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階段紀行・日本 東京編⑰ 西郷隆盛と勝海舟が上り、曲垣平九郎は馬で上った愛宕神社の男坂

2022-02-01 | 階段紀行・日本

 今回から4回は、都内の男坂、女坂と呼ばれる2つの階段を持つ場所を巡ろう。まずは愛宕神社。

 大都会・東京のど真ん中、虎ノ門ヒルズのすぐ近くにあるのが愛宕神社だ。この神社の場所は標高25.7m。自然地形としては東京23区の中で最も高いところに位置している。

 それだけに表階段はかなりの急こう配になっている。傾斜角度40度、86段という、都内の他の神社階段と比べても桁違い勾配と段数。こちらが「男坂」だ。

 神社自体は1603年に徳川家康の命によって創建された。江戸の町を火災から守るための防火の守護神の役割だ。

 400年にわたる歴史の中で、階段に関して伝わる有名なエピソードがある。時は三大将軍家光の時代、梅の満開時期に家光一行がこの神社に差し掛かった時家光は「馬でこの階段を上り、神社の梅を取ってくるものはおらぬか?」と、問うた。

 すると四国丸亀藩士・曲垣平九郎が進み出て、馬で一気に急坂を駆け上り、梅を家光に献上した。これによって平九郎は出世街道を進むことになったという。

 この故事以来、ここの階段は「出世階段」という別名が付けられていて、今でも出世を願う人たちの”駆け上り”がしばしばみられるという。

 そんな階段。私も少しはご利益にあずかろうと上ってみた。一段一段の幅が狭いうえに、下から見上げるとそそり立つような高さ。上り切る頃には結構な汗が湧き出していた。

  階段上から見下ろすとこんな感じ。かなりの急こう配だ。

 江戸時代にはここから江戸の城下が一望できた。明治元年3月13日、幕府方の勝海舟と官軍の西郷隆盛がこの山に上り、眼下に広がる街並みを戦火で覆ってしまうこことは避けたいとして、江戸城の無血開城を決めたことも、この地に伝わる歴史的な事実だ。

 今ではすぐ隣に虎ノ門ヒルズがそびえている。

 帰りには「女坂」を降りる。男坂女坂の由来は、「急な男坂、緩い女坂」の違いが一般的な意味だろうが、ここの女坂は決して楽ではない。  

 「どちらかというと、」といったくらいの緩やかさはあったけど、結構な急坂だった。違いはわずかに緩やかな分段数はさらに増えて107段もの階段になっていた。

 下りきると、男坂の向かってすぐ右隣に到着する。

 階段好きとはいっても、外の階段はしばしばこのように長く高い階段に遭遇することになるので、なかなかの苦労に直面することになってしまう。

 


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