もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

知床遊覧船事故の責任に思う

2022年06月17日 | 社会・政治問題

 国交省は事故船の運航会社の「知床遊覧船」に対し、16日付で事業許可を取り消した。

 運航会社の桂田社長は、処分に先立つ「聴聞」に陳述書を提出し、大意「責任は国にもある。事故責任を事業者だけに押しつけるのは、国に対する世論の批判を回避するための見せしめだ」と不服を申し立てたと報じられている。
 これまでの報道では、桂田社長の運航管理者としての虚偽申請、運航当日に運航管理者が不在、通信設備故障、定点報告未実施と運行記録未記入、等の杜撰な管理態勢が指摘され、さらには、同業者に先駆けての営業開始や、漁師も出港を見合わせる海象下に出港を強行した事なども報じられている。
 にも拘わらずに、桂田社長が「国の責任」とする根拠は何であろうかと考えれば、「自分と会社のルール無視を見抜けなかった責任」との思いだろうか、はたまた一部識者から出された「国の安全管理体制不備」なる意見に乗っかって活路を見出そうとしたものであろうかと見るが、大方の賛同は得られないものだろう。
 国が示す「基準」は、原発のように事故が起きれば致命的被害が予想されるものに対しては最高の基準を示すが、零細企業まで参入する業種に対しては最低基準である場合が殆どではないだろうか。
 希望的見方とされるかもしれないが、遊覧船業界にあっても良心的な業者は、国の安全基準を超える態勢で運航に当っているものと思いたい。そんな中にあって、最低基準さえ守らなかった桂田社長が「国の責任」を云々することには、限りない不快感を持つものである。

 かっては、国の基準と許認可制度が官民の癒着、新規参入による自由競争を阻んで独占・寡占状態を産むとともに、零細資本の参入を困難にしているとの主張から、世を挙げて規制撤廃に取り組んできたが、それを求めた背景には日本人の遵法意識や商道徳が健全であるとの信仰があったものと思っている。
 しかしながら、今回の当事者の言、申請量を超える熱海の盛り土、日本各所での産廃違法投棄、多発するコロナ給付金詐欺の世情等を見ると、性善説に立った行政は限界に近付いているように思える。