蜘蛛網飛行日誌

夢中説夢。夢の中で夢を説く。夢が空で空が現実ならばただ現実の中で現実を語っているだけ。

平成十七年だった(中)

2005年12月31日 22時14分53秒 | 古書
前回「四月の異動の結果は五月になって出始める」などといっておきながらその舌の根も乾かぬうちにこんなことは書きたくないのだけれども、五月も全滅だった。しかし一冊だけ取り上げるとするならば高円寺南の都丸支店で手に入れた"Lectiones Latinae Latenisches Unterrichtswerk für Gymnasien"だろうか。読んでの通りギムナジウムの授業用文法書で一九六八年の発行だが、初版はもっと古く一九四七年頃らしい。しかも本文がフラクトゥーア体で印刷されているので比較的最近の出版であるにも関わらず古色蒼然とした感じがする代物だ。でもこんな文法書でラテン語をみっちりと叩き込まれるドイツのギムナジウム生徒がわたしには本当に羨ましい。動物が獲物の捕らえ方を親から学ぶのと同様に、人間だってあらゆることは学んで憶えなくてならない。これは食事から排泄、セックスにまで及ぶ、とすれば芸術や文化はなおさらのこと。よいもの、美しいものは無条件的に誰にでも判るということは先ずありえないといってよい。あの天才三島由紀夫だって若い頃の芸術的訓練がなかったなら後々の活躍はありえなかったはずだ。その彼についての関係書籍をこの月も購入した。『三島由紀夫エロスの劇』という題名だった。『三島由紀夫と橋川文三』もまだ読み終わっていないというのに。
六月は東京駅近くの八重洲ブックセンターが洋書売場レイアウト替え前のバーゲンセールをやっていてドイツ語書籍がかなり値引きされていたので連日通って購入していた。このときは幸運にも職場が八重洲だったのだ。ハードカバー物はなくすべてがソフトカバーだったがトーマス・マンに関係する出版物を多く手に入れた。しかしなかには"Das Lexikon der Nietzsche Zitate"や"Der Untergang Das Filmbuch"といったものも混じっている。前者は読んで判るとおりニーチェ引用語辞典で後者はあの名優ブルーノ・ガンツがヒトラーを演じた映画、邦題「ヒトラー最後の十日間」の元ネタの一部であるヨアヒム・フェストの"Der Untergang"と映画の台本を合体した本でRowohlt Taschenbuch Verlagから出版されたもの。この本の邦訳はおそらく版権などの問題で日本では出されることがないのではないだろうか。そうだとしたらとても残念なことだ。そのほか大島書店でコジェーブの"Introduction á la Lecture de hegel"(傍線有り)を見つけたので買っておいた。これの日本語版は随分と前に国文社から上妻精と今野雅方の共訳で『ヘーゲル読解入門『精神現象学を読む』』という題名で出版されていて大方の好評を得ているが、まことに残念なことにこの本は抄訳である。そんなわけで今回原書を手に入れてその全体像をやっと知ることができ勉強になった。
わたしは七月になるのを待ち望んでいた。東京ブックフェアが開催されるからだ。好例の洋書バーゲンは回を重ねるごとにヴィジュアル系に傾いてきてはいるものの、必ず一つや二つは光るものが見つかる。今回の光るものはソフトカバーの"Logische Untersuchungen"全三巻だった。亡くなったわたしの親友Sがこれのみすず書房版日本語訳『論理学研究』を読了したとうれしそうに電話で報告してきたことを思い出した。七月の収穫としてはこの他に東京古書会館趣味展で沼袋の訪書堂書店から出品されていた吉川弘文館版『大日本史』全六巻と『正法眼蔵思想大系』全八巻だろうか。『大日本史』はもちろんあの黄門様が編纂した歴史で、正直なところ読んでもあまり面白くはない。漢文であるということ、そしてわたしが歴史に興味を持てないことが原因だ。『正法眼蔵思想大系』は題名そのものが説明しているように道元禅師の名著『正法眼蔵』の解説書で著者は岡田宣法、たしか駒沢大学の先生だったと思う。この本の旧所有者の鉛筆による書き入れがあるものの、それらはほんのマーキング程度のものでしかも薄く書かれているためほとんど気にならない。しかもこれらのマーキングから旧所有者の学識の高さまで窺がわれる。浅学非才なわたしは蔵書に書き込みなど努々しいないよう自戒した。参考までに購入価格を公表すると"Logische Untersuchungen"が三千五百円、『大日本史』二千円、そして『正法眼蔵思想大系』がフッセルと同じく三千五百円だった。
自分として気になった本を最後に上げると池田彌三郎、加藤守雄による『迢空・折口信夫研究』がある。六、七年ほど前、折口信夫の研究書を集中的に読んでいた時期があった。加藤守雄や岡野弘彦などの書いたものを読んでいると、わたしなどとても折口の傍にはいられないだろうと想像するのだが、しかしだから一層のこと折口信夫という人物に興味を覚える。


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