忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

扁桃腺が腫れたのは民主党代表選の所為

2010年09月17日 | 過去記事
何年かぶりに熱が出た。38度を超える熱が2日半続いた。たかが流行性感冒、当然ながら医者には行かなかったが、妻から市販の風邪薬を飲まされた。妻は合法ドラッグが大好きで、いつも頭痛薬や風邪薬や胃腸薬などを所持している薬物依存症である。テレビの言う通り「風邪かな?」と思ったら早く飲んで早く効く!あなたの風邪はどこから?という勢いであるから、珍しくも私が「風邪ひぃたぁ~」と弱っていれば、喉にはコレ、咳にはコレ、とやり始めて、とある瓶から5錠ほどの薬を出した。これを飲め、という。

薄れゆく意識の中、なぜに「5錠」もあるのかと問えば「体重50キロの人は3個」と書いてあるからだという。私が、ならば本来、その計算があっているなら「7個」ではないのか?と確認するも、そこは「5個くらいでちょうど!」だと断言されてしまった。

しかし、私はシャーマン治療をこよなく愛した先祖の血からか、あまり西洋医学というモノを信用していない、というのは冗談だが、正直、あまり薬が好きではない。

子供のころから、風邪を引いたら「メシ喰って寝てれば治る」を実践してきたからでもあるが、だぶん、実家は貧乏だったので薬が無かっただけかもしれない。それに私が、腹が痛い、と泣いた日も、祖母は私の腹の上に掌を充ててじっとしているだけで、ウソみたいに治った記憶もある。今思えば、単なる温熱療法だった。生身の腹にあてた祖母の掌が熱くなったのも覚えている。それと、「婆ちゃんが治してくれる」という信頼と安心だ。病は気から(ある程度)である。それでも、叔母の作った焼き飯で食中毒になったときは、祖母の掌は私の腹の上ではなく、119番、電話のダイヤルを回したわけだから、孫が嘔吐して震え出したらシャーマンも関係ないのであった(笑)。

「冷えぴたシート」を額と顎(扁桃腺が腫れた)に貼って、両脇を犬に囲まれて寝た。そらもう、寝た。それでも喰うもんは喰う。これも私流。初日はさすがに「肉うどん」(肉を入れたのが最後のプライド)だったが、次の日にはカレーを2連発である。

どこの風邪ウィルスか知らんが、まさか、この状態でカレー投入は想定外だったであろう。私は自分の体内で風邪ウィルスがパニクッているのを感じながら寝た。そらもう、寝た。

今日の昼ぐらいからはずいぶんマシになったのだが、ようやく少し回り始めた頭で考えてみる。何事にも原因があって結果がある。今回、不覚にも流行性感冒などに2日とはいえやられてしまった原因を探さねばならない。実にもったいないのである。

しかし、それはすぐに思いついた。先週の土曜日である。JR天王寺駅近くのビジネスホテルである。室温を20℃に下げて強風のまま寝てしまったのだ。悪夢をみるほど魘されたのはここにも書いたとおりである。あそこで感染したわけだ。そして潜伏期間を経て、今日から2日前の月曜の深夜に発症、喉が痛みだした。アレ、だ。間違いない。

ちなみに、その土曜日は民主党の長尾敬議員が来る、とのことで飲み会に参加した。つまり、先ずは長尾敬議員が悪い。そして、議員は民主党であるから、これまた、やはり、民主党が悪い、ということになろう。すなわち、この2日半ほどの私の体調不良は「民主党の所為」ということでよろしく願いたい。民主党本部には謝罪と賠償と風邪薬を求める。あと肉。ンで酒。と原付バイク。




ま、ところで、だ。

久しぶりに病気になったからとはいえ、何も悪いことばかりではない。先ず、妻が優しくなる。気を使ってもらえる、ということは幸せなもんだ。「だいじょうぶ?」と聞かれるだけでもありがたいことである。心なしか犬も優しくなったような気もする。心配そうな瞳でみつめてくる。そして、寄り添うようにして私の横で眠るのである。たまらんのである。

しかし、これが元気なときはわからない。「忘れ物ない?」と聞いてくれているのに「ない」で済ませたりする。本当は「心配してくれてありがとう。無いと思うんだけど、キミが心配してくれるから、もう一度確認してみるかな」とでもいうべきであろう。私など妻から「おとしゃんが傘さしてるのみたときない」と言われる。理由は「傘を差さない」からであるが、なんというか、邪魔臭いし、盗まれるし、忘れるし、無くすのである。家を出るとき「傘は?」と聞かれても、街のどこかで茶でも飲んだら「傘、忘れてませんか?」とは誰も聞いてくれないのである。ンで、酷いのは最近の天気予報などだ。


