蜘蛛網飛行日誌

夢中説夢。夢の中で夢を説く。夢が空で空が現実ならばただ現実の中で現実を語っているだけ。

土曜日の成果。

2005年11月13日 07時18分03秒 | 古書
昨日の土曜日、性懲りもなくまた神保町を巡ってきた。病気だと自覚しつつも、ふと自分はいったいなぜこんなにまでして古書店を見て歩かねばならないのだろうかと疑問に思ったりする。じつはこういう日は収穫の乏しいことが多い。長年の経験からそういえる。
先ずは駿河台下の古書会館で即売展をチェックする。だめだった。わたしの興味を引く品物は見事なほど一切出ていなかった。しかしここで幸先が悪いと判断するのはまだ早い、と自分に言い聞かせる。神保町をチェックしないことには何ともいえないではないか。そう、何ともいえないのだけれども、嫌な予感がする。
大島書店を覗く。相変わらずオクスフォードのギリシア語辞典が上の棚に置いてあった。一万八千円ではなかなか売れないよ。それにそもそもこんなもの普通の人が使うか。まあ使うとしたら大学の哲学科か西洋古典学科くらいなものだろう。ドイツ語関係の棚に低地ドイツ語の研究書があったが今回は買わなかった。反対側の棚に回りこんで眺めてみても目新しい品は入っていない様子。棚の最下段には数週間くらい前からオランダ人の書いたドイツ語ハンドブック二巻本が置いてある。内容的にはあまり面白くもなさそうなのでこれも購入せず、英文学の棚を一瞥して店を出る。
三茶書房の店先のワゴンを見ると岩波文庫が並んでいた。白帯、青帯、黄帯のものはほとんど集めているが、戦前発行され復刻されていないものは残念ながら持っていないのでそれらをチェックする。しかし今ではもうそんな品は廉価では売っていない。一概に岩波文庫は古書でもそんなに安くはならない。小川町の文庫川村は別格として、どこでも学術物の文庫は高めだ。因みにこの文庫川村はバカ高いので有名な店。いくら文庫本の専門店とはいえちょっと異常な値付けに見えるが、これは復刻版が出ても絶版だったころの値がそのまま付けられているからそんなことになる。もっともあれだけの量の文庫本だもの、とてもじゃないが一々値を書き換えてなんかいられないだろう。
大屋書房の纐纈さんは飛ばして、というのもこの店は和本専門店なもで。ところで和本と和書を混同している人が偶さかいるけれども、和書というのは日本語で書かれた本というほどの意味で、つまりわたしたちが普通目にする本のこと。で、和本というのが有史以来明治初期までに日本で作られた本なのだが、ここで注意しなくてはならないのが和本と和装本の違い。つまり和装本は装丁の仕方をさしていう言葉です。
八木書店はいつも店先の廉価品を確認するだけだ。以前に三島由紀夫の研究書を集めていた頃には結構店内にも入っていたものだが最近は御無沙汰している。このあと慶文堂、東陽堂、村山書店などと続くのだけれども全部かいていったら神保町案内になってしまうのでこのあたりにしておく。
結局今回の獲物は崇文荘の店先に並んでいた次の三冊だけだった。
1."Lyrische Anthologie des Lateinischen Mittelalters" Karl Langosch編 Wissenschaftliche Buchgesellschaft Darmstadt 1968. これは中世ラテン語の叙情詞集で八百円。左ページにラテン語、右ページにドイツ語訳という体裁の本。
2."Zur Geschichte der Philosophie"(2Bänden) Karl Bärthlein編著 Verlag Königshausen + Neumann Würzburg 1984. こちらは二巻物の哲学史の本で千六百円。
もともとの売値については、1.の方はわからないが2.は三千六百八十円なので、これは安い買い物だと思う。
最後にいやな話を一つ。御茶ノ水駅のすぐそばにS書店というのがある。むかしからある店だが改築したので古書店としては綺麗な店構えだ。しかし恐ろしく雰囲気がわるい。その原因はレジに座っている店主(だろうと思う)にある。古書店というのは客が入ってきても「いらっしゃいませ」というところはまずないといってよい。レジに本を持っていっても黙ったまま客からそれを受け取り包装する。代金を支払ったとき初めて「ありがとうございます」という店主の声を聞くことができる、というのが一般的。だから東陽堂などのように普通の商店なみの接客をされると、とても丁寧な印象を受けてしまう。というわけでわたしは古書店主の無愛想、ぶっきらぼうには慣れている。わたしが気分を害したのはそんなことではない。件の店主はレジにすわったまま、なんと鼻歌まじりにレジの台を指先でコトコトと延々叩き続けているのだ。これはかなり耳障りで、神経を逆撫でされる。本など落ち着いて見られたものではない。一体全体このオヤジは何を考えているのだろう。もしかして冷やかし客を排除するための方策なのだろうか。それなら店など閉じて呼び鈴店にすればよい。どうしても入店したい客が呼び鈴を鳴らして入れてもらうシステムにすれば冷やかし客はほとんどいなくなるはずだ。それともこの人物は本当にちょっとアブなくなってきているのだろうか。以前はこんな店ではなかったのに。

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