ月と言った。
私の乳がんの医師に母のことを相談した。
医師は「今は副作用の少ない抗がん剤があるから試すべきだ。ここの消化器の先生に言っておくからおかあさんを連れてきなさい。」と。
私は「主治医に手紙を書きました。だからそれからにします。」
先生は「何もしてくれない医師にそんなに義理立てすることはない。早くしたほうがいい。」と。

考えたあげく私は母に話した。母は最初 「何で医師を変える必要があるのか。今の先生はよくしてくれている。変える気持ちはない。」と言った。
「今の先生は何もせずただCTの結果を見ているだけだ。このままだと悪くなってしまう。
私には絶えられない。どうか診察をうけてほしい。」
と頼んだ。

母は診察を受け半信半疑ながら検査も受けてくれた。
医師は抗がん剤について試して見るべきだと話してくれた。
PETの検査を29日に受ける。1年半ぶりだ。
この検査が終わったら抗がん剤を始める。効果があってほしいと祈る。
私はまったくの無信心者だ。そんな私でも何かに祈らずにはいられない。
どうか母をもう少し生かせて下さい。
母は身長135センチ体重34キロ
腰も曲がっている。だけど私にとっては何より大切な人だ。
『お母ちゃん。私は貴女をまだ離したくない。どうか私から離れないで。』

病院からもらった化学療法の冊子を読んだ。
それには副作用がいっぱい書かれていた。先生には母は見ての通り小さくて抵抗力をない。
だから軽い薬にして下さい。と頼んだ。

先生は 「軽いと言えど抗がん剤ですから副作用はあります。
ですが、食欲不振とか日常生活に支障が出ないならよしと言う事です。」

と言われた。今でさえ食欲などない。これから先どうなるのだろう。
私は判断を誤ったのでは。母に大変なことをしようとしているのではないだろうか。
私は苦しませたくはない。しかし生きていてほしい。
散歩に出れるくらいに。近場の温泉に行ける位に。
生きているとはこんな事をいうのであって 苦しんでただ息をしているということではない。
そこを医師に伝えたい。
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おかあちゃん。今日から新たな挑戦が始まる。

2008年01月24日 04時51分59秒 | 母の事(肺がん) そして絆
おかあちゃんが日中の大半を寝ている。
母は豆に動く人でした。じっとなんてしていない。
話しながら掃除機を持ち 私に注意しながら雑巾でそこいらを
拭いている。そんな風でした。

母に「副作用の緩い抗がん剤を試してほしい。」と頼みました。
母は「考えとくわ。」と。
「私は治っているから。」とも。
【お母ちゃん。治ってなんていないよ。体中にまわっているのか。
どこかにあるのか。分かんない状態なんだよ。だから…

そう言いたかった。でも…。
治っているとも思ってもらいたい。
母の考えとくは何もしないと言う事。

こんなにお母ちゃんの事を思っても いなくならないでと思っても
私には何もでいないのだろうか。
私は母を守る。絶対に死なせたりしないから。
新しい治療法はある。私はあきらめないよ。おかあちゃん。
今日から私の新たな挑戦が始まる。

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おかあちゃん。もう1度…

2008年01月21日 00時10分32秒 | 母の事(肺がん) そして絆
母が具合悪そうに寝ている。「しんどい。さすろうか。」と言っても「大丈夫。」と笑顔で返す。
おかあちゃん、頑張らなくていいんだよ。辛い時は甘えてね。
今 母の為に何が出来るだろう。安心させる事なんだろうな。

病院の先生に手紙を書いた。内容は出来る治療で体に負担のないは全部受けたい。
ラジオ波凝固療法はどうだろうか。健康保険は使えないが混合診療が認められている。
費用は何とかなるから考えてほしい。検査の結果がでないと何とも言えないのは分かるが
私に考えはこうだと書いた。それから先生は何が何でも患者に本当の事を伝えると言うが
本当の事を伝えるのがベストだとは思わない。とも。
悪くなっていくのであっても最後まで希望を持って母には生きてほしいと思うこと。等々…
もう1つ。先生にお願い。
母の不在で時間を下さい。母の主治医は母 不在では話はしない。と私に会う事を拒否する。
だから私も仕方がないので手紙を書く事になる。
その手紙にさえ、返事をくれた事がない。

