忘憂之物

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岡田外相、元米兵捕虜に謝罪 「非人道的だった」

2010年09月14日 | 過去記事
岡田外相、元米兵捕虜に謝罪 「非人道的だった」

< 岡田克也外相は13日、太平洋戦争時に日本軍の捕虜となった元大学教授のレスター・テニーさんら元米兵6人やその家族と外務省で面会し「皆さんは非人道的な扱いを受け、ご苦労された。日本政府を代表して心からおわび申し上げる」と謝罪した。

 これに対しテニーさんは「私たちが求めているのは日本が国としておわびを言ってくれることだ」と指摘。「強制労働させた企業は65年間、沈黙を守っている」と述べ、企業側も謝罪するよう求めた。これまで日本政府が英国人やオランダ人の元捕虜を招待したことはあったが、米国人を招いたのは初めてという。

 テニーさんは1942年に起きた「バターン死の行進」を生き残り、福岡県・三池炭鉱で強制労働させられた。この事件はフィリピン・ルソン島バターン半島で、米軍捕虜らが、100キロ余り離れた収容所に連行される過程で、日本軍に虐待されるなどして約2万人が死亡したとされる。

 昨年5月、藤崎一郎駐米大使が日本軍捕虜となった元米兵らの組織の年次総会に出席し、おわびを表明している。

 一行は東京や京都のほか地方都市も訪問し、19日に帰国する>






2000年7月、森内閣のときに行われた「沖縄サミット」の合間に「日米首脳会談」が組み込まれた。森首相はとりあえず「沖縄米軍の行儀が悪くて困る。なんとかならないのか?」と言ってみたら、なんと、当時のクリントン大統領は「本当に申し訳ないと思う。反省したい。とても恥ずかしい」と言ったから、森首相は通訳が驚いてから自分も驚いた。対米外交圧勝である(笑)。

世の中にこんなアメリカ人ばかりなら「秩序ある平和な世界の実現」も可能性が増すのだが、実はこれはクリントンが寝てしまって、文書の確認が出来ておらず、この文書は書き直すはずだった、と2000年に高山正之氏が書いている。モニカ嬢との「不適切な関係」でお疲れさまだったのか、ワシントンから飛んでくる間に首脳会談の文書にも目を通さず、ぶっつけ本番で書いたことを読んだだけだった。高山氏はコラムの最後「良いアメリカ人は寝不足のアメリカ人だけだ」と書いてあった。わろた。

そして10年後の日本の外務大臣、代表選が終わったからぐっすり寝ていて欲しいと思う。かなりお疲れが出てしまっているようだ。日本の女性ジャーナリストが荷物を背負って、この「死の後進」とやらを歩いた後、ぜんぜん、死ぬどころか「Vサイン」していたらしいが、当時の米兵は虚弱体質だったのだろうか。野菜も喰わんからだ。牛蒡とか。

しかしながら、この顔色の悪い外務大臣は、ちゃんと調べてみることもなく<皆さんは非人道的な扱いを受け、ご苦労された。日本政府を代表して心からおわび申し上げる>と言ってしまう。何とも情けない限りである。「知らぬから仕方がない」にも限度がある。どうしようもない。

そういえば、私はまた最近、JR京橋駅に行った。その日は「白くまくんアイス」を買って行った。天王寺で飲んだ次の日の昼だ。私がそこにアイスやジュースやお菓子を置く=どこかで飲んでいてた、という証拠でもある(笑)。ま、ともかく、日本中、どこにでも小さい慰霊碑がある。

なぜか?それは大東亜戦争で本土を爆撃されたからである。そこらじゅうで日本の民間人が殺されたからである。年寄りも女も子供も、である。

もう潰れてしまったが、私がパチンコ屋にいたときに気に入っていた屋台があった。冷房もない野外で私が酒を飲むんだから、味は言わずとも想像がつくはずだ。その屋台の近くの原っぱにも戦災で亡くなった無縁仏の方々が眠られている。人数なんかわからない。屋台の爺さんは「死体の山、どこの誰かもしらんが、そのとき生き残った人が集めて埋めて、戦後になって仏さんを置いた」と教えてくれた。私と爺さんはいつも、そこに小銭と煙草と酒を持って行って、手を合わせてから少しだけ話していた。

戦争中の敵兵ではなく、自国の民間人が殺されたと言っている。それで、その国の外務大臣が当時の敵兵に対して謝罪するならば、あの戦争を戦った日本人はすべからく、“アメリカの人に非人道的な扱いをして、ご苦労をかけた加害者”だと言われているのと同じだ。ならば、よくぞお高いでしょうに、原子爆弾を1個じゃなく、2個もすいませんでした、と言え。かかった費用を日本がお支払せずともよいですか?と問え。尊敬する人はカーチス・ルメイですと言い、日本人に戦争をやめさせるためとはいえ、たくさんのナパーム弾落とさせてしまいましたね。これも合わせて謝罪して賠償します、と言え。

JR京橋駅の慰霊碑は私費で建てられている。建てたのは大東市に住んでいた森本栄一郎氏という個人である。個人支出だったから、場所もタクシー乗り場の隅っこなのである。でも、駅正面入り口にはロータリークラブが建てた「平和の礎」と書かれた立派な子供のモニュメントがある。子供二人が笑いながら天に両手を伸ばしている。うっかり見落とす場所に慰霊碑があるから、正面、改札口、つまり、駅を利用した人が全員通る場所に「国際的奉仕活動」とやらは、あんなところにはあんなものを建てる。

だから駅を利用する人は、すぐに目に入る「平和の礎」に献花する。缶ジュースを置く。待ち合わせの場所にもなる。しかし、そこには誰もいない。ふざけるな。私が元気で京橋で飲める間は、ちゃんと子供たちの霊がいるところに「美味しいもの」を供えてやる。

また、何故に当時の日本国民に無縁仏が多いのか。

そもそも日本の民間人は外出する際、体のどこかに住所氏名を書いたハンカチの4分の一の大きさの布を貼付しいなければなかったから、空襲を受けて殺されても、本来ならば「どこのだれだか」わかるようになっていた。しかし、アメリカが使用した爆弾は布など燃やし尽くす。日本軍もまさか、非戦闘員しかいないと周知でありながら、1トン爆弾や焼夷弾を降らせるなど想定していなかった。

日本の外務大臣は、これらどちらが<非人道的>なのかの判断がつかないらしい。頭が良くて金もあって、権力もあるのかもしれないが、本当に悲しい人間だ。もし、万が一、これも仕事でやってんだ!我慢してるんだ!というなら、相当、いろいろと勘違いしていると思われる。

いずれにしても可哀そうな人間である。総理大臣と一緒に寝ていたほうが国益になる。


3 コメント

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Unknown (Sugar)
2010-09-15 10:07:05
永眠を願っては駄目ですか?
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Unknown (Unknown)
2010-09-16 20:42:59
この外務大臣は最後にどう言うんだろうかと考えました、最後と言うのは、多くの戦争で無くなった日本人に対して・・

あの戦争は非人道的でした・・日本政府を代表して、全日本国民に謝罪します?
というのだろうかな・・・

すると補償もらえるかのな?
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Unknown (久代千代太郎)
2010-09-17 12:03:51
>シュガーちゃん♪

私も一緒に願いましょう。なむ・・・



>あんのうん さん


日本国民にだけは違うみたいですね。カネヅルですから。だから、保証もしてくれませんw
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