忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

ブラック企業集中取り締まり…立ち入り、公表も

2013年08月08日 | 過去記事


ブラック企業集中取り締まり…立ち入り、公表も

<厚生労働省は8日、若者に極端な長時間労働を強いるなどする、いわゆる「ブラック企業」への集中取り締まりを実施すると発表した。

 若手社員の離職率が極端に高かったり、過重労働が続いていたりする疑いのある全国約4000社に対し、9月の1か月間に立ち入り調査する。悪質な労働基準法違反などが確認されれば書類送検し、社名を公表する。

 対象は、平均的な離職率を上回っている企業など。同省によると、大卒の3年以内の離職率は平均で28・8%で、業種や企業の規模も参考にする。サービス残業や労使の合意を超える残業が横行しているとの相談がある企業や、過去に労災を起こした企業も含める。

 実態把握のため、9月1日には無料の電話相談(0120・794・713)を実施する。時間は午前9時から午後5時まで>







バブル全盛期の頃、とある栄養ドリンクのCMは「24時間戦えますか」をキャッチフレーズにしていた。いまなら訴えられるかもしれないが、他社の製品でも疲れたサラリーマンが朝、そのドリンクを飲むと元気になって走って出社したりする。シャブじゃないんだから、これもどうかと思う。

数日前、仕事で北陸をウロウロしていたら、駅前にある老舗居酒屋のトイレに「滋養強壮にヒロポン」と書いたポスターを見つけた。いまでは冗談の類だが、アレは本当に24時間戦える代物で合法だった。戦後の復興、高度経済成長の前から、ジャパニーズビジネスマンは無茶苦茶に働いていた。白人らはそんな日本人の勤勉さ、あるいは労働に対する「歓び」を知り、だから大東亜戦争でも苦労したし、戦後の日本に経済の分野で負けまくったことを理解した。それで「日本人は働き過ぎだ」とか余計な御世話を広めた。

そもそも労働観が違う。日本人における労働は報酬であり、生活基盤の安定は目的、目標だった。比して白人社会の「労働」はアダムとイブの時代から始まる「罰」だった。彼らは「喰えないから働く」だけのことであり、神さえ許せば禁断の果実を喰いながら楽園で過ごしたい。もしくは若い時代に大成功を収め、中年になる前には仕事を辞めて、どこかの楽園で贅沢に過ごしたい。これをアメリカンドリームという。

日本人にはコレが理解できなかった。日本にも金持ちはいるけど、これがまた仕事を辞めない。「社員のために」とか「公共のために」で企業を成長させてしまう。日本共産党から言わせれば愚の骨頂だろう。企業を成長させても税金をたくさん払うばかりでなく、内部留保を吐き出せと言われるだけである。たくさん雇用して日本の労働環境の安定に一役買い、日々の経済活動を行う多くの「庶民」を維持させている功績は評価されない。

また待遇を改善しろとか、賃金を上げろと騒ぐのは労働者階級を自覚するセリフだ。普通、日本のサラリーマンは受け取る賃金が(高すぎる低すぎるという観点から)妥当かどうか、生産性を向上させる意味から労働環境の改善はできないか、と考える。まだまだ、日本にはそんな「勤め人」がたくさんいる。

仕事を減らせ、報酬を増やせ、処遇を良くしろだけなら「モノを言う奴隷」に過ぎない。だからマルクスもルンペンプロレタリアートをして「政治的に変節しやすい」「犯罪者になりやすい」として見限っている。ちゃんとした共産主義者は「生産する価値」を知っている。非生産的な奴隷は評価に値しないと知っている。連合赤軍も「ルンペン」を理由に進藤隆三郎を集団リンチで殺した。毛嫌いしているのである。

間違ってはならないことは、日本の(まともな)共産主義者は「共産主義で日本を良くしよう」と考えていた。だから共産主義者とは議論も出来た。ただ、結果的にそれが無謀、且つ、誤っていた。理想主義が危険水域にまで達していた。イデオロギーが国益よりも優先されるという本末転倒までいった。世界を見ても実際、多くの人間も死んで冷戦も西側諸国が勝った。相当な犠牲を払った人類は共産主義の欠陥を知った。

残った日本のルンペンプロレタリアートはいま、フリーターとか非正規雇用者と呼ばれて「派遣村」などに集められ自民党の悪口を言わされる。日本の社会は「生き辛い」と言わされる。この連中の目的は日本の弱体化であり、日本の国力を衰退させることが目的だから、どうしても筋が通らない。間違っているとか正しいではなく、福島瑞穂や湯浅誠の言い分が理解不能なのはその所為である。

そんな「日本人を働かせたくない」連中は「社畜」という言葉も造った。最初に言ったのは映画「スーパーの女」の原作(小説流通産業)を書いた安土敏らしいが、コレを広めて悪用したのが佐高信だった。佐高は社宅を「家畜小屋」と呼んだ。センスの欠片もない差別用語だ。

これはさすがに不味いとなったのか、次は「企業戦士」などと馬鹿にもしてみた。そしていまは「ブラック企業」だ。諸事情から仕方なく休日出勤、責任持って一所懸命に働く社員が就職した企業の理念を覚えていると「洗脳されてる」。自分の勤め先のことを好き、あるいは経営者を尊敬していると言えば「宗教か」。なんと幼稚なことか。

もちろん、何事にも「過ぎる」はよろしくないから、ある一定の「基準」というものはある。例えば労働基準法だ。強引にサービス残業させたり、休日をまったく取らせないなどは許されてはならない。真上から「使ってやってる」という感覚の経営者も阿呆なだけで、いずれは自分の首を絞めることになっている。つまり、社会が制裁を下す。

それから念のために書いておくと、私も「休みはしっかり」というタイプだ。若い頃はアレだが、それなりに仕事をするうちにそう考えるようになった。残業だってないほうが良いに決まっている。誰にとってもプラスにはならない。ただ「仕方ない」という部分もある。それから大事なことは「原因」があるということだ。人件費しか言わない阿呆な経営者もいるが、人経費とは「経費の一部」のことであり、要するにハードに無茶をさせるか、ソフトに無茶をさせるかの差異しかない。「今月は苦しいから」という理由で機械を壊れるまで動かすのと同じく、それはやっぱり阿呆なのだ。

ちゃんと総合的に見直してプランを組む。そうして無駄な負荷を減殺していくことが肝要だ。無論、それをしてくれないから困っている、という声もあろう。そういう声に対しては「上が阿呆なら自分でやるしかない」としか言えない。公休日も取れない、サービス残業が当たり前だった会社を「有給消化率100%」にすることもできる。管理職も3連休、5連休を無理なく満喫できる。1年で無理なら3年、5年とかかるかもしれない。しかしながら、確実に今日より明日は良くなるということだ。それ自体が「仕事」でもあるし、それらの改善は民主主義国家なら可能であり、決して厚生労働省の仕事ではない。

無料の電話相談のダイヤルを回す前に、もう一度「自分に何ができるか」を問うべきだ。




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