LOVE&DESIRE

沖縄で頑張る爺バンドのブログだったがいつの間にか爺の独り言(涙)。

ネタ切れ爺の独り言(7月4日)

2017-07-04 09:27:31 | 日記

 7月4日はアメリカの建国記念日ですが昔の輝くアメリカは何処へ?てな感じですね。沖縄で生まれ基地、外人住宅、食料、車、その他もろもろ完璧に差を付けられた現実を見せつけられ悔しい思いと同時に憧れも持ち、カーニバル(基地内でのお祭り)では別世界に舞い上がるハチ公少年でした。従兄が軍で船のコックしていたので普通手に入らない食料など月一でお土産として親戚に配っていたのも楽しい思い出です。

 でもベトナム戦争に関わってから、こっち、子供であるハチ公にも判るほどアメリカは失う事の方が多かった気がします。

これは元々奴らには無い日本の食文化(笑う)平目刺身をもみじおろしポン酢で。

1965年頃 親戚のお姉さんがアメリカ人の将校と結婚し、お祝いの席で酔った私の父親(戦争で妻子をすべて失い戦後再婚)が新郎にヘッドロック&頭ぐりぐりしたら「僕の事が憎いのか」と悲しい顔をしたけど、みんな大笑いしながら「違うよ、あんたが可愛いからさ~」と英語日本語で言ったら幸せな空気に満ち溢れる。新婚さん、その後沖縄で息子2名娘1名を儲ける。

むらさき貝380円

 20歳ぐらいからマリンコー(海兵隊)の連中の友人が出来(コザで会う、リーガルで会う)、英語を少し話せるようになり彼らの人生を知るようになった。彼らはほとんど、田舎の貧乏人の若者でこれしか(兵隊)生きる道が無いシビアな状況。彼らの前の世代はベトナム戦争、後の世代は湾岸戦争で戦死があるのだけど、その中間のやや平和な時代にあったのは幸せかも。オトモダチになった全員、満期除隊で無事本国へ。

あ、こっちは元々あ奴らの食文化。

沖縄市のプラザハウスも1954年7月4日開業です。小6の私、同級生とバスで行き(ボーイスカウト小物購入の為、当時はボーイスカウトアメリカ連盟に所属)そしたら、駐車場でアメリカ人のカップルが軽いキスをしたのを見て驚いて目を背けた。純情でした。今は淫獣?わはは

よんでくれてありがとうございます