この小説は村上龍氏の
「限りなく透明に近いブルー」の次に発表された小説で、
私はすっかり内容も忘れてしまっていましたが、
心の中にこの小説の美しい装丁が残っていたので、
果たして今もこの小説は長い時間の経過のなかで
生き残っているのかどうか確かめたくて今回読んでみました。
装丁が素晴らしいと思います。
龍氏は大学で美術関係を専攻していたということで、
こじつけて考えているわけではありませんが、
私の中ではほぼベストワンの装丁です。
なんかイメージが広がります。
昔、書籍の整理のために売った本の一つですが、
数年前からこの表紙のこの本が欲しくて探していました。
もう発行されていなくて、諦めていたところ、BOOK OFFで売られていたので、
即買いして、ずっと車の中に入れていました。
この本の帯に村上龍氏の*読者へのメッセージ*が付いていて
僕の見た戦争を書きたかったと書かれてあって、
戦争は、海の向こうで、
また我々の目の裏側で確実に始まっているのだ。
それは近代戦争しか体験のない我々の親達の想像力を超えている。
僕は戦争を見た。
意味を考えるのは見た後でいい。
僕の見た戦争をあなた方に語りたかった。
(青字部分は本の帯に書かれてあるものからの引用)
この本が書かれてもう30年も経っているけれども、
率直なところ、この小説は悪くないと思いました。
この中に出てくるフィニーという外人女性は、
おそらく村上龍氏が一作目の「限りなく透明に近いブルー」で
登場したリリーの影だと
思いました。龍氏にとっては実在の女性だったそうで、
二作目でも、
おそらく彼女が忘れられなかったのでしょう、
名前を変えて登場しています。
ただこの小説が恋愛小説であろうはずもなく、
ここがこの小説の好きな点です。
ただ、本の帯カバーにわざわざ自分のコメントを入れて置かないと、
分からないかも知れないという点で、この小説は難しいです。
理解しようと思わないほうがいいと思います。
村上龍氏の文体における幻想描写、イメージの描写ですから。
グロテスクな内容ですら、
まるで詩のように書いてしまうところが彼の才能だと思います。
真似をしようにも真似は出来ません。
小説自体は最初にフィニーとの出会いの部分があり、
これがすんなりと彼の小説の中では発展する訳もなく、
すぐさま、他の人物が登場して、そこで一つの物語があり、
時々フィニーと主人公の描写に戻り、
また別の人物の登場とその人物の物語があり、
そしてまたフィニーと自分の描写に帰って行く(著者の視点で)。
他の登場人物とフィニーと主人公(作者でしょうー)との関連は全くありません。
そして最後にこの小説に出てくる人間が全部戦争でやられてしまうのです。
ただ気に入らないのは、龍氏がこの小説の中でもコカインを使用して、
最後の部分あたりで、
フィニーと一緒にコカインをやる場面があり、
この次あたりから、
おそらくそれによる幻想と思える描写が続き、
この描写のなかで
二人称、三人称を織り交ぜながら、
イメージで登場人物を登場させ、
描写していくのです。この描写の中で登場人物はすべて戦争で死んで行きます。
村上龍氏がコカインを経験しているかいないのかそれは知りませんが、
コカインの使用を作品中に持ち込み、
それの幻想かのごとく文章を繋いで行くのは少しありきたりではありますが、
龍氏の文章がそれを超えているから、
この小説はもっているのだと思います。
海岸でコカインを使用し、幻覚を体験し、そのあとに主人公がフィニーに
「ねえフィニー、あした二人でヨットに乗ろうよ、渓谷の写真なんか撮るの止めろよ」
フイニーは水着に足を通しながら頷いた。
フイニーの長い影は、もう砂浜に掘られた穴のようには見えない。
すでに太陽は海面で躊躇するのを止めている。
(青字ラスト部分-引用)
小説の冒頭部分は引用しませんが、
冒頭とラストの部分を読んでみるとこの小説は成功していると思います。
一年間私のブログを見て頂き本当にありがとうございました。
皆様方のお幸せ、ご健康をお祈りしています。
コメントを頂きありがとうございました。
いつも頂くたびに嬉しく感じていました。
本当にありがとうございました。
皆様も頑張って下さい。
追伸
ノンさんから聞きました。Yukariさんもお父さんの看護しっかり頑張って下さい。
お父様の回復をノンさん共々皆でお祈りしています。