忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

あっちこっち丁稚のDVDがみたい

2010年06月21日 | 過去記事
山田バーを始めてから4カ月少し。景気の良い話はない。近隣のママさんもどへぇ~~と疲れているし、お客さんもぐへぇ~~状態である。それも「儲からない」ではなく「仕事がない」であり、就職先がない、就職しているが仕事がなくて収入がない、派遣登録しているけども連絡がない、など、まあ、いろいろだ。

ちなみに、現在の日本の失業率はどのくらいかということで、総務省の「労働力調査」をみると「5.1%」と書いてある。2010年の4月だ。他の主要国とやらもみてみると、アメリカ9.9% イギリス8.0% フランス9.6% イタリア8.8% ドイツ7.3% 韓国3.7% オランダ4.1% スウェーデン9.3%と、まあ、あっちこっちも大変だ。フランスやスウェーデンはもっとマシだと勝手に想像していたのだが、これまた意外なもんだと思った。

また、最近何かと大変なギリシャも10%を超え始めているし、スペインなんか19%を超えている。とすれば「東アジア共同体」とか抜かして「共通の通貨」のモデルまで作って喜んでいる阿呆どもが、日本の事などまったく考えていないということもわかる。民主化されている国だけで「共同体」としても困っているのに、一党独裁国家を交えて同じことを言うなど気がふれているとしか思えぬ。また、世界から国境がなくなることがそれほど嬉しいなら、自宅の玄関とベランダを開放してみればどうか。その日の夜から、もう、身悶えするほどの解放感を味わえるだろう。「アジアはひとつ」という前に、己の住む町をひとつとして解放すればどうか。もし、私の住む宇治市が「宇治市はひとつ!抹茶家族!我ら宇治茶兄弟!」として、誰の家でメシ喰ってもいいし、どこの家で寝泊まりしてもよいとされたら、さよなら京都(泣)として脱出するのは我ら家族だけではないだろうが、人類皆兄弟、地球号「へいわ」の乗組員ならば、それも喜んで受け入れてくれるだろう。


ま、しかし、だ。

先日、飲みに来たツレが面白いことを言っていた。仕事の探し方だ。

目を瞑って指をさしたところの面接を受けに行く。ダメだったら、また、やる。ふざけているようだが、あれもいや、これもいや、誰かなんとかしてくれと言いながら、いい年こいて他人の税金で喰うことを当たり前とする連中よりはふざけていない。

私が提案したのは「職種と給与と待遇を除いて選ぶ」だ。あとは場所と社名くらいか(笑)。通える場所でびびっとくる社名を探す。これは簡単だし、楽しそうじゃないか。なに?「山田バー」?なんだそりゃ??www面接行ってみよう・・となればいいのだ。

このツレは交通事故で3年間のブランクがあった。勤めていた会社の厚意で復帰させてもらえたのだが、現場はもう無理とのことで事務方に回らざるを得なく、収入は半分ほどになり、家も車も処分せねばならないという。40前になって体が効かなくなるのも怖いが、収入が半分になるのも怖い話だ。ま、私も以前の5%まで下がったがね(大笑)。

ンで、この阿呆野郎は10杯目くらいのトリスのロックを飲み干して言うわけだ。

「感謝。嫁はんと会社、社会と国に感謝。会社の朝礼に出ると幸せを感じる。組織の一員でいられること、今日も頑張ってする仕事があること、この国で生きていること、日本人であること、英霊が護ってくださった、この日本国で暮らせること、そのお陰さまで、こうやって昔からの悪友と酒が飲めること」

こいつが治してもらったのは、死んでもおかしくなかったほどの怪我ではない。ある意味、そのままでは死んでいるに等しいほどだった「その性根」を英霊に治してもらった。その代償が大怪我だった。「高すぎる勉強代だなww」と私が笑うと、本人は「そうでもないよ」と言って目を閉じて笑った。




さて―――


「蟹工船」が世に出た昭和4年。アメリカのウォール街で発生した史上最大規模といわれた世界恐慌があった。失業者は世界で2千万人を超えた。その2年前、日本でも「昭和恐慌」が発生していたがそこを直撃、世界恐慌が襲った。日本に押し寄せてきたのは昭和5年になってからだったが、それでも多くの工場は閉鎖、多数の失業者が出た。その昭和4年から、世界恐慌の影響著しい昭和8年までの間、最も失業率が高かったのが昭和7年だ。なんと、


なんと・・・・「完全失業率」が3.5%である。・・もっと、20とか30とかじゃないの?



無論、都市部に仕事が無ければ田舎に戻って農業をした。軍人になった。移民する人もいた。しかし、数字だけ見れば、現代の「韓国程度」なのである。これはいったいどうゆーことなのかと思うに、現在の日本の失業率が5%を超え続ける理由を、私がズバッと書いてみよう。ズバッといくぞ。ズバッと。

それは、ずぶり!(すばり!)

