忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

すごい人はすごい

2013年06月19日 | 過去記事



「飲食店コンサルタント」の田中司朗氏の話を聞く。

田中氏は「大手外食チェーン」はもちろん、ケンタッキーやコカコーラなどの店長、責任者研修やフランチャイズビジネス全般、スーパーバイザー教育などを手掛け、毎日、日本中を走り回ってセミナーなどを行っている。田中氏のセミナーは『90分=20万円』が相場、つまり「売れっ子」だ。また、月刊誌「飲食店経営」にも15年間記事を書いている。「その道」に関する問答無用のエキスパートだ。

その月刊専門誌に「カシータ青山店」の店長を取材した記事がある。これは田中氏の著書「店長の仕事」にも収められているが、いわば「その道」からすれば伝説的な事例となる。店長は柳沼憲一さんという。柳沼さんがまだ30代半ばの頃の話だが、そのレストランの常連客だった男性が店長の柳沼さんに「プロポーズをする」と告げる。妻となる女性は新潟出身で、現在はアメリカ在住だと。近々帰国するから、そのとき店に連れてくる。一肌脱いではくれまいか、という相談だった。ま、よくある話だ。

しかし、ここからが「よくある話」ではない。柳沼店長は閉店後、社員2名と共に新潟にトラックで走る。スコップで雪を積み込み、東京へと急ぎ戻って店のテラスに敷き詰める。「雪だるま」をつくって飾る。すべて終わったら朝の8時になっていた。

一旦、帰宅するもその日は晴天。柳沼店長が雪を心配して店に来ると、一緒に新潟に行った社員2名も同じ心配をして店で待機していたという。そしてカップルが来店。女性はテラスの雪に「??」となる。場所は東京の青山、雪などあるはずもないと思ったとき、柳沼店長から「あなたの故郷の雪です」と告げられる。そして恋人からプロポーズを受ける。感動して泣かない女性はいないが、これで柳沼店長も社員もみんな泣いた。

店長を含めた社員3名が徹夜でトラックを走らせる。赤字かどうか、と言われたら営業数値を観るまでもない。実際、無関係の人間が計算すると、ざっと七万円以上の赤字になった。でもその代わり「最高の瞬間に立ち会えた」と柳沼店長も社員も感激している。サービス業の神が降臨した瞬間だ。そして私のような下衆な根性で勘案すれば、その口コミ効果はどれほどだったか、ともなる。田中氏のようなコンサルタントから「感動エピソード」とされて世に広まる。感動は感動の連鎖となり、多くの人が「カシータ」の名を知る。紹介するし来店もする。結果は大成功と言えるだろう。つまるところ、誠心誠意とか一所懸命が「本当は得すること」と私が言い続けてきた所以でもある。繰り返しておくが、正直者は馬鹿を見ない。

また、この話には著作にも記事にもない「続き」があって、柳沼氏を取材した田中氏によると、柳沼店長はいま「カシータ」を辞めたのだとか。そのとき「うちに来てくれ」のオファーは30社を超えた。条件は2億。年収は最低1500万から。福祉介護の世界も「3K」と言われて久しく、飲食業界も「ブラック」扱いされて良くないイメージもあるが、どこにでも「本物」はいるモノで、そしてその「本物」はどこでもなんでも本物なのだと思い知る。詰まらない風評も関係ないし、ちゃんと誇り高く「プロ」として働く人はいる。

例えば、私のような半端な人間でも、介護福祉の現場で決めていることがあった。「毎日、必ず、利用者全員に話しかける」とか、誰でもやれる簡単なことだ。そして「笑わせる」も大切にしていた。なにやらいろいろとあるのが人生だが、とりあえず笑っておればなんとかなる、も真理ではあるからだ。それを実践していると、忘れた頃に感謝されたりもする。とある利用者のお婆さんが、日記に私の名を連呼していた。そのお婆さんはモノが言えなかったが、私は出勤すると必ず、なにか冗談を言いに行った。思いつかなければ「顔芸」もやった。すると、とある日に家族から涙交じりに感謝された。正直、嬉しかった。



埼玉県春日部市の特別養護老人ホーム「フラワーヒル」で2010年、入所者を虐待して死亡させたとして同ホーム元職員、介護福祉士の大吉崇紘容疑者が逮捕された。容疑は傷害致死。「殺意」を否定しているからだが、このホームでは同年の2月より連続して3名の利用者が亡くなっており、その第一発見者がぜんぶこいつだった。動機は「第1発見者になり同僚にほめてもらいたい。認めてもらいたかった」。

