忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

ガチコメ的「カイワレは辛いのが美味い」

2008年10月14日 | 過去記事
■2008/09/14 (日) ガチコメ的「カイワレは辛いのが美味い」1

「結婚ってええもんか?」

未だ独身のツレの質問だ。私の答えはいつも同じ。

『悪いもんやったら、2回も3回もするかいな。ええもんや。』

「どういうふーにええねんな?」

『例えば・・・そうやな。夜中に目が覚めるときってあるやろ?』

「・・・おおぉ・・」

『隣見たら、嫁ハンがおらんわけや。』

「・・・・う、うん。」

『で、リビングに電気がついてるわけや。』

「・・・・・ほほぉ・・・」

『で、なにしてるんかな?って思いながら近づく。』

「・・・・・・。」

『見たら、ソファで寝転んで、な、』

「・・・・・うん・・」

『“魁!男塾!”とか読んでるンや。40の主婦が。夜中に。シュールやろ?』

「・・・・しゅ、しゅーるやな・・・」

『・・・・・そういうことや。』

「(。・ˇдˇ・。) ・・・」

まあ、

わかるまい。

「ええもん」だったらする。「悪いもん」だったらしない。そういうもんでもない。

「したいからする」というのもどうだろう。
「せねばならない」というのはどうだろう。

最近では「しちゃった」ってなもんか。しかしながら、私も「結婚した理由」を強いて問われるならば、「法律で決まってるから」とでも言っておく。

-

ともかく――――

なんやかんやと、そうやって結婚して持つ「家庭」というものがだらしない。「結婚には理由を問う」のに、「家庭を持つこと」に疑問は無いのだろうか。「結婚する=家庭を持つ」ことであるならば、「家庭ってええもんか?」と問うことがあってもいいだろう。そして、その問いが不毛であると気付くのに時間はかかるまい。

「家庭がだらしない」

無論、我が家も例外ではない。「若干マシ」だという自負はあるが、それでも、私が子供の頃と比べれば、とても、だらしなくなった。

テレビでは「子供を甘やかすから」だらしの無い子供が増えたという。相撲の中継を見ていたら、解説者が「少子化問題」を挙げ、

「子供の数が少ない。それで力士になろうと弟子入りする子供が減った。だから弟子に甘くなる。親方と弟子という師弟関係が成り立たなくなっている。」

と説明していたのには失笑を禁じえなかった。最近の「大麻汚染」を踏まえて、視聴者に対する弁明がそれかと脱力する。相撲中継はどすこいの話だけしていればいい。

「2」へ

■2008/09/14 (日) ガチコメ的「カイワレは辛いのが美味い」2

そして、もちろん、家庭の延長線上にある学校や会社というところも、だらしなくなったのだろう。書店の「ビジネス本コーナー」には「問題社員対応マニュアル」とか「シュガー社員が会社を溶かす」とか、新入社員のだらしなさに対する「躾本」がズラリと並ぶ。私の書棚にもいくつかある。読んでみると、中身は「マニュアル(操作説明)」などではない。「こんな阿呆がいます」と散々吊るし上げておいて、「身の丈にあった仕事を用意しましょう」とか「見分け方」を用いて「採用しないようにしましょう」と書いてある。

「大根畑の中にカイワレが混じってます。カイワレにいくら、なんで、おまえはカイワレなんだと嘆いても仕方がありません。カイワレでもいいんだよ、だってカイワレだもの、という相田みつを精神で受け流し、ストレスを溜めないようにしましょう。」

というようなことが対策であるという。ええと、金返せ。

きっと「カイワレを大根にする方法」が書いてあるのかと、ワクテカして買ったら「カイワレだもの」と書いてある。つまり、仕方が無いということだ。まあ、そんなことを期待して買う私も「管理職かぼちゃ」に過ぎんということか。やれやれだぜ(笑)。

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「理由を問う」

このことは重要である。しかし、「なぜ?なぜ?」ばかりでは幼児と同じである。つまり、大切なことは「理由を考える」ということ。それも「探す」というアンテナの感度が高品質であれば、尚、結構なことだ。「考えること」が増えて夜も眠れないからだ。

でも、「それら」を解いていくとき、「それら」は、その実、簡単なことだと気付く。

先ほどの「ツレの質問」を考えてみる。つまるところ、彼が聞きたかったことは、

“今、満たされているか?”

ということであった。結婚には「良い結果」と「悪い結果」がある。もしくは「良い時期」もあるし「悪い時期」もある。心配事が多いとき、大変なとき、金がないとき、夫婦間がうまくいかないとき、そしてもちろん、「幸せなとき」がある。彼が聞きたかったのは、今現状の私が「幸せなのか」を確認したかっただけだ。そして、その「幸せ」とは、

いったい、なんなのか

を模索しているだけの話であり、質問はなんでもよかったはずだ。

「3」へ

■2008/09/14 (日) ガチコメ的「カイワレは辛いのが美味い」3

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「不満は満足の否定である」

顔が不細工。仕事ができない。金が無い。親が無い。愛情が無い。

太ってる&禿げてる(笑)。

「今、ある不幸」を数えて、このクソ平和な日本国内で、腹いっぱい食ってデカイけつをして、安もんの化粧品で顔を塗りたくり、安い給料が出たら買い物に外食にと浪費活動に勤しんで、餓鬼みたいなアイドルの追っかけをして、職場で恋愛相手を物色しながら、いかにも自分は不幸のズンドコであると、弱い人間だと、泣きながら甘える者に、いくら「北朝鮮では2000万人の人民が飢えている」とか「チベットや東トリキスタンでは、今でも虐殺がある。人権など装甲車に踏み潰されている」と言っても通じないことはわかった。それは、その想像力が欠如しているのではなく、つまり、「幼児」なのだ。

問題のキーは「成長」であった。ここがツボだ。

素晴らしい絵画を素人が見ても価値がわからんように、およそ「人生」というものにおいても「価値がわからん」のだ。どれほど説明しても理解できぬだろう。カイワレはカイワレ。なるほどである。金は返さなくていい。

では、その「成長の条件」とはなにかを「考えねば」なるまい。

先ず「時間」。そして「栄養」。

「規範」。「機会」「学習」「動機」・・・・

うぅ~~む。色々ありすぎる。
たかが「さるさる日記」。ここは2行にまとめよう。

「筋肉の成長は?」
「腕立て伏せとかぢゃないの?」

結論:そういうこと。

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インドのダラムサラにあるチベット亡命政府には、3000人ほどの子供たちがいる。支那共産党の弾圧により、親を失った子供たちも少なくない。もちろん、チベット人だけでなく、世界には「不幸」が巻き散らかされている。例えば、その子供たちに問うてみよう。

「結婚はええもんか?」

バカらしく聞こえるのは気の所為か?

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