忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

無防備宣言とフルチン宣言 

2009年09月19日 | 過去記事
■2009/09/18 (金) 無防備宣言とフルチン宣言 1

例えば、私がフルチンで、だ(いきなりスンマセンww)。

早朝から家の近所を散歩すれば、おそらく1時間も経たずお巡りさんと手をつないでいるだろう。もしくは私がフルチンで、だ。家の近所の万代に「焼き肉用バラ500グラム~国内産~」を3パック買いに行ったとしても、その夜の焼肉パーティはお預けとなろう。

また、その私のフルチン姿を見て、「きゃぁぁ!変態!!毎日新聞!!」と騒いで逃げる女子高生はともかく、私の高めストライクゾーンでもある50代や60代の「おねえさん」たちが、「あらら、ええもん見してもろた。なんまんだぶなんまんだぶ。」と言ったとしても、だ。その「おねえさん」たちは捕まらない。私は見られ損である。金払ってくれ。

しかし、だ。

コンビニの前でパンツ見せながらカップラーメン喰ってる野良メス餓鬼を凝視し、キタナイパンツ見してんじゃねぇぇぇ!!!と睨みつけたら、その餓鬼は猥褻物陳列罪で捕まるのかといえば、なかなか、そうはならんのだ。どころか、もしかしなくても「こっちが捕まる可能性」が大なのである。今でも、なんだかんだ言っても、電車でも騒がれたらアウトである。「やっていない証明(悪魔の証明)」はできんのだ。

そういえば昨日、TBSで矢追純一を面白おかしく取り上げていたが、その際「地球外生命体の存在はあるとして絶対にブレない。証拠がどうかを論議しているのに、その写真や映像を堂々と出し続け、コレが証拠だ!と言い切る姿勢が面白い」と小馬鹿にしていた。いくら学者が「そんなもの信じられない。合成写真の可能性がある。映像も創作であり、捏造だ。根拠を示して証拠を提示せよ」と言っても、矢追氏は「(地球外生命体は)いる!」と言って人の話を聞かない。コレが証拠だと言って取り合わない。

更には「もう紛れ込んでいる」とか「命を狙われたことがある」などと真剣に言う。番組ではそれに呆れて見せるのだが、そんなもん、その「知的生命体」を「旧日本軍の悪行」に置き換えてみるに、何も感じないのだろうかと笑った。矢追氏をネタにして笑いたいのだろうが、おまいらがまさにそうではないかと、私は笑う。がはは「2」へ。がはは。

■2009/09/18 (金) 無防備宣言とフルチン宣言 2

いわゆる「南京大虐殺」の写真など、そのどれもがトンデモ写真であり、キャンプションを捏造した悪質なものをどれほどまき散らしたのか。それならばまだ、矢追氏の「UFOはいる!」のほうに信憑性はある。動機が弱いからだ。たいした儲けにもなるまい(笑)。

学者が束になっても嘲笑するほかないように、矢追氏の理論を覆すことは不可能だ。つまりそれは、「ない」という「悪魔の証明」をせねばならぬからだ。想像を絶する手間と時間をかけても難しい作業なのである。

例えば、ここに「20個の箱」を用意しよう。そしてその中に「友愛」と書いたボールを入れる。単純な話、この20個の箱のどれかにボールが「ある」という側は「ボール」を見せれば済む話だ。「ほら、ね?」ということだ。しかし、「ない」という側は「20個の箱を全て」調査せねばならない。20個の空き箱を並べて見せて、初めて「ほら、ね?」となる。この労力の差は天と地ほどあろう。そしてこいつらは「ボール」を見せもしない。失礼ながら、矢追氏と同じく「あったかの如く話を進める」というのみなのだ。

