忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

忘憂之物 15

2013年08月22日 | 過去記事




職場の飲み会(実は明日も別件がある)。私は身長が190センチある中年男性、本社の管理職と話していた。酒の進まぬ実にくだらない話、つまり仕事の話だった。

ふたつ隣の席の会話が聞こえてくる。テレビの話らしく、それもまた、ずいぶん前に見たテレビがどうしたこうした。キーワードがいくつか並んだ。和歌山のどこか、インドだったかどこだったか、台風で船が難破して日本人が助けて、明治時代くらいのことで、だからイラクの日本人を助けてくれた・・・間違いない、私も知っている話だった。

話の中心は中年女性。その周囲にいる若い社員らが「聞かされていた」。

船の名前が「パルルック号」というところで我慢の限界が来た。坂口征二みたいなオッサンの話が途切れた瞬間、私は横から言い直した。「エルトゥールル号です。トルコ船です。パルルックは紙です。ちょっと良い紙です。違います、電球じゃありません」。

明治23年、和歌山県串本町、紀州沖だ。これは難破というか、エルトゥールル号は台風直撃で沈没した。そこで大島の住民らはトルコ人70名を救助する。自分らの喰う分も不安なご時世、島民は惜しげもなく鶏を潰し、疲弊し切ったトルコ人らの滋養とするべく提供した。日本国民は義捐金を募り、回復したトルコ人の避難民を日本船で祖国まで送り届けた。この有名な話がトルコの教科書に載っているのも有名な話だ。

それで1985年のイラク、テヘラン空港になる。当時はイラン・イラク戦争真っ只中(1980年~1988年)だ。サダム・フセインが総攻撃を決めたのがこの年だった。テヘラン上空を飛ぶ航空機はすべて撃墜する、と宣言した。まあ、戦争中だからあり得る話だった。

しかし、現地には邦人300以上がいる。なんとか国外脱出したいが、日本航空は外務省からの依頼を「安全が保証できない」として断っている。もちろん、阿呆な国会議員や売国メディアの所為で自衛隊機も助けに行けない。朝日新聞は朝刊の見出しで「邦人に動揺広がる・脱出路探しに必死」と嘲笑った。そしてその翌日だった。朝日新聞の見出しは「テへラン在留邦人希望者ほぼ全員出国」。朝日新聞記者の舌打ちが聞こえてくるようだが、助けてくれたのはトルコ航空。撃墜される可能性がありながらも日本人全員を出国させたのだった。

もちろん、朝日新聞は仕方なく、よかったね、と書いたあと「日本がこのところ対トルコ経済援助を強化していることなどが影響しているのではないか」と下衆をやった。要するに「カネ目当てだろ?」ということだ。無知な上にゲス、それが朝日新聞クオリティだ。

ちなみに「エルトゥールル号」の沈没、救助の4年前、明治19年には「ノルマントン号事件」があった。場所は同じく紀州沖だ。ただし、このときはトルコ船ではなくイギリスの貨物船だった。船が沈没する際、イギリス人船長ドレイクをはじめ外国人船員は全員が救命ボートで脱出。船の残されたのは日本人船員25名、全員が死亡した。

船長が逃げてはならない、は国際常識だから日本政府は「殺人罪」で船長を罪に問うた。しかし領事裁判権を持つのはイギリス領事だ。黄色人種を助けるために白人様が危険を冒す?ンな阿呆なということで無罪放免となった。いま、日米地位協定で騒ぐ左巻きは、当時の「不平等条約」というリアルから、その後に起こる大東亜戦争を考えてほしいモノだ。

いずれにせよ、世界が驚いたのはそんな日本人の「人の良さ」だ。4年前に酷い目に遭ったはずなのに、それでも外国人が溺れていたら助けてしまう。感謝の意を示されたトルコの日本大使も「当然のことをしたまでです」でお仕舞い。我が民族の世界に誇る友愛精神が~などとやらない。このあっさりした感じが日本人マインド、朝日新聞は100回沈没してもわからない。

島民は自分の体温で遭難者を温めた。通じない日本語で「頑張れ」「死ぬな」と大声で呼びかけた。島の男連中は凄惨な現場を見て泣き、遠い外国で死んだトルコ人の遺体を引き揚げ、手厚く埋葬して慰霊碑も建てた。いま、慰霊の日にはオスマントルコ軍楽隊がやってくるのがそこだ。また、魚を獲って米を買う島民は裕福ではなかった。貴重な鶏も潰して料理した。島民は不安になったがそれでも止めなかった。島の婦人は「なんとかなるよ、お天道様が助けて下さるから」と言って米を出した。煮ても焼いても日本人だ。

しかし、このとき和歌山県知事は明治天皇陛下に沈没事件の顛末を言上。現在の串本町には直ちに医者と看護婦が派遣され、救援物資や義捐金が送られた。日本全国から弔慰金も集まり被害者家族に届けられる。生存者がトルコ本国に戻った船というのは「比叡」と「金剛」である。いやはや国家も国民もこういう性質。だから私は大好きなのだ、日本が。






ひと通りの説明を終えた私が満足して坂口政二に向き直った。申し訳ありません、で、何の話してましたっけ。

「・・・なんだったか・・・忘れましたww」

ま、忘れてしまうような話だったんでしょう、はっはっは。




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