名のもとに生きて

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母と恋人への遺書 キム・マース・ブルーン

2016-02-02 11:44:20 | 人物
"yours, but not for ever."
デンマーク抵抗運動 キム・マース・ブルーン
母と恋人への処刑前の最後の手紙




Kim Malthe Bruun
1923~1945.4.6

1945年4月6日。Kim Malthe Bruun、
元商船船員、21歳。ゲシュタポに拘束され、
のちRyvangenにて死刑。

戦争中にはこのような青年は山ほどいた。
記録に残ってもいない刑死、刑死以前の殺害も数えるなら、山がどれほど必要だろうか。
ごく普通の青年が戦争に直面し、迷った末に抵抗運動に加担し、逮捕され処刑された。
彼にとって幸運だったのは、処刑前に手紙を書くのを許されたことだ。
後に残す母と恋人へ宛てて遺した手紙は、死んでいく自分の思いには触れず、残る人の生き方を精一杯思いやるものだった。
戦時下のごく普通の青年の、たった一つの死にすぎないが、その一つがどれほど深いものかを私たちは知らねばならない。
彼のためにと、未来のために。



略歴



キムは1923年7月8日、カナダのサスカチュワンに生まれた。9歳の時、母Vibeke、3つ下の妹Rurhとともに母の生まれた国デンマークへ移る。17歳で商船船員として働くようになる。
1941年春、18歳のときから日記を書くようになる。
ヨーロッパは第二次世界大戦に突入。
1942年4月9日、ドイツがデンマークとノルウェーに侵攻、デンマークはおよそ6時間後に降伏しドイツ支配下に。
そうした状況下、キムは船員の仕事で北海の数々の港に寄港。母や恋人へ、検閲を警戒して言葉を選びながら時々手紙を書いていた。



キムは2つの道の前で迷う。
1つは、戦争を生き延びて愛する人々の元へ戻ること。もう1つは、ドイツ支配を憎む心に従い、抵抗運動に加わること。
彼は道を決めた。
1943年、キムは商船を下りて、デンマーク地下抵抗運動に加わる。元商船船員としての手腕を生かし、兵器の密輸に尽力した。

1944年11月19日、キムは友人2人といるところを逮捕された。逮捕時に、彼は武器を所持していたわけでもなく、身分証も携行していたのだが、ゲシュタポは彼を逮捕した。

収監され、1945年2月には警察で1週間拘禁されて尋問を受けた。
1945年4月4日、以下の手紙にある通り裁判があり、直ちに死刑を宣告された。
4月6日に死刑が執行された。
それはドイツが降伏するまでに、あとほんの数週間だった。

1949年、母によってキムの日記や手紙がまとめられて、『Heroic Heart or Kim』というタイトルで出版された。







以下は死刑宣告後に書いた母親宛てと恋人宛ての手紙である。


母への手紙
1945年4月4日


あなたが勇気ある女性だということを、僕は知っています。だからきっとこの事態に耐えうるでしょう。
でも、聞いて下さい。
耐えるだけでは十分ではない、理解もしなければならないのです。

僕は無意味な存在だ。まもなく僕という個人は忘れられてしまうだろう。
けれども、僕の思考や人生、霊魂は生き続ける。
あなたはどこででもそれに出会えるのです。
春の日の樹々に、あなたの前を横切る誰かに、
そして、愛らしい微笑み‥それこそ、この国が渇望している最大の恵み。全ての慎ましい農民が、その恩恵にあずかり、それを求めて働きかけることで自身に祝福を感じる、その微笑みを切望しうるのです。

最後に。
僕には、〈僕のもの〉と呼ぶべき女性がいます。
彼女に、星はまだ輝いているのだということをどうか知らしめて下さい。
そして、僕は、彼女の道の上の1つの道標にすぎないのだということも。
彼女は、まだ、もっとずっと幸せになれる。
彼女を助けてあげてほしいのです。







恋人への手紙
1945年4月4日


今日、僕は裁判にかけられ、死刑を宣告された。
まだほんの20歳の女性には、なんとも恐ろしい報らせに違いない。
そして僕は、この別れの手紙を書く許しを得た。

悲しみに明け暮れてはいけない。君が逮捕されてしまう。そしたら君は、僕が最も愛した君の〈女性らしさ〉を失ってしまうことになる。

そうした日々の中で、ハンネ、君は、いずれ君の夫となる男性に出会うだろう。その時、僕の思いが君の邪魔をするだろうか。
その時、たぶん君は僕に対してと、君自身の純粋さと神聖さに対して不義理をなすことに、気が遠くなるだろう。
君に僕のことを忘れてくれと言うのではない。
僕たちの間に存在した美しいあれやこれやを、どうして忘れられるだろう?
けれども君は、この思い出の奴隷となってはならないよ。
自分を盲目にしないで、そして君の人生が君のために用意している素晴らしいものの全てに、出会うことを自制したりしないで。
‥不幸せにならないで。

君は生き続けて、他の美しい冒険をするんだよ。
だけど、約束して。
僕の人生を捧げた全てのものに君が寄りかかることや、
君と、君の人生とのあいだに、僕の思いを割り込ませるようなことは、決してしないということを約束して。

より一層大切な事が出現してきて、それは次第に大きくなって行く。僕は後方に下がり、君の幸せと発展が膨らみ続けるように、僕の思念の占める場所は次第に小さくさせていく。

顔を上げて、ハンネ。もう一度、顔を上げて。
笑っている僕の青い眼をのぞいてごらん。
そうすれば、わかるはず。

たった1つ、君が僕に対して不義理をなし得るとするなら、それは君が自分の自然な本能に完全に従わないでいることだよ。
君はその男性に出会い、君の心が彼にとって向かって飛び出して行くままにさせるんだ。
慰みのためではなく、君の心の全てで彼を愛することで。
僕のうちにある命の全てを君に吹き込みたい、そうすることで僕の命は不滅になって、失われるのを少なくすることができるのだから‥

yours, but not for ever








最後に添えられた結びの言葉、"yours"に対しても、"but not for ever"が付け加えられ、この些細なyoursにさえも、恋人を傷つけまいとする、厳格なほどの別れの態度が読み取れる。
そっけない、と受けとれるほど、死んでいく自分と生きていく彼女の間に線を引く。それが今後を生きる彼女を苦しめないための、精一杯の所作だったのだ。
言い得ない千の言葉を厳に秘めて、未来へ向かう彼女を見送る。
死に向かう彼が、彼女を見送る。
4月、春の始まるとき‥
その視線の優しさを想像しようとするけれど、
どうにも切なく、できないでいる。


キムとハンネ


手紙文はこちらの英訳から翻訳引用

妹Ruth Bernerインタビュー

ハンネへのその他の手紙

上2つはデンマーク語表記ですが、リンクで写真などを見ることができます。