私は自分が病気になって感じた。私の主治医は母の事も相談に乗ってくれる。
そして、呼吸器の先生を紹介してくれた。
その先生も、患者不在でも相談に乗ってくれた。
先生方の話ではこのような事はするとも言われた。とてもありがたかった。

母は今の主治医に信頼を預けている。「もうどこへ行っても同じよ。私は先生の言うことを守っていく。」
今この現状を母に打ち明けられない。もう1度元気な時の母に戻ってもらいたい。
そう思う私の気持ちに無理はあるのか。私は絶対にないと信じる。
母は絶対に元気になる。
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お母ちゃん 私はあきらめない。

2008年01月14日 02時49分46秒 | 母の事(肺がん) そして絆
母の血液検査の結果を聞きに行った。結果を見て唖然とした。
腫瘍マーカーが上昇していた。これが何を意味するか分っていた。
母の体調が悪かったのもこの為だ。ガンは母の体の中で生きている。

これから、私はどうしたらいいのだろう。
先生は治療を受けている病院で相談して下さい。と。
ゆるい抗がん剤はある。とも言われた。
私は抗がん剤をして1ヶ月や3ヶ月延命できたとして薬の苦しみを味合わせたくない。
私自身が少しの間だが抗がん剤を服用して苦しかった。
高齢の母にそんな思いはさせてくない。

これからどんな治療があるのだろうか。何もしないという方法もある。
そう言った悪魔のような医師の声がする。
私は病気に対して何もする術がなくても 希望だけは持たせてやりたい。
はい。もうあなたはダメなんです。死を待つよりないんです。みたいな医師の言葉は許せない。私に言うならいい。本人に向かってそんなことを言う医師など私は信頼関係を持てない。いや何か方法があるはずだ。私は母の病気をあきらめない。
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雨が…。

2008年01月12日 04時10分43秒 | 乳がん記録
雨が降っている。このところ暖かい日が続いていたのに。
今日は寒くなってくるとの予報。  

いやだな。オッパイが痛くなる。
私は以前 腰を強打して1年くらい苦しんだことがあった。
真夏にノースリブの洋服を着ているのに、腰にはホッカロンを当てていた。

20歳代の後半だった。沖縄に旅行に出かけた。 
空港でゲートをくぐる度にピーピーと鳴る。
その都度 警備の人に検査される。 
何だろう。と思いつつ仕方がないので検査を受けていた。
だいぶ経って原因はホッカロンにある事が分かった。
腰にはいいのだが…。鉄の粉が入っているから鳴るんだね。
今は笑い話だけれど。冷えでオッパイが痛くなってフッとそんなことを思い出した。
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この暖かさが私のオッパイにはやさしい(乳がん)

2008年01月10日 03時03分25秒 | 乳がん記録
この頃の京都は暖かい。この暖かさが私のオッパイにはやさしい。
寒いと洋服の上から冷たさがオッパイにしみる。
ピリピリとした痛さがオッパイに感じる。
よく先輩諸氏が、「今日は冷えるよ。古傷が痛い。」なんて言っていたのを思い出す。

これからは私の場合、オッパイに痛さを感じて気候が分かるかな
手術から一ヵ月半くらいになる。
体調は以前と変わらず元気だ。抗がん剤を服用していた時は舌やのどが痛かった。
止めたら痛さはなくなった。

ホルモン剤(ノルバデックス錠20mg)を服用中だ。
今のところ変わったことはないように思う。
1つ挙げれば前とは違ったのどの痛みが時々ある。
前のようにズ~と痛いわけだはない。

その他には やっぱりオッパイの形が…… 
仕方がないのかも。でもね。
オッパイが残るということは素晴らしいことだ。
でも形も ネ。人間て。なくなるって聞けば残ってほしいと思う。
残れば形が…。なんて思う。きりがないよね。

そう。オッパイも残り、命も助かった。良かったと心から思っている。

私は、後 何年生きて こうして生活出来るか分からない。
今、思うのは 人は何年生きるかなんて分からない。
だからいいのだ。余命が分かってしまうほどつらく悲しいことはないと思う。
人として生を受けたその日から死に向かっている。
      でもそんなの関係ない。 
そんなの感じて生きている人なんていないだろう。
私は私らしく生きていければいいな。って思う。

