忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

ちっさいおっさんは大きいのである

2010年10月31日 | 過去記事
昨日の土曜日、妻が作ってくれた牛丼を喰いながら「吉本新喜劇」をみていると、おもちゃのピストルから日の丸が出てくるボケがあった。ンで、新喜劇のベテラン芸人である「池乃めだか」がそれに合わせて「尖閣諸島は日本のものです」と言ったからびっくりした。

そういえば、この日は大阪で「尖閣デモ」が行われる日だった。残念ながら台風接近とのことで中止となったが、めだか師匠はその舞台の放映日、つまり、10月30日の土曜日を知っていたはずだ。これが偶然かどうかはともかく、NGKの近くで「尖閣諸島の侵略は許さぬ!」というデモが行われる日に合わせて、大阪のど真ん中の舞台で「尖閣は日本のもの」を芸人が言うのも面白いと思った。

また、私も妻も吉本新喜劇は好きだからNGKにも京橋にも足を運ぶ。その際、たまに「だれが金正日やねん!」などというツッコミをする芸人もいる。支那朝鮮人の「パクリ」などにも触れることがある。知り合いの芸人から聞くところによれば、そのようなネタをするかどうかは、もちろん、テレビ放映の有無は関係するとのことだ。

例えば、サンドイッチマンというコンビのネタで「新人マネージャー」が台本を持ってきたら、それが朝鮮語だったというのがある。コレのツッコミは「オレは北の偉い人か?!」であるが、テレビ放映では「金正日」などという名称は控えているとのことだ。「オレは金正日か!?」とやっても、総連からクレームが来る前にカットされるか、テレビ局側から止められるそうである。しかし、この日の土曜日の昼間の放送では流された。

これは私の憶測だが、理由はいくつか思いつく。先ずは「池乃めだか45周年記念舞台」の千秋楽だったこと、だ。吉本新喜劇の大物である「めだか師匠」の記念舞台の千秋楽を局側がカットするのは難しかった。また、アレは完全にアドリブだ。要するに「池乃めだか」という芸人が勝手にやったこと、である。文句があるなら池乃さんにどうぞ、ということだが、会場からは拍手があった。「テレビでやってるけど、尖閣諸島とか、いったい、なにがどうなん?」という大阪人は昨日のNGKの帰り道、どこかでたこ焼きでも喰いながら尖閣諸島の話題に花が咲いたのではないかと期待する。良いことである。

また最近、妻の職場であったことらしいが、職場仲間との雑談の中「中国人の若い子が増えた」という声があったそうだ。事実、とても増えているから仕方ない。近所のスーパーのレジからコンビニの店員、居酒屋の従業員まで、ま、見事にニイハオとのことだ。

この支那人らは留学生や就学生が少なくない。年間、日本の納税者が収めた金を200万円以上もプレゼントして「来ていただいている」わけだが、妻の職場仲間のパートさんにはお子さんに受験生を持つ人もいるそうで、話の流れで奨学金なんかのことも出た。そこで妻は一所懸命、私の受け売りの話をしたそうだ。その結果、明るい職場は凍りついたのだという。がぃ~んという感じだったらしい(妻・談)。

麻生さんが総理大臣のとき、当時の鳩山由紀夫民主党代表との党首会談で「自民党は返済不要の奨学金制度を考えている」と言っていたが、それもひと夏過ぎれば虚しいもので、日本人の子供だけは返済不要どころか「社会奉仕活動」をせねば貸してもくれないことになるらしい、と教えてあげたのだそうだ。ついでに「子供手当」なども相当な金額が外国に流れてしまっている、ということも付け加えると「えぇ~ウソぉ~なんでぇ~!」と騒然となったらしいが、まったく、今更に過ぎて呆れ果てる他ない。

妻は一所懸命に「だから、おとしゃんの言う通り、民主党には入れへんねんやんか!」と威張って帰ってきたとのことだが、あまりの無関心に恐怖感すら覚える。別に40代や50代の主婦が「えぐざいる」のファンでもよいが、それだけでは困ったことになるのだろう。イイ年こいた中年女性が、そこらの娘っ子と同じように携帯メールで友達に連絡し、テレビの流行りを追っかけて、タレントやドラマの話に夢中になって、休日には旦那を放ってコンサートに出掛けて「黄土色の声援」をあげることに文句はないが、それが我が妻だとなれば話は別で、私は私の誇りにかけて「みっともない」と妻を叱る用意はある。

先日、妻も「えぐざいる」のコンサートを観に神戸までお出掛けしていたが、それもそのちょっと年上の職場仲間から「妹が行けなくなったから一緒にどう?」と言われたからであり、京都駅まで迎えに行った私が感想を聞くも「あんな、えぐざうるすってな、5~6人おるねん」という説明をしてくれたほどだ。決して安くはないチケットをくれた妻の友人には感謝申し上げるが、妻を連れていったところで「途中で寝てたからびっくりしたw」というのが関の山である。基本的に興味がないのだ。化石と恐竜、あるいは「美味しいもの食べ歩き」などなら途中で寝たりしないのだが、いや、まあ、申し訳ない(笑)。