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ええと、話を戻す。

つまり、電車の痴漢も同じく、「触ってないすよぉ~~泣」という証明は不可能に近い。だから、冤罪を誘発させる。それを悪用する阿呆も出る。実に腹立たしいが、悪いのは「ホンマに触る奴」である。痴漢に限らず、猥褻罪などの「性犯罪者」は、千葉景子がなんと言おうと、てぃんこもげてしまえ、なのである。そのてぃんこは千葉に差し上げよう。

なのに、我が京都府では迷惑防止条例にて、こんな改正案が提出される。

http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2009091700231&genre=A2&area=K00
<物で体触わる行為、取り締まり対象に  京都府警、迷惑防止条例で改正案>

もう、「ぶつかっただけ」で警察に突き出される可能性がある。コレ、大げさではないと思うぞ。気に入らん男がいれば、その近くで狙いを定め、傘でも鞄でもなんでもいいが、それに接触して騒げばいい。どこぞのシャブ中女優のように泣いてみせてもいい(励ましです。のりぴー頑張れ!)。少なくとも、事情を聴かれたりはするだろう。起訴できなくとも、その男の社会的信用に傷を付けるくらいのことは造作もない。

「3」へ

■2009/09/18 (金) 無防備宣言とフルチン宣言 3

女は半分ケツ出して歩いてようが、夜中に酒飲んでフラフラしてようが、「そんなん、狙われることはわかるだろう?」といえば女性差別だ。そういう「厭らしい目つき」で女性を見るなどトンデモナイと叱られるわけだ。もう、電車にはオカマしか乗れない。

夏、海水浴に行くにもカメラは厳禁だな。舞鶴にでも行こうかと思っていたが、ンなもん、鼻の下伸ばしてカメラで孫を撮ってんのに、隣の不細工が「きゃぁ!わたしを映してるのね!!」とされたらたまらない。それもこれも、海水浴場で「盗撮」するような毎日新聞(変態)がいるからだ。ホント、迷惑な話だ。

その点、私の周囲にいる「ちゃんとした女性」は、そんなこと言わない。夜中に未成年がウロウロして、ナンパされて付いて行ってレイプされても、「そら、そんな危ないことしたらアカンわなぁ・・・」と言う。無論、どんな状況下であれ「レイプする男が鬼畜以下の外道」であることは言うまでもないのだ。そして、お花畑よろしく、「女性がひとりで夜出歩いても安心安全な社会の実現を!」とか言うから、被害に遭う女性が減らない。いや、少なくとも減少させる要因にはなり得ない。

必ず、一定数の犯罪者はいる。レイプ魔もいれば、放火魔もいる。殺人鬼はいるし、強盗も増えるだろう。詐欺師は国会にもいるし、コソ泥は役所にもいる。

「4」へ

■2009/09/18 (金) 無防備宣言とフルチン宣言 4

いくら“気をつけよう ひとり歩きと 暗い道”と看板を立てても、その看板の横を未成年女子児童は携帯電話片手に呑気に通るのである。これは「平和呆け」のひとつの症例である。「自分だけは大丈夫」と「日本が侵略されるはずもない」は絶妙にリンクしている。よって「戦争を避ける努力よりも、戦争に勝てる用意を最優先する国」もあるのだという歴然たる事実すら「ないこと」となる。

ンで、被害に遭って初めて泣くのだろうが、言うまでもなく「泣くで済まないこと」もある。そして、その無責任な連中と、意図的に「何か」を企てる連中は、非現実的な「決め事」を策定して誤魔化す。蓋をする。

この京都府の「モノで触っても痴漢」という改正案は、まさに「憲法9条」と同じく「無用の長物」なだけでなく、様々に弊害を生む阿呆の誤魔化しなのである。

ちなみに「猥褻」とは「いたずらに性欲を興奮、または刺激せしめ、かつ普通人の性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反すること」(刑法175条)と定義されている。未遂はない。性差も記されていない。しかし、適用されるのは男性だろう。女性が傘でてぃんこ突くことがあっても警察に駆け込む野郎はいないからだ。

なるほど。憲法9条が日本にしかないはずだ。

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