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おかあちゃん。大好きだよ。

2008年01月09日 02時46分28秒 | 母の事(肺がん) そして絆
母の調子が今いちだ。胃が悪い。月曜日に医者へ行く。薬をもらってきた。
飲んではいるが元気がない。表に出ようともしない。

最悪な事が頭をよぎる。食欲もない。ここ1週間まともに食べていない。
朝、茶碗に半膳ほど入れるがそれを半分位 返してしまう。
食欲がなくては体も参ってしまう。

母の笑う顔が好きだ。本当にかわいい。
段々と体の自由がきかなくなっている。
それが またかわいい。子供返りとはよく言ったものだ。
小さな子供が一つ出来ると得意げな顔をする。
母もそんな感じだ。ベットの端につかまりながらズボンをはく。
はけた瞬間 チラと私の顔をうれしそうに見る。
『どんなもんだ。うまくはけたろう。』と自慢しているようにも思える。

おかあちゃん。大好きだよ。元気でいてくれないと…
私…。
春になったら金閣寺や平安神宮に桜を見に行こうね。
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お母ちゃん。私は…。

2008年01月04日 06時32分52秒 | 母の事(肺がん) そして絆

母の具合が良くない。どこが悪いという訳でもなく体全体がしんどいのだと言う。
母は今年の3月で82歳になる。私は世間には90歳を過ぎても元気な方が
たくさんいらしゃる。と思ってしまう。
だけど。母は本当に辛そうに思えることがある。
頑張ってほしい。一途にそう思っていた。
が、この頃 母には元気でいてほしいと思う。
苦しんだり、しんどそうな母を見ているのは辛い。
何でもしてあげる。だけど母はそれを望んでいない。

「もういいよ。頑張らなくて。辛くなったら行ってもいいよ。」
と、私は母に言うべきなのだろうか。
今頃の私は、「私が病気になったからお母ちゃんに生きていてほしい。
今、お母ちゃんがいなくなったら私は生きていく希望をなくしてしまう。」
と、半ば脅迫に似た事を母に言っている。

いなくなってしまうと思うと辛い。
でも、私は自分の事ばかり考えているね。
お母ちゃん。私は…。辛いよ。悲しいよ。
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放射線療法と抗がん剤は拒否

2008年01月03日 05時01分10秒 | 乳がん記録
乳房の組織検査の結果。
右・左共にがん細胞は数個だった。

先生の見解では
放射線療法は5週(5日/週) なしでもOK
抗がん剤は Tisno UFT/フルツロン(飲み薬) 1年 なしでもOK
ホルモン剤 タモキシフェン(飲み薬)5年 投与

私の場合は初期の初期でがん細胞は数mmで右も左も数個だった。
組織型 Ⅰa(DTIS)
核グレード 1
ER (+) PgR(+)
Her-2 (1+)

非浸潤ガンのため リンパ切除はない。
私は放射線療法と抗がん剤は拒否した。

早い段階での発見だったが手術で取り除いた部分は他のがん患者さんと変わらない。石灰化が乳房全体に広がっていた為にむしろ切除部分は他の患者さんより大きかった。しかし、抗がん剤と放射線の治療はしなくてもよい。

私はこの手術を振り返って思う事は いつまでも検査だけで済まさずにいて良かった。
先生の「疑わしいが…」の言葉に「取って調べて下さい。」と決心出来た。
この事が早期の治療に繋がった。取ってガン細胞がなければ幸いだと思った。
先生だって最終的には取って調べないとはっきりした事は分らない。
私の場合 石灰化が多量にあったので検査結果が出てくるまでに時間がかかった。
中間に先生に送られてきた資料では「がん細胞は出なかった。最終検査ではないけどね。」と言われた。すごく嬉しかった。その時に私はがん細胞が出なかったのなら取らなくてもよかったのにとは思わなかった。「ありがとうございます。」と答えた。最終もそうなら最高だったろう。しかし結果はがん細胞の発見となった。
それでもあの時に調べてもらったから私はこれだけで済んだ。

最近のニュースでがん細胞がないのに乳房の一部が取られたと出ていた。私はなかったのなら良かったとは思えないのかな。と考える。
こんな事が私達のような白黒つけにくい患者を危うくしないかと心配になる。
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