「でもな、えぐざいるな、天皇陛下の前で君が代歌ったことあるねんで」という情報も得た。それも、いつもの愚連隊のような格好ではなく、全員がスーツでばしっと決めていたらしい。ちょっと見直したのである。えぐざいるす。

妻によると、コンサート会場には「どう見ても50代以上」というオバサマ方が少なくなかったらしい。顔にペイントしていた、ということで、妻は「えぐざいる」の歌と踊りよりもそればっかり観ていたと笑っていた。私が「どう思った?」と聞いたら、やはり「阿呆と違うか、と思った」というストレートな返答があった。「みっともない」のである。


最近の日本社会では、よく「分相応」が失われているとかいう。平たく言えば「金が無いなら無いなりに」が出来なくなった。ついでに書いておくと、顔もでかくて背もなくて、ずんぐり体系で足も短い不細工男が、だ。眉毛を抜いて髪の毛をワックスで固め、絶対に似合わぬ服を着て歩いているのをみると、なんだか泣けてくるときがある(笑)。いや、私のことではない!!ww

しかし、これは女性なら別の話だ。化粧もしない不細工はダメだと思う。女性は女性らしく、である。自分が可愛いと思う格好をしていればよろしい。「女は愛嬌」というではないか。男が「強くありたい」と願う姿こそが「オトコらしい」のと同じく「可愛らしくありたい」と思うことこそが「可愛らしい」のであり、美しくありたい、と願う心こそが美しいのである。世に言う「美人は冷たく、ブスは心優しい」とは「納豆喰ったら痩せる。あるいは空を飛べる」と同じくらいの「全くのウソ」だということは経験則からいっても間違いないが、男は不潔でなければなんでもよい、というくらいの野暮でありたいのである。



ま、ともかく――――

「生活保護でも寿司喰いたい」でお馴染の「分不相応」であるが、これと同様に壊れているのが「年相応」ではないかと思うのである。我々世代(昭和46年頃)であっても、だ。例えば、自分のオカンが「たのきんファン」だったかどうかを思い出せばいい。私は子供のころから「年増好き」ではあるも、それでもちゃんと中森明菜とかも好きだったが、我がオカンはまったく興味を示さなかった。テレビで歌番組を観ていても、オカンはちゃんと演歌の大御所やムード歌謡の大物が好きだった。中森明菜が歌っていると、なんや、こんなん、わからへんわい!なにが少女Aじゃ、オノレは犯罪者か!責任者出てこい!と文句を言っていた。それが年代、世代の違いとして、ちゃんとそこにはジェネレーションギャップというモノが厳然としてあった。

子供の頃、私がアニメを観ていても、オカンは何が楽しいのか、掃除して洗濯しているのが普通だった。そして私や妹がメシを喰い、ようやく布団に入って眠るころ、ちゃんと「オカンの時間」は始まった。派手な銃撃戦もなく、カンフーを使う刑事も出ない刑事ドラマや聞き慣れぬ言葉だらけのニュース番組などを、マイルドセブンを吸いながらオカンは観ていた。テレビは「子供の時間と大人の時間」を分けていると思っていた。今思えば「バラエティ」にカテゴライズされるべき「子供の観る番組」は20時が最後だった。それが終わる時間の21時、古き良き時代の「子供の寝る時間」とされた午後9時からは「大人の時間」が存在した。

よく考えてみると、だ。私のオカンは高校どころか中学どころか、自宅店舗が火事で燃えたために小学校の6年生をせずに学校に行かなくなった。オカンの妹は3人だ。祖父の太郎はとっくに死に、祖母だけが働いて4人の娘を喰わせていたわけだから、そこにさらなるダメージを喰らったらやっていけるはずもない。オカンは働きながら、まだ小さい妹のオムツを替えたわけだ。そんなオカンに私はいろいろと問うている。例えば国籍のことだ。

実に常識的な答えだった。祖母からも教えてもらったが、もちろん、強制連行など聞かなかったし、差別は「日本人でも差別されるしなw」とのことだった。オカンは学歴こそなかったが、正直に言って阿呆ではなかった。なんでもよく知っていた。それにオカンは字が綺麗だ。私の字もよく似ている。似せているからだ。「オカンみたいな字が書きたい」と思って意識してもいた。まだまだ及ばぬが、現在、介護学校で私が何か書くとき、周囲で観ている人が「習字?」と言ってくれると嬉しいもんだ。しかし、実のところ「オカンの字」のすごいところは「見た目」ではなく、ずばり、その「速度」にある。私が憧れたのはそこだ。とにかく早く書く。あっというまに書く。しゃべるスピードで読める字を書く。