会社が切るから

である。会社が解雇せねば失業者は増えん。どうだ、まいったかという今日この頃、いえいえ、左巻きにオルグされたわけではありません。誰もしてくれません(泣)。というわけであっさらーむぐるぐるもーでん、新井来る(新井選手は来ません)。




例えばアメリカだが――――

2010年、アメリカの失業率は間違いなく10%を超える。サブプライムローン問題に端を発した経済危機から約2年、昨年の初めは10%以上の失業率を出している州は4つだったが、すぐに7つに増えている。オバマの経済政策も効果が見えず、ずんずん上がる失業率を観ながら金融を立て直し、企業に資金をぶっこンでみるも、これがなかなか収まらない。だから頭の良い大学出て頭の良さそうな顔した専門家も「従業員の解雇が原因」だと阿呆でもわかることを言う他ない。知ってるちゅーねん。

では、なぜ、企業は従業員を切るのか。「不景気になったら弱者切り捨て!景気が良ければ使い回し!」と叫んでいる「ど左翼」はもう、頭がおかしいんだから、ひとりで出歩いちゃダメだ。思想が不自由なら口も不自由になりなさい。人様に迷惑かけんじゃない。

真因は言うまでもない。左巻きの所為だ。19世紀に吹き荒れた社会主義・共産主義の弊害である。慢性化する高止まりの失業率の真因は「失業者を救え!」という連中だ。


ひとつ、面白い話があった。

昭和3年、とある老舗出版社が労働争議を起こされている。岩波書店だ(笑)。

当時、丁稚奉公していた少年80名と販売店の42名がストライキを起こした。田舎から出てきた丁稚が集まり「封建的な雇用制度の改善を求める!」とやった。可愛らしい丁稚の要求をいくつかみてみよう。

臨時雇用制度の廃止、給料の増額、時間外手当の支給、退職手当、解雇手当の制定など、可愛くないのもあるが、中には「玄米はやめること」とか「“どん”をつけて呼ばないこと」とか「店員を殴った者は解雇すること」とか「畳1畳ではなく、2畳に一人の宿舎にすること」などがある。岩波書店は2007年に「蟹工船」を再版しているが、小林多喜二も開いた口からカニかまぼこが出たのではなかろうか。

いやぁしかし、当時、私が生まれていれば「“どん”と呼ばないで」という恋愛小説を書いてデビューし、続けざまに「静かなる“どん”」とか「最後の“どん”」なんていうアンタッチャブルの世界をシリーズで描き、さらに「どんちゃんどんとこいなんでもこい」というスポ根で野球少年のハートを鷲掴み、晩年は研究室にこもって「“どん”兵」という「カップうどん」を開発、半島人として恥じぬパクリ道を極めたことだろう。

いや、ンなことはどうでもいい。

ンで、丁稚くんらの「初めてのストライキ」は大成功。それからはもう、味をしめて「資本家の専横許すまじ!」「立ちあがれ万国の労働者たち!」とやったことだろう。が、しかし、先ほどの昭和7年の失業率なんかをみていると、周囲の日本人は「何を馬鹿なことを・・」と思って距離を置いて観ていた人も少なくないと思う。


江戸時代から続く「丁稚奉公」は悪いことだけではないと知っていたからだ。昔の日本人は単純に「金持ちを羨ましがる」ような阿呆でもなかった。社長ばっかり良い思いしやがって、上のもんだけ楽しやがって、そんな卑しい者が少なかった。また、そんな悪い企業ばかりでもなかった。上も下もない。与えられた環境で、生まれながらの境遇で、そこで必死に生きることができる民族、それが日本人だった。だから図太かった。


丁稚奉公もそうだが、それが普通だっただけだ。格差か段差かしらんが、そんな小さいこと「あって当然」だとそこらの丁稚でも知っていた。人間は平等ではないと、公平などもないと知っていた。受け入れていた。真面目に働いて暮らしていればよくなる、でも、良くならなくても仕方がない、ただただ慎ましく、全てに感謝しながら生きていける、それが日本人の公共心であった。だから強かった。踏んでも踏んでも起き上がる強さだった。



一昨年の2月、私は妻とパラオに行った。その際、ペリリュー島の海軍本部を観た。ガイドのお姉ちゃんが、海軍本部に設置されている風呂を紹介して「兵隊さんらは、あんな穴に閉じ込めておいて、エライさんは優雅にお風呂に入ってたんですねぇ~」と意地悪に笑ったから、私は思わず突っ込んだ。それは違う。そんな卑しい人らならば、4万9千人の米軍を率いたウィリアム・リュパータス将軍の言う通り「2~3日もあればカタがつく」はずだった。さっさと白旗上げて、こんな珊瑚礁の島などくれてやったことだろう。

しかし、「いいよなぁ~上のもんはよぉ、やってらんないよなぁ~」という卑しい日本兵じゃなかったから、2ヶ月半に及ぶ組織的抵抗を可能としたのである。ガイドするなら、日本人ガイドならそう説明しなさいとやった。実に米軍の損耗率は60%を超えた。そんなこと世界のだれも予想していなかった。

