せせらぎせらせら

日々思うこと

!?

2008-05-23 | せらせら
アラビア語って「?」までもが左右反転すんのね・・・。
まず「?」に方向性があることを知らなかった・・・。

「?」マークは万国共通なのか!?

起源についてはウィキには
「ラテン語のquaestioの最初のqと最後oを縦に重ねた合字という説がある。」
とありますが・・・これも定かではないな。

スペイン語では
文頭に上下反転の「?」が付くのね。
例)¿Qué dices?

各国の言語文化によってされるがままに転がされているこのお茶目な形にすごく愛着が湧いてきた。

煙に見る自我像

2008-05-23 | せらせら
実際の鏡面とは違って、いわゆる鏡とメタファーされるもの(それはつまり万物がなり得るワケですけれども)は曖昧に曇っているほどハッキリと自己を映し出す。

それが光学的な鏡と形而上学的な鏡との決定的な相違だ。

その両者の関係は金と情の関係にも似て、上手いところで折り合いをつけないとバランスを失って物質と精神の関係自体が崩壊してしまう。

電車内で鏡片手に化粧具合を気にしているような人ほど、自分というものが見えてないのではないだろうか。

ま、カタチが綺麗ならそれでいいって人には余計なお世話か。

昨日のまとめ

2008-05-23 | せらせら
■不安
暗闇に潜む漂いを怖れる気持ち。
それを照らし出すか、何が潜んでいようと関係ない強さ(=自信)を手に入れるか。
そこに目を叛けて生きていくことは簡単だが、長期的に見て楽な道ではない。
照らし出すなら、徹底的に調べ上げ隅々まで熟知すること。
強さを求めるなら、逆に自分の弱点を人前にまた自身の前に曝け出すことが重要なプロセスだ。
中原風に漱石の言葉を借りれば「自分で自分の心臓を破って、その血をあなたの顔に浴びせかける」行為が自分の負を清算するということでせう?
未来への不安は過去に起因しているということを知るところから。

■自信
金融界でいうところの投資だ。
投資家は自分、投資先も自分、投資するものは気概。
投資家は企業の経歴、実績、経営手腕、将来性、時代適正などを参考に投資の是非を決定する。
投資できないような自分なら早急に再生プランを要するのではないか。
自分で出来ない場合は冷酷なコストカッターをターンアラウンドマネージャーに起用することも時には必要ではないか。
とにかく、これは出来る、これは出来ない、という冷静な判断ができれば自分が活きる場所も自ずと見えてくる。
何事も自分を知ることから。