グリフォンの日記

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芸能人が政治を批判すると炎上するワケ

2020-05-14 21:14:50 | 国内政治
”批判”という言葉をgooの辞書で引いてみる

1 物事に検討を加えて、判定・評価すること。「事の適否を批判する」「批判力を養う」

人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること。「周囲の批判を受ける」「政府を批判する」

3 哲学で、認識・学説の基盤を原理

と、上記の通りである。

要は評価した結果、批判を行うわけで、それは、上から目線で、人を見下したかのような感じがするのである。

例えば、サラリーマンが自分の会社の社長に向かって、誤りや欠点を指摘し、正すべきだとしかいわないのであれば、最悪失業を覚悟しないといけない。

芸能人だって、事務所の社長や重役、周辺の怪しげな人たちに対して、誤りや欠点を指摘し、正すべきだと暴露でもしようものなら、芸能界からどころか、完全に消滅する可能性だってある。

中国や北朝鮮でトップを批判したらどうなるか。もう、判るだろう?

残念ながら、それが今の世の現状であり、変えようとした人たちは、骸となって彷徨うことになった。

得てして、今はコロナ禍で、国民も政治家も、官僚も公務員もみんなで、コロナ終息を願い、一丸となって自粛しているのである。

それなのに、一部の芸能人や著名人が「コロナで混乱しているのに、定年延長を議論するなんて、けしからん!」と声をあげたものだから、それに対する反発が生まれた。

実に単純明快だ。

それは、チームが一丸となってコロナと戦っているところで足を引っ張るものが居れば、どう思うのかということ。

多くの人は不快に思うものだ。

残念ながらが、政治も、経済も、医療も、コロナも停滞させているわけにはいかない。

そう、全てが同時並行で前進していかなければならないのである。

そういう事態であるにもかかわらず、芸能人たちは、いつもの平時の調子で、上から目線で批判をしてしまった。

仮に、自分たちが、サッカーをしていると仮定して、フォワードがパスをミスして相手にシュートを決められた。

それに対して、ブーブーと文句ばかりを垂れているミッドフィルダが居たら、怒りを感じることはないか?

文句を言っている暇があったら、さっさとボールを取りに行って、回してシュート決めろ!と思うはずだ。

それがチームなのである。

自粛は、ひとりできるものじゃない。

日本中、全員が一丸となって、自粛して初めて効果を持たらすのである。

残念ながら、彼らは批判するタイミングを見誤り、しかもろくに調べずに乗っかって、その内容の薄っぺらさから、炎上を迎えるにあたったのである。

ただ、そもそも、そんな芸能人の批判なんぞ、止めるべきだ。

我々の貴重な自分の時間を削ってまで、嫌な芸能人や著名人の批判的なものを、見る必要も、聴く必要もない。

テレビもラジオも新聞も消せばいいだけ。

ネットでも見なければいい。

だって、無駄だろう?

嫌な芸能人や著名人のために、時間を割くのは馬鹿げている。

むしろ、こんな時だからこそ、歴史の偉人達の物語を読もう。

彼らは我々に知恵と勇気を与えてくれるだろう。