忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

「THE・COVE・OF・BLOOD(血の入り江)」(久代千代太郎 初監督作品)

2010年05月17日 | 過去記事
----男は笑いながら首を刎ねた。



シンクの中は真っ赤な血で染まっている。それでも男は「次の獲物」に出刃包丁を入れる。腹を切り裂き内臓を引きずり出す。生皮を剥ぎ、まだ生気の残る肉片を切り刻む。そして、その肉片を飢えた野獣が喰らい尽くす・・・・日本人に衝撃をもたらせるこの夏・・・



あの「THE・COVE」を超えるドキュメンタリー映画!


※心臓の弱い人はお気を付け下さい





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「THE・COVE・OF・BLOOD(血の入り江)」(久代千代太郎 初監督作品)




公開未定!!


きゃぁぁあああ~~~~(※悲鳴



「ハマチ」を「ぶり」だとして販売する日本・・・・街行く人が眉間にしわを寄せる。

「え?ハマチって観賞用じゃないのか?」
「魚から血が出てるじゃないか!日本人は痛みが分からないのか?」
「ブリ大根だって?信じられない!日本人は大根まで喰うのか?」
「この映画の入場料はいくらだい?はーまっち?なんつてw」



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専門家からも絶賛の声が!!



「オスカー受賞間違いなし」(ロジャー・エバート 映画評論家)
「まるでジェームスボンド作品だ」(ニューヨークタイムス)
「スリラー映画の世界は実在していた!」(クリスチャン・サイエンス・モニター)
「ハマチは嫌い。スイカ好き」(監督の妻 パート勤務)



「THE・COVE・OF・BLOOD(血の入り江)」(久代千代太郎 初監督作品)

※同時上映「でんじゃらす・じーさん ざ・むーびー」(~校長と対決じゃ!~)


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ぎゃぁぁああああぁぁあああ(※悲鳴





近日公開未定!!










―――――正直、すまん。ちょっと書きたかっただけだ。気にせんでくれ。



倅と二人で映画に行った。「クロッシング」だ。私は二回目だ。

映画が始まる前のCMのことだ。「THE・COVE」をやっている。劇場内は相変わらず立ち見の満席状態だが、なんか、シラケムードが漂うのは前回も同じだった。

まあ、先ず「イルカをクジラだと偽って売っている!」にはもう阿呆としか言えん。哺乳綱クジラ目ハクジラ亜目に属する水生動物の比較的小型のモノを「いるか(海豚)」と呼ぶことくらいは知ってから映画を撮るべきだろう。「イルカ」というのは、いわゆる「俗称」である。「クジラ」の「4メートル以内」のモノを「イルカ」と呼ぶ。私の妻が「え?そうなん?」となるのは仕方ないが、こんなクソ映画でアカデミー賞受賞するなら、もう少しマシであってほしい。なにを言ってもなにをしても文句を言わないからとはいえ、日本の食文化をネタにして金儲けするのも寿司屋だけにしろと言いたいところだ。

「本当のこと」を知ってか知らずかはともかく、いずれ大恥をかくことになろう。歴史に断罪され、時代に糾弾され、常識から指弾されるだろう。クジラは知能が高いのかもしれんが、こんな連中はクジラ以下の頭なんだろう。せいぜい魂の安売りをしながら小銭を稼いでおけ。


ま、話は少しだけ変わるが、つい先日、ツレが店に来ているとき、私が何気に「ジンバブエに行きたい」などと漏らすと「なんで?」と笑われた。また「経済が凄いことになってるらしい」とも教えてくれた。たしかに、ジンバブエのハイパーインフラは2008年で16万%を超えた。単純に言うと100円の缶コーヒーが1600万円になる計算だ。漫画の世界ではないが、もうどうしようもないだろう。しかし、私の目的は「象の肉が喰いたい」であるから、とくに問題ない。しったこっちゃない。

塩味の干し肉らしい。牛よりも濃厚なコクがあるという。如何にもビールに合いそうではないか。子供のころから始め人間、マンモスの肉に憧れた世代である。ドテチンの作る「サル酒」は夢のままだが、象の肉は喰えるかもしれない。死ぬまでに一度、象の肉を腹いっぱい喰ってみたいというのは男のロマンなのである。

また、ジンバブエでは「象の肉」は政府が卸しているが、もちろん、「象牙」はあの悪名高いワシントン条約で禁止されて国内に溜まっている。一度で2000頭の象を間引きすれば10億トンの象牙が出るらしいが、その価格も10億円相当になるらしい。これを闇のブローカーあたりが放っておくはずもなく、安い給与で密漁者と銃撃戦までして守るはずもなく、それなら一緒になって象牙を密売した方がビールもウマいとのことで、政治家が自然保護官とグルになって密輸してバレたりもした。