今、グループ学習や報告書の練習などで他人様の字を読む。40も50にもなって子供のような字を書く人がいる。自覚もあるのだろう、自信が無いのか小さく書くから、余計に酷い仕上がりになる。誤字脱字ではなく、単純に「読む気が失せる」字である。表現もおかし過ぎる。どんな仕事であれ報告書などは「主観を入れぬよう気を配る」のが常識であるが、これがまた作文になっている。意味がわかっていないのだ。

以前も「顛末書」に「頑張ろうと思う」などと書く馬鹿がいたが、これも立派な大人であった。私のオカンとは違い、ちゃんと高校も卒業しているはずだが、社会で通じないレベルの阿呆は少なくない。30代後半、40代半ばのオッサンなのに、若いアルバイトと話が合う。いや、それが「コミュニケーション研究の結果」ならばいい。もしくは「そういう話も出来るのだ」という豊富な話題性を重視しているのなら感心もしよう。しかし、イイ年こいた中年男性が「テレビの話」しかできんというのはいかがなものか。

休み前、近くの公園で「車椅子移動」の実習をした。そこでなんと、講師から「車椅子でふざけたらダメ!」という叱責が飛んだ。叱られたのは30代を目前にした男女だった。その男女は口を尖らせてブツブツやっていた。私はもう恥ずかしくて帰りたくなった。

私もよく講義中に冗談を言う。自分で言うのも口幅ったいが、教室では「面白い人」になっていると思う。しかし、ふざけて良いところと悪いところがあることは知っている。大人なんだから。その叱られた女性の方は「施設学習」の際に「昼食代500円」と書かれているのをみて「これは自分で出さないとダメなんですか?」と質問して、また、私を笑わせてくれた。なぜに納税者がオノレの昼飯代を負担せねばならんのか。無職ながら新機種の携帯電話を持ち、休日には東京に出掛けて買い物するあなたの「税金で通う施設での昼飯代」を顔も名も知らぬ納税者が負担しなければならない理由はなんのか、とは考えもつかんらしい。しかし、だ。

この女性はきちんと挨拶も出来る優しい女性だったりする。私はそれが逆に恐ろしいと思う。これが「普通」になりつつある。これが「標準」になりつつあるのだ。30代前後の女性ならば、本来、子を産んで育てていても不思議ではない年齢である。お母さんになる年頃でもいいわけだ。私からすれば「若い子」に属するションベン臭い(笑)小娘かもしれん。しかし、世間一般からすれば、もう、大人の女性なのだ。失業は仕方がない。人生いろんなことがあるから面白いのだが、でも、最低限、自分の年齢と立場くらいは踏まえてモノ申したいと思う。それが大人というものだ。

大人の女性がクネクネ甘えて良いのは「惚れた男の前」だけだ。私の世代は、いわゆる「ぶりっこ」が大好きな世代だと思うが、その「ぶりっこ」が40も50にもなって若い娘と同じようにテレビタレントを追いかけたり、ましてや怪しげな韓流タレントのコンサートに並んでいると思えば、これはもう「ぶりっこ」でもなんでもない。ただの「薄気味の悪いアレな人」だ。

だから私は妻に対して「えぐざいるのお礼」として、その友人の方と一緒に「NGKのバスツアー」を勧めた。弁当付きだ。「大阪のオバハンらしく」ゲラゲラ笑って弁当喰って帰ってくればいい。でも、帰りは危ないから、私がちゃんと迎えに行く。

4 コメント

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Unknown (Karasu)
2010-11-01 07:32:20
いい話しでしたあ
昔話になりますが、貧しくとも汚い格好はするな!と昔の人は言っていましたね。
ツギハギが当たった服を着ていてもチャンと洗い、皺を伸ばし(顔ではないですよ)

ダラシない格好すなとも・・
それからン十年?なんでもええじゃんかと思っていたら、なんともダラシない姿が普通に見られる素晴らしい国になってしまいましたね
大反省しています、
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Unknown (久代千代太郎)
2010-11-03 10:48:44
>からすさん

うちのオカンも同じでした。ボロでも洗濯してきれいな服を着せてくれてましたね。

男の私は「銭湯代」もケチられ、結構、肌寒くなるまで「外」で洗われてもいましたw犬と同じですw「風呂に入らんでも清潔にはしておけ」ということだったんですねぇ~「虐待」だと思いますけどww

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Unknown (ねこまま)
2010-11-11 11:05:47
池乃めだかは、好きでも嫌いでもなかったのですが、衆院選まえにヤクザ横峯パパを応援しており「自民党さんは暫くお休みしてて下さい」っていうのをTVで観てから見る目が変わりました。(悪い意味で)

吉本だから民主党なのも仕方ないのかなぁ。
尖閣コントで、ちょっとイメージアップかも(笑)
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Unknown (久代千代太郎)
2010-11-12 06:36:45
>ねこまま さん

そ、そんなことが・・ww

ま、いろいろあるんですねぇ~~
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