蜘蛛網飛行日誌

夢中説夢。夢の中で夢を説く。夢が空で空が現実ならばただ現実の中で現実を語っているだけ。

平成十七年だった(上)

2005年12月31日 21時43分46秒 | 古書
今年の反省を行う。といっても別に己が品行を省みようなどというのではない。書痴の反省とはこの一年間に購入した図書を改めて一点ずつ評価して、世間様から見た自分がいかにアホ馬鹿であるかを再認識する、まあなんといったらよいか、つまりは少々自虐的な一人忘年会なんです。
わたしは記録するというのが大の苦手で、したがって帳簿類の作成など想像したことさえないのだけれども、購入した書籍についてはその題名、出版年月日、定価、支払った代金、買った店の名前などなどを記録に残している。面倒には違いないけれどもこれが後々結構役に立つことがある。むかしはノートに手書きで作っていたものだがそれがワープロに替わり今ではEXCELシートを利用している。残念なことにノートはどこかに消えてしまい、ワープロもFDDをぶっ壊してしまって当時の記録を参照することができなくなってしまった。現在の記録は四年前からのものだけれども、それ以前のものはパソコンがヴィルス感染してお釈迦になってしまった。バックアップを採っていなかったことがつくづく悔やまれる。
前置きはこのくらいにして早速本題に入ると、今年の端は一月八日東京古書会館での下町書友会だった。古書展では成果がなかったものの大島書店で"Der Schauspiel Führer"全七巻を千八百円で購入している。しかし一月はこれで終わってしまった。歳の初めであまり期待できない中だったので大島書店で"Der Schauspiel Führer"を手に入れることができたことを寿ぐべきなのだろう。
二月の二十六日に年が明けて初めて高円寺の都丸を覗いた。"Diccionario de USO del Espanol"二巻物が表に並んでいたので購入している。千六百円で少々高いとも思ったけれども、いずれ何かの役に立ちそうな予感がしたので重いのを堪えて持ち帰った。このような予感は結構あたるもので、といっても結果が出るのは十年ほど先になるのだが。新刊書籍としてはヘーゲルの『自然哲学 哲学の集大成・要綱 第二部』を購入している。長谷川宏の訳文はたしかにこれまでのヘーゲルものとは趣を異にしているとはいえ、原文そのものが難しいのだから長谷川版ヘーゲルだってそんなに簡単に読めるものではない。そもそもなぜヘーゲルが難解かというと、その独特な言葉遣いにある。ということは逆にそのような言葉遣いについて伝統的な解釈の仕方というものがあるわけで、それを習得すれば理解がそれほど困難ではなくなる。これを伝授するのがいままでは大学のゼミだったりしていたわけだ。皮肉ないい方をするならば教授先生方にとってこれほど気楽な授業はない。
三月には馬車道に引っ越した誠文堂を訪ねてみた。樫山欽四郎の『ヘーゲル精神現象学の研究』があったのでご祝儀代わりに買った。千二百円だった。ショーウインドウにどっしりとした装丁のアクィナスの"Summa Theologica"が置かれていたのだがかなり高めだったので買えなかった。もっともSummaを読むのだったら今ではインターネットでラテン語原文を参照することもできる。したがって買うのだったら当然見てくれのよいものでなくてはならない。一誠堂や崇文荘にも偶さか並ぶことがあるので、そちらの方のチェックもしておいたほうがよさそうだ。因みに都丸では"Handbuch der deutschen Gegenwartsliteratur Einleitung und Autorenartikel"三巻本を千円で購入している。そして今年の目玉の一つ"Die Religion in Geschichte und Gegenwart Handworterbuch für Theologie und Religionswissenschaft"全七巻を散々迷った末に崇文荘で購入。この件については既に「正当恁麼時」の回その他で触れてるのでもうこれ以上は書かないことにする。
四月は全滅状態。去年まではこの月にブックフェアが東京ビッグサイトで開かれていたものだったが今年から七月開催となり四月がつまらない月になってしまった。古書店に新しい品が並ぶのは異動のある季節と連動しているが、たとえば四月の異動の結果は五月になって出始める。つまり五月から六月にかけて目新しい品々が店頭に並ぶことになる。
買い込んだ新刊書のなかに『三島由紀夫が死んだ日』なんてものがあった。じつは二月にも『三島由紀夫と橋川文三』を購入している。三島由紀夫関係の出版物は現在刊行中の全集を除いて大方買っている。彼が市谷で割腹死してから三十五年も経ってしまったけれども、いまだに語られることの多い作家だ。わたしはこのような例を他に知らない。ところでもし彼が今なお健在であったなら今年で八十歳ということになるのだが、老作家三島由紀夫なぞ想像するだけで気分が悪くなってくる。


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