それにしても、だ。一頭で5トンとか7トンあるアフリカゾウを、軍が重火器で2千頭も殺せば凄い量のタンパク質となる。キロ100円とか200円らしいが、羊や鶏を喰えない民衆からすれば貴重な「お肉」である。しかし、象はイルカと同じく、頭の良い動物であり、玉乗りしたり、壁に絵を描いたりさえする。「THE・COVE」の阿呆監督は象が嫌いなんだろうか。銛ではなく機関銃で殺される象に胸は痛まないのだろうか。しかも、象肉は牛や羊と偽ってなくて、ちゃんと「象肉」として売られている。それも政府が卸問屋である。

インドでは「ガネーシャ」と呼ばれる神であるほど神聖な動物だし、アメリカにも耳を羽ばたかせて飛ぶ象がいたりするが、現実にウガンダやセネガルでは頭数の減少は著しく、本気で保護が必要な哺乳類でもあるが、クジラを殺すなという犯罪者集団「シーシェパード」も陸に生きる生き物に恨みでもあるのか、ぜんぜん騒ごうともしない。

ジンバブエには45000頭しか保護できない国立公園に10万頭を超えるアフリカゾウがいて、それも年間5000頭以上増え続けている。被害は結構甚大で、少ない作物は喰い荒らされ、若木を押し倒しながら移動する。食べるモノを探しに出かけた人間が襲われて、年間に十数人は人が殺されてもいる。アフリカゾウは一日、150キロの草を喰って100リットルの水を飲む。そんな大型の哺乳類を「かわいそうだ」で保護した結果がジンバブエである。白人の偽善が手を入れて、自分さえよければいいという為政者がそれに乗り、象さんゾウさん♪お鼻が長いのねと博愛精神を発揮すれば、その国の民が飢えて死んでいる。

一生、生え換わることのないクジラさんの歯をもつ「ハクジラ」の年間捕食量は4.5億トン。これは人類ががんばって「魚を食べましょう、さかなさかな~♪」と食べる量の5倍を超える。もちろん「ヒゲクジラ」が喰うオキアミなども、一頭で一日に3.5トンを平らげる。人間である孫の「そーちゃん」が、朝からトースト2枚とオレンジを喰って保育園に行くと聞けば、さすがわが孫、よく喰うなぁと目を細めるが、シロナガスクジラの赤子は一日500リットルの母乳を飲んで日に100キロずつ成長するのだ。とても敵わないのであるw


ところで、話を戻すと、だ。

「文明人」としての驕りとは、すべからく「他文明を否定する」ことである。他の文明の価値観を理解しようとしないことである。マサイ族がアポリジニを見下すのは「サルを喰うから」である。白人の映画監督が日本人を野蛮だとする根拠が「クジラを喰う」ならば、それはマサイ族と変わらぬ偏狭な野蛮である。

しかし、マサイ族の名誉のために書いておくと、それら価値観の否定における覚悟は全く違う。マサイ族は銃で武装する奴隷商人相手に聖なるヤリで戦って追い出した。勇敢なマサイ族のお陰で奴隷にならずに済んだトルカナ族などは早速にも銃を手にして、以前は戦っても勝てなかった屈強なマサイ族から牛を奪うことができるようになったが、マサイ族のモラン(戦士)は今でもヤリ一本でライオンを倒す。「誇り」とはそういうものだと思う。



いま、日本の宮崎県で口蹄疫が蔓延して悲惨な状況になっている。

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/172037
<「ごめんね」頭さすり薬剤注射 豚7万4000頭処分>

赤松農水大臣の「ニヤニヤ答弁」をみて怒髪天に達した人も多かろうと思うが、バカにされるべきはこのような無自覚であり、無神経であり、無責任極まる無能と無策にこそ非難は向けられるべきである。「THE・COVE」のような批判精神は、こういう場合に向けられるとよい。無責任から無駄に命を奪われる牛や豚を取り上げた映画なら共感もできる。また、数日前に600頭の豚を殺処分した養豚場経営者のこの言葉が重すぎる。

