蜘蛛網飛行日誌

夢中説夢。夢の中で夢を説く。夢が空で空が現実ならばただ現実の中で現実を語っているだけ。

古本は高くないって?

2005年11月15日 05時23分40秒 | 古書
泉井久之助の著した『ラテン広文典』という本がある。長らく品切れとなっていた本で、最近白水社の創立90周年記念出版として復刊された。ラテン語の入門兼文法書で内容的にも評判の高いものなのだが、残念ながら学校のラテン語授業の教科書には使えない。というのも各節に設けられているラテン語和訳の問題について解答が掲載されているからである。一概に良いとも悪いともいいかねるのだが、わたし個人としてはこのような解答は不要だと思う。難しい問題に出会ったとき解答に頼ってしまうからだ。さてこの『ラテン広文典』だが、品切れになっていた当時なんと二十万円で売買されていたという噂を聞いてビックリしたが、わたしはすぐにガセだと思った。ちょと古書の値に触れていれば、この手の本が売値で二万円を超えることが先ずないことなど簡単に見当が付く。もっとも個人的に売買されたとなると話は別だが。
古書の市場価格に疎い人は絶版や品切れになった本は業者の間で押しなべて高価で取引されていると思っているようだ。だから『ラテン広文典』に二十万円の値が付いたなどという戯けた話が横行することとなる。この復刊本は現在定価四千八百円で売られている。おそらく品切れ当時もこのくらいの値段で古書市場に出回っていたのではないだろうか。いまでは良質のラテン語入門書が多く出ているし、文法の専門的知識を得ようとするような専門家ならば外国語の本をあたるはずで、わざわざ『ラテン広文典』など閲覧しない。もし市場を通さず個人的にこれを二十万円で買った人間がいたとすればとんだ大間抜け者に違いない。
ちょっと前の朝日新聞の投書欄に古書の安値を嘆く投稿を見た。いや、気持ちは本当によ~くわかります。大枚はたいて買ったナントカ文学全集が二束三文どころかただでも引き取ってはくれない現実に直面すれば誰だって一言いいたくなるのは人情というもの。でも市場はそんな個人的な思いとは別の原理で動く。そりゃあ誰だって自分の愛着ある書籍は高値で取引されることを望むものだが、高値というのは買い手があって初めて付くものだという簡単な経済原則を忘れてはいけない。自分の蔵書がたとえば一冊辺り何十円単位で引き取られるのを見て、自尊心までも否定されたような気分になるのは、特にまじめな市井の勉強家に多いものだ。
身も蓋もない話なのだけれども、素人の蔵書はまず金にならないと思ってよい。古書店に買い取りを頼んでも「うちでは引き取れません」といわれるのがオチなのだ。これには持っていく側の認識不足がある。まず持ち込もうとする古書店がどこにあるかが問題だ。近所にある古本屋にいきなり「キリスト教神学史」なんか持ち込もうとしよう。でもここでちょっと考えてみて欲しい。自分の住んでいる街がどこにあるのかということを。例えば葛飾区の商店街にある古本屋だったとしようか。近所の住民には浄土宗、浄土真宗の檀家や日蓮宗の信徒はいるかもしれないがクリスチャンはカトリック、プロテスタントを含めていったい何人いるのだろう。さらにクリスチャンではないがキリスト教に興味のある人間はどれほどのものか。つまりここでいいたいのは需要と供給のバランスなのだ。万が一その古書店が「キリスト教神学史」を幾許かで引き取ったとしても、おそらく自分の店の棚に並べることはないだろう、これは自信を持っていえる。ではどうするか。古書会館で業者が開く市に出すのだ。駿河台下の東京古書会館、高円寺の西部古書会館、五反田の南部古書会館、そしてここはあまり知られていないが南千住の東部古書会館が市場を開いている。だからこのような市場に出す手間を勘案して店主は引き取るか否かを判断した上で買取値を決める。一方売るほうはそこまで考えて自分の売ろうとする本の引き取り値がいくらくらいになるかを考えているのだろうか。わたしは甚だ疑問に思う。
しかしそれでも古書店では店主の蒐集している分野に合致すれば、近頃できているBookOffやその他似非古本屋よりは幾分高く引き取ってくれる。じつはここが大切なところなのだが、件の似非古本屋には古書市場の相場を知る人間はいない。だって見りゃあわかるでしょう、アルバイトの兄さん姉さんが本を鑑定するんですよ、彼らはあるテーブルに従って機械的に引き取り値を決めているんです。市場価値とは無関係にね。もちろんコミックや文庫本をリサイクルショップに出す感覚で持て行くのならそれはそれで一つの遣り方で、わたしはなのもいうつもりはないが、少なくとも自分の蔵書の市場価値を評価してもらおうとするならば、須らく古書店に持ち込むべきである。まあそこで二束三文の評価を下されたならば、それはそれで素直に受け入れるべきではないだろうか。専門家の評価は素人のものよりよほど正確だ。わたしもこれまで何回か古書店に蔵書を引き取ってもらったことがある。おおむね適正価格だったのでこれらの店は誠実だったのだと感謝している。しかしコミックに圧倒的人気があったことにはちょっと寂しい気もしたものだが。

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