もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

香港とマカオの違いを学ぶ

2020年07月07日 | 中国

 香港で成立した「香港国家安全維持法(国安法)」によって、香港行政長官は中国共産党の直接指導(監督)を受けることとなった。

 国安法の成立によって香港の民主化団体はあいつで解散を表明するとともに、国安法反対デモ参加者の多くが逮捕されるという事態を招いて、香港の自治を50年間保証するという返還時の約定は23年間で反故にされた。香港とほぼ同時期に中国に返還されたマカオからは反中・反行政府行動が伝えられていないので、マカオの実状を勉強した。マカオは、1887年の中葡和好通商条約でポルトガル領となったが、第二次世界大戦を通じてポルトガルが中立国であったために戦禍を逃れようとした大量の難民が中国大陸から流入しポルトガル色は急速に薄れたとされている。戦後もポルトガルは台湾(国民党)を中国の正統として中華人民共和国との国交は持たないままであったが、文革進行中の1966年に中国共産党系住民による大規模な暴動(マカオ暴動)と鎮圧に際して中国共産党は人民解放軍を国境に集結させて恫喝、謝罪と賠償を要求。譲歩を余儀なくされたポルトガル政府とマカオ政庁は中国政府へ謝罪する文書に署名させられるとともにポルトガルは台湾と断交する等、事実上マカオは親中派に牛耳られた様相となった。一貫して香港の民主化を進めたイギリスと異なり、ポルトガルはマカオの経営・維持と民主化に熱意を失っていたために、返還時には既に中国の一部とする認識を多くの市民が持っていたようである。こうした歴史的背景に加え、マカオでは中国の体制下に入る前にカジノの利権を確保しようと暴力団の抗争が激化、治安が極度に悪化したために返還と同時に駐留を開始した人民解放軍に治安回復への期待を寄せるマカオ市民が多く、進駐を拍手で迎えた市民もいたほど中国化されていららしい。マカオも香港と同じ様に1国2制度を保障した中国返還であったが、同制度を形骸化させる国安法制定には内外からさしたる反対を受けることなく数年前に成立し、マカオ市民も既に中国の一部であることを当然としているようである。

 マカオの実状を振り返れば、先ず現地に根を張った華僑や親中勢力を取り込んで中国容認の雰囲気を作り、その後に時間をかけてなし崩し的に事を成し遂げる中国のしたたかさが際立つ。鄧小平の尖閣棚上発言に諸手を挙げて賛同した政界に影は無かったのか。国交回復の日中共同声明や日中平和友好条約に影は無かったのか。中国へ中国へと靡いた財界に影は無かったのか。今更の感があるものの、中華覇権阻止と尖閣防衛のためにも検証する必要があるのではないだろうか。