「自分らが投げ出してしまう」ことは本土に暮らす親兄弟、妻や子を含む多くの日本人が空襲で焼き殺されることを意味した。本土に上陸されたら犯され焼かれ、日本人は根絶やしにされることを意味した。だからこそ戦力差数倍、火力に至っては数百倍の圧倒的不利、絶望的戦力差の米海軍を相手に、中川邦男大佐率いる日本軍守備隊1万500名は鬼神の如き戦いを繰り広げたのである。


しかし戦後、GHQは「労働法規を整備する」という名目で「日本的なるもの」を壊した。学力が低かったわけでもないのに、わざわざ「義務教育期間」も延長して「学問」へのモチベーションを無意味化した。「学ぶ権利を得るために義務を果たす」ことが当然だった日本人の子供は「学ぶ義務を果たしている」にレベルダウンした。途上国には当たり前にある学ぶことの楽しさや学べることに対する感謝は日本から消え去り、子供は学校に通ってさえいれば「義務を果たしている」という顔をしていてもよくなった。出来不出来はともかく、「義務」である勉強さえしていれば、働いて一家を養うという父親の「義務」と等価だとばかり、母親にメシを焚かせ茶を入れさせることも、洗濯掃除させることも、風呂上がりに下着を揃えさせてもよくなった。まるで小さい旦那だ。

だから「落ちこぼれても自己責任」とばかり、開き直ることも可能となる。いま、民主党が「高校の無償化」でやったことも同じで、つまり、社会に出ねばならない子供に「小さい旦那でおれる3年間」の猶予を与えてしまっただけだ。もちろん「学校とは学業だけを学ぶ場ではない」には賛同するも、それは中学生までで十分に過ぎる。15にもなれば、もう社会で「学んだこと」を実践するか、もっと学びたいことがあるなら、何らかの義務を果たした上で、もしくは親に頭を下げて「学ばせてもらう」という年齢なのである。すなわち、この民主党の政策は言うまでもなく、さらなる「日本人の堕落」を誘発させるためだけに実施される腐臭のする政治工作である。


ちなみに、我が家では「勉強しているから」などの理由で倅が「家の手伝い」の優先順位を下げたとき、私は学費や塾の費用の全ての支払いを止めると宣言してある。本気だ。倅から観て「学ぶことは権利」である。そして権利を主張するには義務を果たすことが条件となる。家庭内において「私と倅の権利が同じ」などあり得ぬ話だ。そしてそれは我が家だけでなく、世の中もそのように出来ている。人間が作る集団はそうなっている。また、年上や先輩、先にいた人や最初からいる人は敬わねばならんというルールがあった。職位や職責、資格や技能のみで計り「同じ権利」だとする愚は「社会の仕組み」を壊す。



親が子に「学ばせる」ことは義務であるが、それはなにも「学業」に限らない。親が教えることは常識であり礼義であり、しておかねばならいことは「躾」だけである。多くの野生動物がするように、その社会で生きていける最低限のルールを仕込むことが「親の義務」である。学業における成績とやらも、上がれば親として嬉しいだけで、とくに学校の成績を上げる義務はない。また、別にそれで安心するわけでもないし、子が急に成人するわけでもない。


雇用された者が義務を果たし権利を要求することはあっていい。しかし、その主張する権利が常軌を逸すると義務ごと全部、取り上げられる。すると「義務&権利」は常にセットだから、権利はもっと侵害されることになる。逆もまた然りで、企業は雇用者を使う権利を持てば義務も負う。使用者責任が発生する。「使う権利」の強調は「使う義務」を問われることになる。ややこしいようだが、昔の日本人は賢いからこれをわかりやすくしてくれている「お互い様」だ。まあ、いずれにしても、世の中のバランスは「義務が重くて権利が軽い」方がバランスは良い。これを相互依存の関係という。

互いに相手がいないと困る。だからお互いに、自分が少し損をする。相手に得をさせるように計らう。日本人はこれを良く分かっていた。得意だった。

いま、何が損で何が得かの基準が狂っている。しかし、いま、この呂律が怪しくなったツレは気付いている。だから、英霊パワーは偉大なのである。私やこいつのようなカスでも前を向いて生きることができる。腐らずに笑って過ごすことができる。私やこいつのようなカスでも「惚れた女のためには死ねる」と知っている。男に生まれた限りは「死ぬまで働いて死ぬ」ことが誇りだと知っている。だから親の話をすれば、ありがた過ぎて泣ける。




単純明快なことだ。ま、




自分の得は相手の損になる。しかし、相手の損は自分の得にはならない。
                         



ということだな。うんうん。


2 コメント

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懐かしい~ ()
2010-06-21 12:22:54
なめなめぐじくじナメクジクジでしたっけ?私の小さい頃は地方でも毎週土日には昼は吉本、夜は藤山寛美さんで新喜劇三昧でした。
あー、ドリフの人形劇もありましたね
ニンニキニキニキ
ニンニキニキニキ
ニニンが三蔵

あの頃はTVが楽しかった~

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Unknown (久代千代太郎)
2010-06-23 02:22:22
>な さん


懐かしいですね。ンで「でんじろう」っていう犬がいたんですよね~子供のころ大好きでした。木村進とかがオシッコかけられるんですよね~なつかしな~~w
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