忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

つばさの党にののしられた小池都知事「日本ではありえない事態」「政治に対する嫌悪感を深める」

2024年05月19日 | 随感随筆



悪名は無名に勝る」という言葉は元々、渡辺美智雄が言った言葉だ、と渡辺恒雄が朝日新聞で言っていたが、もちろん、そんなことはなくて初出とされているのはシェイクスピアの戯曲「ヘンリー4世第一部」。「The better part of valour is discretion」を日本語訳したものになるとか。なんでも適当、なんでも思い付き、なんでも思い込み、嘘でもなんでも都合が良ければ垂れ流す、という、さすがは日本マスコミのドンだ。取材や調査などだれがやるか、という日本特有のジャーナリズム魂の権化だ。

また、小泉政権下で日本の労働環境を破壊し、格差を拡大させた竹中平蔵も国民から嫌われた際、小泉純一郎から「悪名は無名に勝る」を用いて慰められた、とかパソナの内定式で言ったりしているが、実のところ、個人的には疑ってみるべき言葉のひとつかと思っている。

私の持論のひとつでもある「正直者はバカを見ない」と同じく、後ろ暗いことを避け、日々、己の言動を振り返って自省しながら、恥ずかしいことを思い出して後悔しつつも、こんなことはもう繰り返さないと決意を新たにしながら、それでもそんな自分も好き、と肯定しながら生きていると、こういう危うい言葉に出会ったとき、ほんまかいな、と警戒することもできる。そして、結論として、そんなこたぁない、と思い直すことが肝要だ。

例えば、世間を少しだけ騒がせていた東京15区補選。無邪気に放射線を心配する純真無垢な女性候補が当選したらしいが、これがなかなか接戦にもなって盛り上がっていた。候補者討論会にも出席しなかったのは鼻血が出たからかもしれないが、いずれにしても長崎島根も勝った立憲共産党が勘違いして気勢をあげている姿も微笑ましい。また、自民党の組織票が分散されて「小池殺し」が成ったのも感慨深いが、公示前のドタバタで引っ張り出された乙武もご苦労様でした、という他ない。私も多くの庶民と同じく、なにかと丸出しの政治ショーを酒の肴に面白楽しくみていたものだ。

しかしながら、終わってみれば地上波もネットも連日「つばさの党」だった。選挙後も家宅捜索に逮捕に特別捜査本部設置にと大いに盛り上がっている。なるほど。これがあの有名な「悪名は無名に勝る」か、と納得しそうになるが、選挙結果をみると、あれほど露出していた「つばさの党」の公認候補が9位、つまり最下位だった。それも1110票しかない。

東京15区の有権者は430285名。投票率は40.70%だった。8位の「日本一稼ぐ弁護士」らしい冒険家弁護士の福永活也という人の1410票より低い。今回は「ネットだけ」「テレビだけ」ではない。私の知る限り、そのどちらも積極的に取り上げていたし、みんな大好きワイドショーでも冒頭に特集みたいな扱いだった。逮捕された三人は全国区に悪名を広めたと言っていい。だから逮捕されたときもダブルピースで手を振って喜んでいた。

しかしながら、それで「悪名は無名に何が勝ったのか」ということだ。「正直者が馬鹿を見る」ならば、その「馬鹿」とは何を指すのか、ということである。

今回の逮捕された輩は選挙で負け、警察に負け、マスコミに負け、世間に負けるという令和枯れ薄となった。あれほど罵倒していた小池や乙武、蓮舫や玉木にまで正論を吐かれて批判されている。小池の「候補者が他の候補者をおとしめるようなことが続くと、(有権者の)政治に対する無関心どころか嫌悪感を深めてしまう」にとりあえず反論はできない。朝日新聞や玉川徹の二重基準には辟易するが、実際に被害に遭った候補者や関係者の言はその通りだと思う。

しかしながら、もし、今回自民党が無理にでも候補を立てたり、推薦などをして岸田や茂木あたりも応援演説に入り、増税メガネヘイヘイヘイ、とかだったらどうか。攻撃対象が自民党、日本保守党、あるいは参政党のみを狙った「妨害」ならばどうだったか、と思うに、それは安倍さんに対する選挙妨害、杉田水脈あたりに対する組織的動員を伴う妨害行為と同じく、言論の自由がどうの、ヤジくらい受け流せだの、有権者の声を聞けだの、立憲共産党や玉川徹は言っていたのではないか、と邪推するに「片腹痛い」。

ちなみに「片腹痛い」とは「傍ら痛し」のことで、悪いボスが主人公の攻撃を跳ね返して「片腹痛いわ!!ふははは!!」という意味ではない。清少納言は「傍ら痛きものよく音弾きとどめぬ琴を、よくも調べで心のかぎり弾き立てたる」と「枕草子」に書いている。つまり、よくもまあ、あんな調律もできていない琴を、その程度の腕前で、人前で得意げに披露するものだ、という意味になる。要するに小馬鹿にした皮肉なわけだが「傍ら痛し」とは、その傍らにいる者が赤面するようなみっともないことをしている、ということだ。ある種の共感性羞恥心みたいなことか。

つまり、多くの常識ある有権者は、いい大人が尿検査を受けるレベルのド恥ずかしい政治的パフォーマンスをしているのも、ご都合主義丸出しでお仲間に害が及ぶと「民主主義の根幹である選挙を妨害することは許されない」とか正論ぶっている野党やマスコミも総じて「片腹痛い」と思っている。どちらも世間からは嫌われている。




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