新イタリアの誘惑

ヨーロッパ・イタリアを中心とした芸術、風景。時々日本。

モンサンミッシェル② 聖堂~城塞~~監獄。海のバスティーユ~海上のピラミッド

2020-06-16 | フランス・モンサンミシェル

 ガイドブックなどの解説を思い出しながらモンサンミッシェルに向かって歩く。

 この修道院創設にはこんなエピソードがある。対岸の町アウランシュの司教だったオベールは、708年のある夜夢を見た。大天使ミカエルが現れ「かの岩山に聖堂を建てよ」と告げた。オベールがこのお告げに従って小さな聖堂を建設すると、モンサンミシェルは一夜にして周囲が海に沈み、孤島となったという。

 でも、司教といえばそれなりの地位の方。天使くらいに言われた所で、その命令を聞かなくたって・・・。と最初は思った。しかし、ミカエルは大天使。これはちょっとしたえらい天使なのだ。

 聖書には3人の大天使が登場する。一人はガブリエル。神の意志を伝える役割を持つ。あの聖母マリアに受胎の事を告げたのがこの大天使だ。

 また、ラファエルは病気やけがを治す大天使。そしてミカエルは神に最も近い存在で、最後の審判では死者が天国と地獄のどちらに行くかを決める役割持っているという。そういえば、ジャンヌダルクに「フランスを救え」と告げたのも聖ミカエルだった。

 従ってオベール司教はその命令には従わなければならなかったとされる。

 なお、名前の呼び方だが、ミカエルはイタリア語。フランス語だとミッシェルに、英語だとマイケルになる。ああ、ビートルズに「ミッシェル」という名曲があったっけ。ここはフランスなので「モン・サン・ミッシェル(聖なるミッシェルの山)」となるわけだ。

 聖堂から大規模な修道院建設へと改築が始まったのは966年。ベネディクト会によってスタートし、その後何度も改築を重ねて現在の形になった。

 孤立して建つ「海上のピラミッド」(ヴィクトル・ユゴーの言葉)だけに様々な使われ方をしてきた。

 14世紀の英仏百年戦争の際には戦略的な要素から城塞として活用され、16世紀に修道院として復活したものの、18世紀のフランス革命時には監獄として使われた。この時にはパリのバスティーユ監獄の名を取って「海のバスティーユ」と呼ばれたことも。通算の囚人収容人数は1万4000人にも上ったという。

 1863年にナポレオン3世の勅命で閉鎖され、修道院として現在の形に戻ったのは1966年のことだった。

 ようやく島に到着した。さあ、これからモンサンミシェル内部の探索に入ろう。

 

 


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