<畜産は人の命をつなぐために動物の命を奪う仕事。でもこんな形はいやだ>

マサイ族はビタミンを補給するために牛の血を飲む。牛は殺さずに頸動脈を傷つけて、したたり落ちる血を皮の器で受けて大切に飲む。儀式でヤギを潰したら、彼らは骨の髄まで吸って喰う。いや、アフリカまで行かなくとも、台湾でも羽をむしっただけの鶏がぶら下がっている。蒸した鶏の骨には血が見えているが、それをそのまま白米の上に乗せて喰う。「鶏肉飯(ケーバーブン)」だ。虹の会長は私の分まで喰ってくれたが、私はとうとう喰えなかった。私はデリケートなのであった。お嬢様扱いで頼むのである。しかし、だ。

台北を歩いていて「鶏の足」にかじりつく若者を見ても「残酷~~」とは思わない。鶏が可哀そうだ!とも思わない。蛇のスープに入るにょろにょろを「あんまりだ!」とは言わない。グロイとかキモイと思ったとしても、決して現地の人の食文化を馬鹿にしたりはしない。自分が勝手に喰えないだけなのであり、その文化が肌に合わないだけの話である。この「THE・COVE」の監督も「日本に行っても絶対にイルカだけは喰わない」と勝手に思っていればいいだけの話であり、私がアフリカに行ってもマサイ族と牛の血を飲みたいとは思わないのと同じだ。繰り返すが、他文明を非難するというのは単なる思い上がりであり、それはとても原始的な感覚、つまり、いくら清潔な生活を過ごしていても、その知性は文明とはほど遠いところにある原始人なのである。

それに「価値観を認め合う」とは、およそ他文明と触れ合う際のモラルですらある。それをしない場合は、明らかに相手が劣っているという身勝手な優越感の証左、善悪二次言論に堕した安直な差別が根拠にある。文明人にとって最も恥ずべき根拠だ。


また、これを宗教に置き換えるに、どれほど危険な感覚かもわかる。それを否定し合うことは人類が戦争を止めない一因でもあろう。例えば、イスラム教が豚肉を喰わないのは「不浄で汚れているから」である。ヒンズー教が牛を喰わないのは「神聖で神の使いだから」である。同じ喰わないでも理由は真逆だ。

コーランには「死肉・血・豚肉」は食してはならぬと書いてある。アッラーが禁じているわけだ。これはもう、宗教というか文化として根付いてしまっているのかもしれない。イカの刺身で酒を飲むイスラム信者も豚肉だけは止めてくれというそうだが、それでも日本に来て宮崎の口蹄疫を「不浄な豚を家畜化したからだ!」と言えば、おまえは阿呆かとなる。ヒンズー信者が「神の使いをステーキにしたからだ!」と怒っても、はいはい、わかったわかった、とされる。この「イルカ監督」も同じようなもので、普通、そんな人は阿呆か、ほっとけ、で済む。


また、その「THE・COVE」の宣伝が「クロッシング」の前にされるというのも笑える。「イルカを食べるなんて野蛮だ!」という映画が紹介された直後、クロッシングではビニール袋に残飯を集める人間の子供が出てくる。喰えなくて衰弱死する北朝鮮人民が描かれる。主人公の家で飼っている犬が喰われる。脱北者が隠れて働くタコ部屋では、蒸しただけの鶏に大勢がかぶりつく。他国の食文化にまで難癖をつける博愛主義の先生は、どうか、北朝鮮で飢え殺されている人間にも愛情を注いであげて欲しい。

「イルカが殺されている」と叫ぶ国の隣、対馬から46キロ、その国のソウルという都市からわずか600キロ離れたところで人間が殺されている。監督のルイ・シヨホスさん、主演のリック・オバリーさん、あなたたちの力作の評価はこれだけだ。




阿呆か、ほっとけ

4 コメント

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アパルトヘイトか白豪主義か (な)
2010-05-17 22:05:15
果たして本当に鯨が大事なのか、それとも力をつけた極東の黄色い猿が気に入らないのか
しかし!それにしても美味しそうなハマチですねぇ

Unknown (久代千代太郎)
2010-05-18 05:54:44
>な さん

まいどです。

時期的には「鰹」でしたねww


初鰹くいたし。
Unknown (へびんがー)
2022-10-09 07:45:58
いやあ、懐かしい!
20年ほど前にいつも拝見していたちよたろさんがいつの間にか復活していたとは。
店長時代にやくざ事務所に乗り込んでいった話や、お子さまに壮大な演出と共にクリスマスプレゼントを渡した話などで楽しませてもらってたクチですわ。
知性と文才はご健在ですな。
密かな楽しみが増えて嬉しいですぞ!
おお。。 (久代千代太郎)
2022-10-10 11:24:34
まいど。おおきに。

ぼちぼちですのでお手柔らかに。。。

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