「今日は洗濯日和です」


なら、まだわかる。しかし、なんだ、あの嫁さんみたいに「傘を忘れないようにしましょう」とか「午後からは冷えますから、上着を持っていったほうがいいでしょう」というのはいかがなものか。コートを着ろとか脱げとか、おまいはオカンか、と言いたい。

また、昔からあるテレビ朝日の朝の番組で「いってらっしゃい!夜勤明けの方はおかえりなさい!」も気持ち悪い。独身男がテレビに向かって「いってきまぁす」と言っているのも嫌だし、無視するのも、なんか、悪いじゃないか(笑)。

天気が良けりゃ主婦は洗濯するし、夕方寒かったら次の日は気をつけるだろう。大の大人に向かって、いちいち、うるさいのである。周囲に溢れるモノもそうだ。あの製造物責任法(PL法)とかいう頃から、完全に消費者を馬鹿にしている。ま、実際にそんなことで企業を訴える馬鹿がいるから仕方がないのだが、どうにも、世の中が「馬鹿基準」になってきた。カップラーメンに「やけどのおそれがあります」と書かねば火傷するなら、誰かに作ってもらいなさいと思う。アメリカではスーパーマンのコスプレに「本当には飛べません」と書いてあると聞いたことがあるが、こんなレベルじゃ、私のいう「私が風邪ひいたのは民主党の所為」を笑えまい。


昔のお菓子、それもちょっと高級なお菓子だと、中にシリカゲルが入っているモノがあった。乾燥剤だ。これには昔から「食べられません」と書いてあった。幼い頃の私が何度か袋を破って口にしそうなところをオカンが間一髪、手を叩かれた記憶もあるから、これは仕方がない。だってお菓子の中に入っていたから「おまけ」の氷菓子がなんかだと・・・

しかし、最近はショックを吸収するためのポアポア、あの暖衝材にまで「食べられません」と書いてある。「むーちゃん」じゃあるまいし、誰があんな綿を喰うのかと思うのだが、子供が誤って口にしたら企業が訴えられて負けるとなれば「主原料はトウモロコシです」と書いてあるアレは危険なのだろう。「トウモロコシって書いてあるから食べたんやんけ!」と訴える馬鹿が出ないとも限らぬ世の中になった。

今年の夏も暑かったが、テレビでは「熱中症には十分注意しましょう」と小学校のようなことを言っていた。無理をせず、水分補給を心がけましょう、と毎日やっていた。これは親が子供に言うことである。もしくは友人や知り合い同士が行う「時節の挨拶」である。また、毎年、川でバーベキューをして、酒飲んで川に入って何人かが死ぬが、これにも「こんな馬鹿なことすれば迷惑ですね」とはやらずに「アルコールを飲んだ後の水泳は危険ですから止めましょう」とやる。さらには「ノンアルコールビール」を紹介し、これを持って川に遊び行けばいいという提案までしていた。1億総児童である。

酒飲んで水に入れば死ぬこともあると、タコ八郎でも知っている。そのレベルに合わせて世の中を作ろうとするから、どんどん社会がおかしくなる。国の福祉なども同じで、普通、どこの家庭でも、どんな個人でも「何かあったとき」のための蓄えや、対処法などは考えておくべきであり、会社が倒産したり、解雇されたりすることは「風邪を引く」くらい自然なことでもある。その度にすぐ「生活費をくれ」とやられたら、国など持つはずがない。

そして、このレベルにまで国の常識が下がってくると、例えば「上海ヒルズ」を日本の「森ビル」が建築した際、屋上に観覧車を作る設計で丸い穴を開けた。これは森ビルが勝手にしたのではなく、このデザインは当然ながら発注した支那の会社も承認していた。しかし、2005年、小泉元首相が靖国神社に参拝すると「日本人は上海に日の丸を挙げようとしている」という意味のわからぬ噂が立ち、反日デモの勢いが増したことがあった。

慌てた森ビルは丸い穴から四角に変更した。だから今でも上海ヒルズの屋上には観覧車ではなく展望台がついている。元々高いところに、まだ高いモノを作るという、わけのわからぬデザインとなった。

