もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

サマータイムを懐かしむ

2018年08月06日 | 歴史

 東京オリンピックの暑熱対策として、サマータイムが2019・20年度実施の時限立法で導入される見通しであることが報じられた。

 記録と記憶によれば、日本におけるサマータイムは占領下の昭和23年から4年間GHQの指示で実施されたが、制度としては定着しなかったものである。日本で行われたサマータイム(古老からはサンマータイムと教えられたが)は5月から9月まで時計を1時間を早めるもので、薄暗いが涼しい時間帯に登校できたことを記憶している。以後、省エネ対策、働き方改革、アフター5の個人消費を図る経済対策として、幾度となく議論されたものの労働組合の反対等によって行われることは無かった。導入反対の主旨は残業時間の増加を懸念する或いは時間帯の切り替えにコストがかかるというものであるが、残業問題については例えば8時始業の会社は始業時間を夏時間分遅くすればいいだけで雇用者の裁量によっていかようにも対応できるし、切り替えコストについてはコンピューターの時刻設定を変える程度の作業で多額の費用が掛かるとも思えない。更にはサマータイムが恒常的に制度化されれば、種々のシステムに自動設定の機能が組み込まれることとなるであろうし、そうなれば制度開始初年度に幾ばくかの投資が必要となるもののコストが永続的なものではないだろう。ネットで知り得た限りでは、現在約60ヵ国余でサマータイムが行われているが、さしたる混乱は無いようである。要は、何時になれば何をしなければならないという強迫観念にも似た律儀な国民性が変化を嫌うだけで、国内全ての時計が1~2時間変化するだけのことで8時に乗っていた通勤電車はサマータイムになっても8時に入線する。睡眠不足を恐れる向きもあるが、睡眠可能な時間がサマータイム初日に影響を受けるだけである。

 船で旅する場合は時刻帯を変わる毎に1~2日の間隔で船内の時間を変更して1日が23時間になったり25時間になったりするが体内時計は速やかに順応する。昨今の気象状況・猛暑事情を考えれば、サマータイムは必要なのかもしれない。サマータイムの功罪は分からないが、実はたいしたことではないことを知ることが大事だと思う。