自分で殴らなくても相手は健康な若者ではない。普通に勤めていれば順番に、ある意味では頗る順調に弱り死んでいく。その前兆や状態を「発見」することは本当に大切だ。助かるかもしれない、は無論ながら、もしかすると、家族との「最後の時間」を確保できるかもしれないからだが、往々にして施設側は「助かった」となって評価することもある。「死ぬ前に発見」と「死んでから発見」では、その事後処理の煩雑さに雲泥の差がでるからだ。

看護師もそう。「介護」に携わる人間が「医療」に敬意をもっていると評価される。逆はあまり聞かない。私からすれば「施設利用者が使っていない飲み薬」に興味はないが、いろいろと薬品名を知っている介護師は「勉強している」と褒められる。「胃ろう」のつなぎ方などもそう。教えてもらって手伝えれば大層「評価される」のも現実だ。

私はそんなことより「利用者の家族構成」や「利用者の趣味趣向」に興味がある。そちらが本来、介護に必要な知識、情報である。これがなければサービスが提供できない。「ありがとう」は施設や看護師から言われても嬉しいのだろうが、先ずは利用者にそう言ってもらいたい。介護師が看護師に「お忙しいと思いまして、検温しておきましたから。ぐへへ」みたいな必要はない。汗に汚れたシャツを着たままの「利用者の体温を知りたい」なら看護師を目指せばいい。介護の仕事はそれを着替えさせて、あるいは着替えてもらって「気持ち良く過ごしてもらう」だ。その際、利用者さんの体に触れるから「熱いかな」と思えば測ればいいし、そのまま看護師に伝えて体調チェックしてもいらえばよろしい。それは医療の仕事である。

ホーム側は最初、大谷容疑者に感謝したことだろう。報道でも<大谷容疑者は、キビキビと働き、入居者目線で話すなど、接し方も丁寧で、「いい介護士の方が入ってきてくれたな」と評価されていた>とのことだった。それでプラス、利用者の体調変化に敏感とされたら、他の介護師が「すごい人だ」と認めてしまっても仕方がない。つまり、評価レベルが低い。

それからこの馬鹿は大いなる過ちをしている。ホームの施設長やら看護師、同僚に褒めてもらうのも結構だが、そのろっ骨を折られて殺された婆さんは褒めてくれない、ということだ。喜ばせる対象者における優先順位が狂っている。もっと言えば、施設の左巻きに警戒されようが、看護師に嫌われようが、同僚から舐められようが、顧客対象者である利用者に認められてさえいればなにも怖くないし、周囲のアレな連中も文句は言えない。馬鹿に褒められて喜んでいる場合ではない。それより早く、馬鹿を叱ってマトモにする仕事をせねばならない。自分を褒めてくれなかった連中を糺し、いずれは「褒めて」やればいい。まあ、いずれにしても小さい人間だ。視野が狭すぎるからそういう馬鹿をやる。



ところで、田中氏の話を聞いたその夜、東京の某所でとある大手居酒屋チェーン店の社長にも会った。その居酒屋チェーンのコンセプトは「お客さんを元気にする」みたいな、どこにでもあるようなものだった。どこにでもないのは「それを徹底している」ということだ。社長はそれを「日本のため」だと言った。「愛国心なんです」と真面目に言った。

若い従業員教育を徹底させる。これも日本のため。日本のサラリーマンを安くて美味くて元気な居酒屋で盛り上げる。これも日本のため。たくさん売れたらたくさん仕入れをする。これも日本のため。たくさん儲かったらどっぷりと税金を払う。会社が大きくなったらたくさんの人を雇用する。これも日本のため。

レストランは「レストラ―レ」というラテン語が語源になる。意味は「再生させる」。疲れたオッサン、元気のない若者を「再生させて」からまた、社会に送り出す。社員には「仕事の面白さ」「成長の嬉しさ」を教え込んで「再生」させる。


過日の16日、私も新宿にいたが、そこでデモ隊と反デモ隊がもみ合いになり8人が逮捕されたとか。胸倉掴んで唾をかけた、とか、なんともまあ、アレなことで逮捕されたらしい。私も日本を愛しているし、その全国に数百店舗展開の社長も愛国者だと思うが、べつに日の丸掲げて「朝鮮人殺せ」とか街を練り歩いたりしない。そんなヒマもない。ただ家族のために、日本のために、ふらふらになるまで仕事をする。



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