そんな支那から大量の「中間層」とやらが日本に来ている。最近では48人もの生活保護申請が明るみになったばかりだ。入管を出たらすぐに市役所に走っている。2名の身元引き受け人の支那人もまた、日本語も話せず、なぜだか2週間ほどで日本国籍も得ていた。

「ど左翼」の連中がなぜ、日本国内において「人権」やら「平等」やら「弱者救済」などの美声を揚げているのかがわかる。ハードルを下げたいのである。失職してネットカフェに泊り、携帯電話で「炊き出し」を知り、「サービス業は向いてない」と抜かしながら生活保護申請して受理されるということは、それだけ悪用される危険も増すということだ。だからヤクザも不良外人も悪用するのである。日本人でも「生活保護費は貯金してハワイに行く」という馬鹿まで出てくる。悪天候の山登りにTシャツで来る連中には「気をつけてください」ではなく「山を舐めるな、顔洗って出直せ」しかないのと同じだ。

適用の規則を厳守し、相手の生活状況を把握し、可能な限り「自力で何とかする」ように促すことは差別でも何でもない。むしろ、それこそが本来の意味での「幇助」であり、まさに国や地域が成すべきことである。なんでもかんでも「弱者・犠牲者」だとして、国に面倒見ろと言い出すのは、大量の支那人が送り込まれてくると知っていた連中の対日工作である。人口侵略が円滑に運ぶように行われている攻撃なのである。




「週刊新潮9月16日号」に恐ろしい記事があった。日本で発行されている支那人向けの新聞のことだ。俗に「華字紙」と呼ばれるらしい。新聞形式で50紙、雑誌形式では5~6紙あるという。世界には邦字新聞と呼ばれる日本人向けの新聞もあるが、その内容は全く違う。

例えば「北米時事」などでは、シアトルでジャズのコンサートがあります、などの地元情報がメインだ。日本人はどこの国でも「郷に入れば郷に従え」の精神で、その国の文化や習慣に馴染もうとする。だから、地元の情報が希求される。しかし、言うまでもなく、支那人は違う。支那人は支那人だけのエリアを作り、その場所を支那にしようとする。だから、世界各地で嫌われる。嫌われるだけならまだしも、トラブルが絶えず、国際的な問題に発展することも珍しくない。それは日本でも同じくであるが、これは早急に対処しないとどえらいことになる。いや、もう、なっている。

広告は「風俗の募集」なども多いが、行政書士事務所や弁護士事務所が並ぶ。入管の手続きなどだけではない。そこには「生活保護受給ノウハウ」が堂々と記載されている。また「保釈手続き」の請負も多いのだという。支那人の多くは「犯罪目的」で日本にくるわけだから、捕まった際の対処も問題となる。そこで商売が成立しているわけだ。日本で弁護士や行政書士の資格を得る支那朝鮮人のマーケットと化している。

じゃあ、後は何が書かれているかと言えば、だ。もちろん反日だ。


9月2日付けの「聯合週報」という華字紙には<90歳の老戦死が涙を浮かべて抗日戦歌を合唱>というタイトルでこう書かれているとある。


<渡辺登は日本海軍の元兵士で、……靖国神社の話になると、日本が発動したのは侵略戦争で、“自分が死んでもそこには祀ってもらいたくない。 中国を、アジアを侵略したので”、……老兵士の高橋哲郎は……“日本人は老若男女、日本が中国を侵略したこと、2000万人の中国人を殺したこと、中国に対して極めて卑劣なことをしたこと、このようなことを二度とおこしてはならないことを、知っておくべきだ”と言った>



この紙には連載小説とやらもあって、今回のタイトルは<日本軍が4万人の米人捕虜を虐殺>だったそうだ。




ギチギチに反日教育を受けて、ビザ緩和で日本に「シゴト」をしに来る支那人が、日本の納税者のカネを喰い物にしながら、反日機運を高めつつ、集団でそこら中に潜んでいる。過日、改めて日本の総理大臣になった元市民運動家は、


「中国の方が増えたでしょう!それは民主党がビザを緩和したからなんですね!みなさん!これで雇用が生まれるんです!これが経済対策の一環なんです!」



と公衆の面前で言い放った。実に勝ち誇った嬉しそうな表情だった。



マスコミは「今日は昼から気温が下がりますから、セーターなどを持っていたほうがいいでしょう」と教えてはくれるが、戦後からの日本人の犯罪は減少して、代わりに外国人犯罪が爆発的に増えているとは教えてくれない。雨が降りだしたら自分で勝手に傘をさすように、マスコミの天気予報だけを頼りに出掛けるのはもう、止めた方がいい。


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