蜘蛛網飛行日誌

夢中説夢。夢の中で夢を説く。夢が空で空が現実ならばただ現実の中で現実を語っているだけ。

書痴歳末考

2005年12月26日 04時55分44秒 | 古書
とにかく忙しい日々が続いてしまっている。帰宅時刻が毎日午前零時前ということはない。加えて土曜日曜も休めないのだからたまったものではない。体力的にはさほど辛さを感じないのだが、精神的にはかなり参っているようで、職場などでの言動で抑制の効かなくなったと感じることが偶さかある。そのようなわけで師走十二月は神保町チェックも都丸詣でもお休み状態だ。もしかしたら古書の香りに見えていないことも精神的不調の一因かもしれない。十七日の土曜日が徹夜の作業になってしまい、終わったのが翌十八日の午後二時ころだった。日曜日なので当然ながら神保町の主立った店は閉じられている。わかってはいたのだがどうしても行きたくなって、徹夜明けのその足で神保町を訪ってみた。
日本特価書籍は日曜日も営業している。この店は年末年始を除いて無休営業しているのがうれしい。ここで十二月刊行の岩波文庫二冊、『アメリカのデモクラシー第一巻(下)』『ディドロ 絵画について』、それに光文社新書の『20世紀絵画 -モダニズム美術史を問い直す-』を購入した。美術史関係の本を読むのは久しぶりだ。むかしむかしハンス・H・ホーフシュテッターの『象徴主義と世紀末芸術』を種村季弘の訳で読んで以来いろいろな美術関係書籍に目を通しているのだけれども、どうも美術や音楽に関する書籍は読んでいて隔靴掻痒の感を否めない。その絵画や彫刻、音楽作品なりを一度でも見たり聞いたりしていてその印象が残っているのならばよいのだが、そうでないといったい何を著者がいおうとしているのか判ったようで判らない。とくに音楽となると何が何だかさっぱりわからなくなってしまう。わたしはバッハが好みなのだが、たとえばシュバイツァーが「Blute nurのアリアはテンポをかなり速くとるべきである.またオーケストラをして強拍の音を強調しないで,第1小節では2番目の8分音符と最後の4分音符,第2小節では2番目の8分音符と最後の4分音符,第6小節では第2,第6の8分音符をきわだたせ、その他の音符はほとんど消えるほどに演奏させるように配慮せねばならぬ」(注1)と書いても、基となる「マタイ受難曲」を聞いていないと何をいっているのか理解できず議論に付いてはいけない。
話が逸れてしまった。日曜日の神保町だった。かつての神保町は日曜日も店を開いてたと以前書いたことがあるが、いずれにせよシャッターの下ろされた靖国通りを歩いていると寒々しい気分になってしまう。二週間前の十二月十日土曜日に白山通りを歩いたら銀杏並木がすっかり黄葉していたが、靖国通りから南側はまだ黄葉していなかった。誠心堂書店の店先に並べてある廉価本に黄色くなった銀杏の葉が一枚落ちているのを見て師走を実感じたものだ。この日は東京古書会館の書窓会で松下大三郎の國歌大観全四冊、角川書店から刊行されたものだがこれを三千円で購入した。定価で誂えると三万九千円するから安い買い物だった。そのほかには宇井白寿の『禪宗史研究』も千五百円だったのでついでに手に入れた。戦前大阪朝日新聞社から刊行された『近松全集』が三千円で出ていたが、やけに安いのでよくよく見てみると全十二巻物のうち十巻という半端セットだったので手を着けるのを止しにした。むかしは安値に目がくらんでこのような半端物を掴まされたものだ。これは古書に限っての話ではないのだけれども一概に安物には充分注意したほうがよい。食品だってスーパーで安売りしているもので美味いものがあったためしはいまだかつてない。件の『近松全集』にしてからが、巖松堂書店の店先に積まれていた全十二巻揃物で一万六千円の値が付いていた。この価格はほんの少し高めだがまあ相場といったところなのであって、いくら安い古書会館の即売展でも三千円ではさすがに並んではいないはずなのだ。巖松堂書店の名前がでたのでついでに書いておくと、二階の仏教書コーナーに『道元研究』という本だったと思うが四千円で出ていた。おなじ版かどうかは確認していないけれどもこれを都丸支店で千五百円で出ているのを見た記憶がある。
年内はもう古書店へも古書会館へも出かける暇がない。来るべき2006年に期待を繋ぐことにしよう。

(注1)『バッハ』下 216頁 アルベルト・シュバイツァー著 辻荘一 山根銀二訳 岩波書店 昭和42年12月10日第4刷


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