忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

ガチコメ的「はいはい、にっきょうそにっきょうそ」

2008年10月28日 | 過去記事
橋下大阪府知事の支持率は、依然として80%を超えているらしい。東国原宮崎県知事などは、なんと90%を維持し続けているというではないか。

コレは批判ではないが、いわゆる「テレビ慣れ」もしているから饒舌であるし、なによりインパクトというか、その表現力、パフォーマンスの巧さと「恐るべき支持率」の要因とは無関係ではあるまい。やはり「認知度」というのは威力があるのだろう。

そして、やはり「わかりやすい」ということも要因であろう。「何がしたいのか」が明確である上、その基盤が「地元の活性化」や「地元の利益」と結びつくこと、そして「地元の今後を憂いている」ということがわかる。

私はひねくれているから、テレビタレント出身だというだけで「ある種の色メガネ」は外せないのだが、往々にしてマトモなことを発言する「有名知事さん」は応援したくなってきた。金美齢女史が「(保守)仲間なんだから応援しなきゃダメ!」と発言されていたが、ようやく、ああ、なるほど、そういうことだったのかと思う。つまり、

日本の問題点が「とりあえず」わかりやすくなった。

ということは認めざるを得ない。要は「広報担当」ということだ。私はよく「拉致問題」に対するデモなどにおいても、「ここに有名タレントなんかがいればなぁ。」と愚痴る。「愛は地球を救う」とかいうテレビも「ちきうの前に同胞を救え」と突っ込んでもいる。

映画「南京の真実」もそうだが、本来は「日本国がバックアップすべき」事柄であるのだ。日本人が日本のために行うことであるのに、更には、まさに「国難」といって大過ない状況であるにもかかわらず、相変わらず、決定的に「広報」と「資金」に問題を抱えることになること自体が異常なのであるが、この打開し難い状況を「作り上げた」のも、また日本人であるということが、なんとも詮無い話ではある。

そういう意味では、このような「著名人」がマトモな発言をすることについては「我が意を得たり」ということか。しかし、なんとなく「コレでいいのか?」という不安感も拭い去れないのは何故だろう(笑)。まあ、とくに彼らが「媚中派道路族と仲良し(笑)」であるということからも、個人的な嫌悪感を抱いてはいたが、まあ「とりあえず」がんがれと言っておこう。ええと、がんがれ。

http://sankei.jp.msn.com/life/education/081026/edc0810262325003-n1.htm
<橋下知事vs教員 教育問題討論会で渦巻く怒号、やじ>

中山元国土交通大臣が今月号の「WILL」12月号で、またもや「日教組をぶっ壊せ!」と吼えている。日教組が「今まで何をしてきたか?」については論じるまでもないと思うが、ともかく、今でも状況は酷いもんだ。まさに「あの手この手」があるのだなぁと呆れ果てる。彼らの「日本はダメな国でなきゃダメ」というモチベーションを甘く見ないほうがいい。完全に「イッている」と思われる。もはや「議論」ではどうしようもない。

しかし、こういう「討論会」という場はとてもいい。「イッっちゃってる」から、もう「議論」ができないことは周知であるが、なによりマスメディアが「取り上げざるを得ない」ということから、どのように細工しても「こいつらの異常性」を衆目に曝すことになろう。

立て続いた、いわゆる「放言や暴言」と報道される日教組批判や朝日新聞批判も、大いに役立った。さすがマスメディアである。いくら「こんな酷い誹謗中傷を受けた!」というスタンスで報道しようが、もはや「どうしようもない」ということも、さすがにわかっただろう。多くの国民は「そのとおり!!」と拍手喝采を贈っているではないか。

何度でも書くが、日教組であれ、朝日新聞であれ、「ちゃんと考えられたら」アウトなのである。また、コレは私の主観だと断っておくが、朝日新聞や赤旗を批判すると沸いてくる「アレな人」たちの攻撃メールなどをして、いかに「攻撃性が高い」のかもわかった。

もう、ある意味、必死なのである。こいつらは普段、マトモな生活を送れるのだろうかと心配になるほどの、支離滅裂、感情論、誹謗中傷、論理破綻を臆することなく、我こそは正義、我こそは平和主義者、という上から目線には絶望する。そら、マトモな企業では勤まらんはずだ。使いもんにならんはずだ。ストレスもすごいだろうなww

過日、行われた「南京の真実in河内長野」の打ち上げにおいて、主催者のお一人が「保守=まともな人」という認識を述べられていたが、私もまったく同感である。強く同意するところである。私もこの2年間、お蔭様の縁をたくさん戴き、たくさんの保守の人と出会うことになった。ひと握りの「阿呆保守?」も確認できたが(笑)、90%以上はマトモと過ぎると言ってよい「マトモすぎる人達」であった。成功者であり、小泉風に言うと、ちゃんと「勝ち組」なのである。コレは何を意味するのか。





話が逸れかけている。討論会に戻そう。

産経新聞は3ページに亘って詳細に書いている。なかなか面白い。

この最後のセリフにはもう脱帽である。

<一方、会場で知事批判のビラを配布した教員らの団体「橋下行財政改革にNO!の会」の女性教員(55)は「結果公表でランク付けが進めば、子供たちへの悪影響は計り知れない。知事は教育現場の現実を見ていない」と話していた。>

それなりに「代表格」のセリフであろうに、もう、哀れですらある。何の説得力もなければ、相手にする価値もなさそうである。まあ、こいつらはこんなもんなのだがな。



未だに「ゆとり教育」を推している日教組よ、「子供の自由・教育の自由」を唱えるならば、先ず、「国民学校令」(昭和16年)からなる義務教育を否定せよ。子供たちの過半は「選択の自由」がない「学校」に「収容」されているではないか。「教師も学校も選べない」という不自由で窮屈なシステムはスルーなのか?

「義務教育」という「独占状態」はどうなんだ?「生徒募集!!」とせんでも「客」である子供が集まるシステムはなんとも便利なものだな。そこに胡坐をかいている日教組が、どの口で「日の丸・君が代反対」を言うのか。貴様らが安穏としておれる根拠が、いわば、ナチスドイツの模倣からなる「国民学校令」とは笑わせる。貴様らの忌み嫌う「明治日本」の名残であるぞ?すなわち、貴様らは、その「存在自体が矛盾」しているのだ。

そもそも、だ。

「国民の三大義務」とやらは「労働・納税・教育」とされておる。私は本来、これらは「権利」だという認識であるがな。それはともかく、つまるところ「義務を果たす」ということは「公共心」に他ならないわけだ。「公共でないもの」に税金を払う謂れはないからな。

つまり、だ。

税金で喰ってる国家公務員は、多くの日本国民の「公共心」から成り立っているわけだ。その公務員に包含される教職員が、将来の日本を担う子供たちの「公共心」を壊してどうするのか。貴様らの「反日教育」とやらは、そのまま己に跳ね返るということだ。


で、


最後に、やっぱり書いておこう。

日教組はぶっ壊せ!!むははははっは!!

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